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仕事からつくる

私がかつて住んでいた街には商店街があって、その中には戦後すぐに建てられたようなすごく古い映画館があった。

小学校1年生の頃、父と兄弟とそこに映画を観に行ったことがある。
座席について、映画が始まるまでの待ち時間、父に買ってもらったチョコモナカジャンボを食べるべく開封しようとしたが、なかなか開かない。えいっと力を込めたらモナカは消え、私の手元には空の袋しか残っていなかった。
あたふたと探しだした時、後ろの席の女性から「これですか?」と声をかけられた。まるでチョコモナカ一択しかない、金の斧と銀の斧のような展開だった。
私はお礼を伝えると、パンパンとモナカをはたき、さっさと口に入れた。

帰宅して知ったことだが、モナカは父の頭にヒットして、その後おそらく後ろの座席の床に落下、拾ってもらってから、止める間もなく私が食べたと父は語った。

小学校では、『3秒ルール』という食べ物が床に落ちて3秒以内であれば食べても問題ないという根拠のないものがあり、それに従った(3秒以上は経っていたと思うが)だけだが、多量のバイ菌がついたであろうものを食した気持ち悪さがトラウマとして残り続け、清潔さの判断はどこか分からないまま社会人になってしまった。

私の仕事、土木技師は、粉塵、水、ドロやカビを結構浴びる。清潔さを求めていては仕事にはならない。
だが、清潔であることが難しいなりにも、職場の人それぞれに価値観がある。
例えば、私は、執務室内で耳かきや爪切り、机の上に生足を置いてモミモミとかしてたり、むせそうになるくらいのたばこのにおいが身体に染み付いている人が苦手だ。
逆に私がドロドロになって帰って来て着替えず席に戻るとにおいが気になったのか新人から消臭剤をふりかけられたり(結構におうことは私も自覚していたが、決して許可なく他人にふってはいけない)、同僚らから寝癖や作業着のくたびれを指摘されることもあった。

だから清潔さとは、自身のそれに対する価値観と、他者に対するエチケットや与える印象の擦り合わせのようなものだと数年前は感じていたし、もちろんそれは今でも重要なことだと思っている。

それだけではない清潔さを現在の流行り病から求められるようになったとき、専門家らの意見がそれぞれの価値観で異なっているのもあり、私は何が正しいのか全くわからなくなって、途方に暮れてしまった。
とにかく除菌だと、それに専念してみたが、他者から触れられること、それが小さな子にすら触れられるのを嫌がっている自分に気付いたとき、さすがに清潔どころか性格が腐敗してしまっていると思った。

生物学者の福岡伸一さんによると、ヒトの身体は遺伝子を含め、ほとんど全てが菌で成り立っているという。
また、解剖学者の三木成夫さんは口から適度なバイ菌を入れることは、腸管のリンパ球が心地よく刺激され、免疫力がつくという。

素人の私の解釈であるが、自然界には数えきれないくらいの菌が存在する。
その中には、良い菌、悪い菌、両方あって、その両方があるから自然界は均衡を保っているような気がする。ましてや、除菌の際には特定の悪い菌だけを狙い打ちできない。過度な除菌は、ヒトの身体自体を滅ぼしてしまうのではないか、なんて思う。

感染症が流行りだして半年くらい経ったとき、私の歯の詰め物が取れてしまった。
その頃の歯科は、多くの人が受診控えをしていた。
私は歯医者が嫌いだが、虫歯になる方がもっと嫌で、仕方なく受診することにした。
ところが、歯科は受診控えをし、歯が緊急事態になってしまった高齢の方で溢れていた。

先生も高齢で、以前病気になって今も通院中で、私の歯の状態は幸いにも問題ないのに、「痛くなかったかい」とか「大丈夫かい」とか「元気だったかい」と声をかけてくれた。
院内は、患者側から見て、当然そうであって欲しいと思う清潔さはもちろんあったが、誰も感染症を恐れておらずいつもと何も変わらない気配があった。

結局私は治療が終わった後も、先生が元気してるかなと気になるし、先生に「元気だったかい」と声をかけてもらいたくて半年に一回くらい口の中を掃除してもらっている。
先生に会うと、帰り道は口の中もきれいになって、何だが清々しくなる。

歯科医は、統計上、最も流行り病の感染率が低い職業のひとつらしい。その理由は普段から多くの菌を浴びているからではないかと推測されている。

歯科に通うことで、清潔について感じたことは、除菌やマスク着用等を神経質に徹底するのではなく、何か現状が良くなることで、こころが洗われて、そこから出てくる清潔さ、があるということだ。

私の仕事はとてもハードだ。
そのため、かつてはいつも、こんな仕事辞めてやるんだと、思わない日はないくらい思っていた。
だけど、アフガニスタンで活動されていた故中村哲さんのことを知って、辛いときはあるが、辞めようとは思わなくなった。

中村さんの本業は医師で、アフガニスタンで人道支援をされていた。
その中で、飢餓や病、戦争で命を落としていく人々に、医療だけでは本当の意味での平和は来ない、それより水をと、日本の江戸時代の土木技術を独学され用水路を造られた。
その結果、多くの人を飢餓から救い、用水路の周りの緑化に成功している。

多分、中村さんが造った用水路は単に水の提供だけではではなく、明日の糧や仕事を生み出すということを造っている。
それは結果として、明日への恐れをなくし、明日も来るのだという安心となり、こころの平和に繋がっているのだと思う。

中村さんの用水路は、私の専門分野と同じだ。
水から生まれる清潔や食料の自給が、やがて平和に繋がっていく可能性があるのであれば、土木という仕事を諦めたくない、と思った。

だから私の清潔のマイルールは、常識やエチケットとしての清潔は日々心がけ、それ以上の清潔さは仕事からそっとたくさんの人に提供しよう、ということにしている。

(完)


本記事の参考文献は以下のとおりです。


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