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イエスはね、救い主なんですよ

イエスはね、救い主なんですよ。 自分の命を十字架で犠牲にして、私たちと神の壊れた関係を修復してくださったんですよ。 神に背いた罪を、代わりに背負って、私たちの痛みを背負って、私たちの病を背負って、死んで、私たちが新しい人生を、神と共に神の子として生きなおせるよう、復活されたんです。

イエスは、死んだ昔の偉人ではありません。古い自分はイエスと共に十字架で死んで、今生きているのは自分じゃなくて、自分の中に生きるイエスなんです。もちろん、弱さ、足りなさ、失敗することあるでしょう。完璧じゃないんだから。だけど、イエスが愛したように自分も神と隣人を愛して生きていきたい。

人生詰んだ人、もうダメだと絶望した人、回復不可能に思われるくらい傷ついた人、どうあがいても抜け出せないほど困難な環境に囲まれた人、そういう人たちが、僕も含めて、イエスに、イエスの愛に、イエスの教えと、生き方と、十字架と復活で示された神の愛に、救われてきたんです。それを証言したい。

人間は世界の不条理に一人で立ち向かって勝てるほど強くない。本当に強い人なんて誰もいない。人間とは本質的に弱い存在なんです。時代、不運、災害、傷病、老いと死、自分の力ではどうしようもない力で簡単に折れてしまう。自分では善を成すことも愛することもできない。だからイエスが必要なんです。

だから、僕は自分の立場で許されるかぎり、イエスを伝える。イエスの教え、生き様、十字架と復活、これらが神の愛だったと伝える。同様にそれを伝える人たちのことを、励まし「このようにイエスを伝える人たちがいますよ」と伝える。それで救われる人が一人でもいるならとできるだけ多くに伝える。

宣教や伝道は、人間の意思や、功名心や、心理的な因果関係じゃ、説明できない神の働きそのものなんですよ。そうせざるを得ないほど、イエスのことを証言せざるを得ないほどの変化が自分に起きたから、イエスがそれほどまでに自分にとって大切な存在になったから、分かち合わないではいられないんです。

険悪な親子関係が、職場の軋轢が、異なる民族や属性の間の憎しみ合いが、国家間の紛争が、イエスの示した愛に倣おうとする人たちによって、最終的、根本的な解決に向かうはずだと信じるから、模範としてのイエスを少しでも真似して、新しく生きたいと願うから、イエスを行動と態度と言葉で伝えたい。

人と人の関係が壊れていますか。それは愛の根源であり、愛そのものである神と人との関係が壊れているからです。人との関係を修復したいですか。まずは神との関係を修復してください。神との関係を修復したいですか。イエスの十字架と復活が、そのための犠牲の愛だったという事実に向き合ってください。

他人の心の持ちようや、感情や、考え方、世界観を、有限な存在、単なる人間に過ぎない自分には変えることはできません。自分が無神論者からイエスを神の子救い主キリストだと信じる者に変わったのも、人に変えられたからではありません。人にできるのは、イエスを紹介しその人を愛し祈ることだけです。

イエスによって救われ、イエスが愛したように神と人を愛したいと願って生きなおすことを選んだ人たちが、名も知らない数もわからない人たちが見ず知らずの僕の救いのために祈っていた。神はその祈りを聞かれ、僕がイエスと出会う機会を用意してくださり、僕は救われました。これは奇跡だと証言します。

だから僕も祈りたい。愛する人達のため、見ず知らずの人達のため、彼らがいつかはイエスと出会い、イエスの十字架と復活で示された神の愛を知り、神と和解し、神と人とを真に愛する人に変えられて生きることができるように、祈りたい。そのために日夜働く神に用いられるよう、自分を神に差し出したい。

自分に自信なんかありません。自分は未だに、欠けのある弱い自分です。イエスが愛したように、神と人を愛するなんてとんでもなく高いハードルかもしれません。ただ、自分にできる範囲からなら真似していきたい。大人の真似をする子供のように。日々イエスに教えてもらいながら、学びつつ、真似したい。

写真:MeganSteve5050


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