インスタに書いたからここに残さなくてもいいのだけれど胃も痛すぎて
多分、昨日は前よりも見せたい姿を見せられたライブだったのではなかろうかと観ている側も感じたので残しておくと、する!
https://www.instagram.com/p/C9LBNsESsOn/?igsh=MXg0eG1ybXUzMGh1bw==
↑インスタが上手く貼れません
修正出来たらする
以下、ライブを観た自分が書き残した想い
正直、書き残したくないなという気持ちで今この投稿に向き合っている。
もう言語化出来る領域を超えた姿を見せてしかいないのが君島大空なのだけれど、
少し前までは「閉じ込めていた自分自身を解放する」姿を見せていたのが、そこから先を歩んでいっているのが今の君島大空なのだなという事を今回の合奏での姿で強く感じていた。
ピアノを弾きながら歌うという新たな表現を見事に自分のものにしている姿に「一体この人はいつ練習したんだ?」というくらい譜面も見ずに弾いて歌う姿は本当にストイックさを極めに極めた姿でしかなかったし、ギターではなくてピアノに変えると同じ曲でもこんなに曲の印象が変わるのかと新たな面ばかり見せられて、新しい君島大空に毎回なっているので今後この人何になっていくの?と、
もうわからない所に生き進んでいっている。
こんなに短期間で何が彼を大きく変化させたのかということを私はずっと考えているけれど、実は君島さん自身もよくわかっていないままで進んでいるのかもしれないなと感じたりもする。
彼の存在そのものが、何でも試してみるやってみる、みたいなその生き方は凄く潔くて光だなと思うし、目の前にいる君島大空は光そのものだった。
汗を流し感情が昂ると眼鏡を外し、ギターと一体になっているアンコールでの最後の姿は、君島大空という「音楽」であり「物語」であり「情熱」であり「愛」だった。
全身で愛を叫んでいるような人になり
情熱そのものになった姿を、
観れたことを
5年追いかけていた事を
本当にこういうことが起こる
それが人間として
幸せ
ということなのだろうと
思えたライブだった。
私にとっての最強の「愛と情熱の人」だなと
5年愛してきて凄く幸せだと思った
#君島大空合奏形態 #君島大空 #ohzorakimishima
ここのnoteは特に去年は自分の内側の事を沢山書けるだけ書き出した感、
その中で君島さんのライブを観続けながら少しずつ変わっていく自分の事も残したので、
その記事たちを遡って、そしてこの今一番新しい記事に辿り着いた時に
君島さんがどれだけ変わっていったか、
私はその姿に影響されて、人生そのものが変わって、
今の私になれて、良かったということ、
君島さんが今の君島さんに辿り着けたこと、
本当に偶然にも同じ時代を生きていること、
この偶然がなかったら
私は今の私ではないから
私が私のままでいいのだということを
私が私として生きていっていいのだと、
生きて
音楽で
気付かせてくれたたった唯一の人、
家族でもなく
結婚相手でもなく
自分の子供でもなくて、
君島大空だった
っていうのを
私は
ここに残して
いつかここがなくなっても
私がいなくなっても
君島さんがいなくなっても
そんな人がいたんだなっていうのが忘れ去られる未来が必ずあったとしても
まだこれからも生きていくことで
私はあなたの音楽が、存在が、
大好きで愛しています
と
伝え続けていきたい。
それだけを今は思っている。
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