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光を描きたい

先日、KIRINさんとnoteさんで開催された、『ここで飲むしあわせ』で審査員特別賞(嘉島唯さん)を頂きました。

審査員であった、嘉島唯さん、林伸次さん、夢眠ねむさん、KIRINさん、noteさん、その他多くの皆様、本当にありがとうございました。こんな小さな作品を見つけて下さったこと、本当に嬉しく、感謝しかありません。

そして、何よりも、Tさんと、そのご家族のお陰です。

noteを始めた当初より、Tさんという素敵な方がおられた、ということは必ず残しておかなければいけないと感じていました。ところが、Tさんに教わったことや、経験させて頂いたことをそのまま文章にすれば良いだけなのに、何故か全く上手く書けないのです。それは、もちろん、私の文章表現が拙いこともありますが、Tさんとのことは圧倒的に私の現在、未来をも照らしてくれる希望の光としての経験だったからです。いざ文章にしようとすると、Tさんのことではなくて、こんなこと覚えていたのかと呆れてしまうほどの学生時代のことから社会に出てからのことばかりで、私の心の中に巣くっていた闇がボロボロと出てきたのです。

昨年のことです。NHKの『日曜美術館』という番組で、確か神田日勝さんという日本画家の方を紹介された回がありました。そこで、神田日勝さんが、「絵を描くということは、自分にとって排泄物を出す行為だ」と言われていたように記憶しています。その時は、「排泄物って表現、なんだかなぁ」と思ったのですが、いざ文章を書こうとした私から出てきたものは、排泄物のようなものでした。

ヒトの排泄物は、今でもごくまれに使われている農家さんがいますが、きちんと発酵させて臭いのない状態にすれば、最高の堆肥となります。その堆肥があってこそ、最高の作物ができるのです。

KIRINさんとnoteさんのお題が出たときに、まず、本作は必ず出そうと決めていました。本作に取り掛かってからは、あっという間に書き上げることができたのですが、それまでは私が経験したことを咀嚼し、消化させて、排泄して、堆肥化して、畑に投入して、種を撒く、ということを繰り返しました。

その結果、収穫できたものは、雑草に、思いがけない作物ばかりだったりしたのですが、ようやくなんとか収穫したいものが採れました。それが、本作です。

いびつな形ではありますが、それと分かるものに出来上がったとは感じます。

コロナ禍もあり、現状では私の書いたことは不可能に近いこととなってしまったかもしれません。社会に出ると、どうしても闇が目についてどうしようもなくなることがあります。それでも必ず光はあるんだよ、という必死の思いで書きました。たった一人の方であっても、届けることができたら、こんなに嬉しいことはありません。

これからも、脱線、迷走は続くと思いますが、光になる文が書きたいです。

本当に、ありがとうございました。

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