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蛍から考えた未来

過去の私が、今の私を作る。今の私が、未来の私を作る。過去のある時点に私が撒いた種は、いつどんな芽を出すか分からない。それが仮に成功という成果となって現れたように見えたとしても、失敗に変わることもあって、あくまでも起きることは過程の一つに過ぎない。私の人生の終わりが来るときまで、常に、今、の先はあり続ける。

私が目先だけの自分の利益だけに囚われて行動するとき、必ず壁にぶつかった。そのときは、一旦頭をからっぽにして、私という個から離れてみる。そうすると、広い世界が広がる。目先のことに囚われることは、私自身を潰すことになる。さらに、私がすることは、多かれ少なかれ他者に影響を及ぼす。どんな影響があるかについては、今の時点で分からないので、想像力が必要だ。そして、その想像力の元となるものは、幅広い知識と経験ではないだろうか。さらにそこで得たものは、次の世代に引き継ぎ、循環させていく責務がある。そうしてゆくために、良い道を模索する。

長きに渡り先人から引き継いだものの数々は、決してムダなものがない。それは、日本の衣類、食文化や、農業、住環境、そして自然の中等、あらゆるものの中に宿っている。そして、その中にこそ、数々の知恵や、次世代に継いでゆくべきものが存在する。今の日本が、将来の日本を作る。今の日本が、将来の世界の一部を作る。今だけ良ければのものでなく、将来性を考えたものを作ることを私は大切にしている。

農業用水関連の施設の改築工事をする、建設事務所に所属していたときのことだ。農業用水の設備とは、稲作に関わる水を必要としている地区に配水するためのものである。その建設所では、農業用水の施設の改築工事を、30年経過したら実施するという方針にしていた。30年に1度というのは、施設の耐久年数を考えてのことであるが、必要とする水の量や周辺環境の変化もあり、設備の変化も自ずと求められるからである。設備は、地上に出ているコンクリート構造物等から、地下に埋設されている管もあり、多岐に渡る。

その会社に入社して数年経っていたが、まだまだ若手の青二才であった私は、直属の上司と共に、既存の施設の調査をして、改築工事を実施するための設計と、改築に関わる費用の算出を行った。それと併せて、関係機関との調整や諸々の手続きを行うことが必要であり、それらを全てクリアすれば、工事着工となる。

いざ工事が始まった後は、毎日現場に向かい、状況の確認を行った。工事が始まり、地下に埋もれていたもの等の全容が明らかになってくると、30年以上前に構造物が完成した際に作られた図面が間違っていたことが分かることが多々あった。その場合は、構造物の設計を臨機応変に変更することが必要となる。未熟な私は、どう設計を変えればいいのか、すぐに判断できる経験が不足していたた。そのため、施工を監理する技術者の方にどのような変更をすれば良いと思われるかまず話を伺ってみることにしていた。経験豊富な工事に携わる方々は、私が別の会社に属する人材にも関わらず惜しげもなく色々なことを教えて下さった。そして、過去の先人が行った実例も紐解いてゆくことで、自ずとどうすべきか、答えは出てきた。

また、安全に工事を進捗させるためには、五感を研ぎ澄ませることが必要だった。重機や周辺の安全の確認、臭気、音、天候等、注意しなくてはならないことは山ほどあった。そして、良い構造物は、見た目の良さはもちろんのこと、良い音を持つことも知った。私は、身体が健康で丈夫であることに何よりも感謝した。それがなければ、工事現場で働くことは難しい。

そうして過ぎてゆく中、一歩ずつ着実に工事は完成に向かう。

そして、担当した工事が完成しても、一連の改築工事にはまだまだ続きがある。その一部が完成しただけに過ぎない。私は、またすぐに新たな工事の設計に取り掛かった。工事の設計はいつも難航し、度々「この辺でいいだろう」と思うことがあった。そして、作業は深夜に及ぶこともあった。

ある晩春の夜、私はヘトヘトになって山の上の方にあった建設事務所から帰宅していた。川に沿って作られた、街灯一つない道路を車のヘッドライトだけを頼りに下山してゆくと、平地に入った辺りで、少し前に退勤した同じ課の先輩の車が停まっていた。何かあったのだろうかと心配になり、私はその後ろに車を停めた。

車から降りると、ガードレールの側に立って川を見つめる先輩の姿が見えた。駆け寄って、「何かあったんですか?」と聞くと、先輩は「ああ、蛍が・・・」と言った。先輩の視線の先を見ると、川の横の茂みの中から、ふわりふわりと線を描くような光があっちこっちで舞っていた。蛍だった。

その河川の上流には、数十年前に私たちの会社が作った土木構造物があった。それを作ることによって、どんなに気を付けていても濁水が発生したこともあったろうし、自然環境も少なからず変化したはずだ。なのに、澄んだ水でしか生息できない蛍が飛んでいるのはどういうことなんだろうか、と私は疑問に思った。それは、工事の仕方が良かったのかもしれないし、構造物が作られる以前の自然環境を取り戻したいと活動した人がいたのかもしれないが、私には分からない。いずれにしても、現在は蛍が生息できる、澄んだ河川であることには間違いなかった。

そのとき、私は今を何とか切り抜けることだけを重視している自分に気付いた。そして、もっと私のもっと先の未来に視点を動かしてみた。私たちの改築工事は単に30年後に残る構造物を作ればいいわけじゃない、30年後の未来のことを考えた構造物を作るべきなんだ。それを感じたとき、どういう設計にしようかモヤモヤと私の目の前に立ち込めていた霧が、さっと晴れていった。


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