見出し画像

僕らが「単独屋」と名乗るワケ。

こんばんは、あなたの街の単独ライブ専門店、トゥインクル・コーポレーション所属の単独屋、ジャパネーズのウネモトモネで御座います。

5日目。

世間はハロウィンで賑わっているのでしょうか。そういえば昨日の稽古場からの帰路の電車内、少しそんな雰囲気の方たちが居たような気がしなくもない。電車内では基本的にヘッドフォンで音楽を聴きながら本を読んで周囲をシャットアウトしているので確証はないのだけれど。

日本でハロウィンがコスプレ百鬼夜行のようなイベントになったのはいつ頃からだろうか。少なくとも現在36歳の僕が子どもの頃はそんなことは無かったように記憶している。ハロウィンは「セサミストリート」とか「英語であそぼう」とかそういう番組で視る海外のイベント。そんな感じだったはず。

そんな特別な日で無くとも、こちとらコントで年がら年中仮装させて戴いております。被り物に女装に白塗り何でもござれ。そもそも「ウネモトモネ」という芸名を名乗り生きている今の僕は常に仮装状態にあるのかも知れない。いや、芸名が付いていようと付いていまいと人間皆四六時中何かの仮装をして生きているのでしょう。

そんな話はさておき。このnoteの冒頭挨拶でも毎日述べさせて戴いているように、我々ジャパネーズは自らを「単独屋」と称して活動させて戴いております。本日のnoteでは何故我々が「単独屋」と名乗るようになったのか、いや、というよりも何故「単独ライブ」というものに惹かれるようになったのかを綴ってみようかと思います。

今は亡き前のアカウントでも同じようなことはおそらく綴ったことがあるので、ウネモトモネnote古参読者の方は既視感のある記事になるかも知れませんが「ああ、なんか前にもそんなこと言っていたなぁ。」と話半分に読み流して戴ければ幸いで御座います。

こちらの自己紹介でも書いたように、そもそも僕がお笑い芸人を目指したきっかけは「M-1グランプリ」。「単独ライブ」とはある意味正反対であるド真ん中の国民的お笑い賞レース。なので芸人を志したその時には「単独屋」と自称する未来が待っているとは微塵も思っていなかった。

2010年4月に大阪NSCに入学し、現在の相方と「チューリップメロンパン」というコンビを結成。M-1に憧れていた僕は養成所に入る前から何本かの漫才台本を書いていた。POISON GIRL BANDさんや東京ダイナマイトさんの漫才が好きだったので、所謂"正統派"と呼ばれる漫才台本では無かったと思う。途中までテンポの良い漫才コントだったのに最後急にお芝居っぽくなってホラーテイストで終わる漫才や、屁理屈漫才のような入りだけど最後は「腕相撲実写版」と言って二人共が身体全体で腕を表現し相撲のように闘う漫才(この描写でどれだけ伝わるだろうか?)をやっていた。

コントの台本は養成所に入ってから書き始めたと記憶している。一番初めに書いたコントはそこまで演劇チックなものではなかった。飛行機の中でCAさんが「この中にお医者さんはいらっしゃいませんか?」と問いかけるというベタなシチュエーション。中のボケもダジャレのようなものが多く、最後は「CAだけに…シェ~ッ!!!」と「おそ松くん」のイヤミのギャグでオトすという昭和の匂い漂うコント。(嘘みたいだろ、それ書いてるのアチャじゃなくってモネなんだぜ?)

それがいつだったろうか、そしてなぜそのコントを書こうと思ったんだろうか。ある時「犬猿の仲も捨てたモンじゃない」というタイトルの長編(といっても5分程度)を書いた。設定自体は「もうやり尽くされ過ぎているだろ!」と言いたくなる「桃太郎」。登場するのはそのお供の猿と犬。最初は猿役の僕のモノローグから始まる。ボケとツッコミも明確ではなく、時にはアツい御芝居のようなやり取りがあって、最後はどんでん返しのブラックオチ。

そのコントはおそらくそれまでにコンビでやってみたネタの中で一番"お笑い"っぽくなかった。けれどもやっていてお互いに一番しっくり来たというか、やっていて愉しい、気持ち良い、そんな気がした。

そしてそんなコントをネタ見せの授業で披露していると、ある時同じクラスの赤井という男(後のZAZY)が声を掛けてきて「絶対視た方がええよ。」と言い、翌日ラーメンズさんのDVD BOXを貸してくれた。

僕は家に帰って早速そのDVD BOXの中から「CHERRY BLOSSOM FRONT345」を再生して視聴した。一番最初のコント「本人不在」の冒頭のシーンで「この人たちは一体何をやっているんだろう?」と思って視ていると、その後の一言で「ああ!そういうことか!」となり会場も大爆笑。「何だ、この人たち!!?」とそのままグイグイと惹き込まれていき、「エアメールの嘘」「レストランそれぞれ」で御二人の演技力や表現力に圧倒され「怪傑ギリジン」「ん何これぇ!!?」ってなって、かと思ったら「小説家らしき存在」「うぉうぉおぉおおぉおおぅうぉおぅおぅおうッツ!!!」ってなって、そっからまた「マーチンとプーチン2」でゲラゲラ笑って、最後は「蒲田の行進曲」「うぉうううぉ!!!あのコントと繋がっとるやんけ!!!」ってなって「銀ちゃんかっこイイイイーーーーッ!!!」ってなって、もう完全に心を奪われた。その日のうちにDVD BOXに入っていた4巻全てを視終えた。(※もちろんATOMの「採集」を視てこの日二度目の「うぉうぉおぉおおぉおおぅうぉおぅおぅおうッツ!!!」が出たのは言うまでもない。帝王閣ホテルや金部の歌を口ずさんだことも言わずもがなである。) そして翌日そのDVD BOXを相方に貸した所、おそらくはほぼ全く同じような衝撃を受けたようだった。そしてお互いに「俺らもいつかあんな面白くてカッコいい凄いライブをやろう!」と誓った。

うん。いろいろと前置きが長くなってしまったけれど、結局は二人してラーメンズさんに心を奪われたことが「単独屋」を名乗る未来の始まりだった訳だ。それが今やトゥインクル・コーポレーションに所属できている幸せよ。

その衝撃を受けた2010年から4年経って、ようやく第1回目の単独ライブを開催することが出来た。僕らの2つめのコンビ名「黒子(ほくろ)タクシー」名義での最初で最後の単独ライブ『TOKIO』。そこから2022年10月30日現在まで14回の単独ライブを行ってきた。ここまで続けてこられた理由には様々なものがあると思う。愉しみにして観に来てくださるお客様や制作協力をして下さるスタッフさんの存在もかなり大きい。けれどもやはり一番大きな理由・要因は僕と相方が「『単独ライブ』というものが何よりも好き」だということだと思う。

他の芸人さんたちが単独をやった後に「もうやりたくない!」みたいなことを言っているのをよく耳にする。まぁ本音じゃないかも知れないけれど。でも僕たちはおそらくその感情になったことが一度もない。多分お互いに「早く次がやりたい!」って思っている。強がってるとかじゃなくって本心でね。

芸人なんていうのは「好きなことしかしたくない!」っていう我儘な生き物だと僕は思う。少なくとも僕と相方はそうだ。だから一番好きな「単独ライブ」をずっとやり続ける。「そういうのは売れてからやれよ!」っていう声もあるかも知れないけれど、売れる前に死んじゃって好きなことやれずに終わるの一番嫌だもん。だから僕らはそっちを選択した。喧嘩もするけれどここまでずっとコンビ組めてるのって、多分その気持ちが一緒だからなんだと思う。

2分や5分のコントだと勝てないかも知れないけれど90分、120分の単独公演では絶対に負けない自信がある。だから「僕たちの一番の武器は『単独ライブ』ですよ!」という意思表示の為に「単独屋」という看板を掲げている。カレー屋さんが「飲食店です!」って言わずに「カレー屋です!」って言ってるのと同じ。

長尺のコンテンツが敬遠されがちな昨今ですけれど、そんな時代だからこそ負けじと長尺の単独ライブを創り続けたい。もちろん闇雲にではなく、僕らが創るものを愉しんでくれる人に見つけてもらえる為の工夫や努力はしなきゃいけないんだけれどもね。

前置きが長くなりましたが(まだ前置きだったんかい)、そんな単独屋の過去の単独公演のほぼ全てを期間限定でYouTubeに公開致しました。すべては2022年11月23日の最新単独公演に興味を持って観に来て戴く為。再生リストを貼っておきますので、このnote記事を読んで少しでもジャパネーズに興味を持って下さった方は是非ぜひご覧になって下さい。そして願わくば最新単独を観に来て下さい。何卒宜しくお願い致します。

☟第0回から第13回までのジャパネーズ単独公演集☟

☟こちらは僕のピン単独も含めた更にディープな2020年12ヵ月連続単独集☟

どちらも11月の単独終わりまでの期間限定公開となりますので、お見逃しなく。

☟最新単独の来場予約はこちらから☟

もう午前4時を過ぎてるじゃないか。まいったね、まったく。