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あの頃子供だった自分がドラマ『真昼の月』をあえて今だからこそ観ることにしてみた
夜以外に空を見ていると白い月を見ることが出来る。
その度に私はこのドラマを何十年も思い出し続けていた。
真昼の月
『真昼の月』を観ていた頃は家で夜は勝手に連ドラが当たり前に観たくもないのに流れている、そういう時代の中で私は生きていくしかなかった。
ただ、このドラマは内容的に親と一緒に観るものではないので自室にやたらと古いテレビを今となってはいつ入手したのかも忘れたが気付いたら自室にあったので多分一人で観ていたのだと思う。
私の子供の頃はドラマでの表現の規制が今のようではなかったので、私は幼少期からテレビで女性の胸が露出しているのを定期的に見かけては「大人の女の人の胸だ…」とこれは見せていいものではない気がするのだがそれが普通な狂った時代の時に子供だったので今振り返っても刺激が強すぎたのではないかという気がするし何故女性が露出してサービスするのが当たり前の番組が流れていたのだろう。振り返ると真面目に女性の性に対して軽すぎて狂っている。女性の肉体は男性の性欲を満たすために存在するのではない。
おかしい。
話が逸れたが何故かこのドラマのことをふと急に思い出し、今になって再び観たくなったので配信がないか探したがなかったので仕方なく動画検索をしたら数話だけ観れることが出来たので観てみた。本来無料で観ていいものではないのと結局最初と最後の数話がないので宅配レンタルで借りてみた。無料お試し期間なので2枚まで一度に借りれるという事で1話は未だに鮮明に覚えていたのと切り取られている動画を観ることができたので最終話までの4話分だけ借りることにした。
一番観たかったのは最終話までの4話くらいだったのでとりあえず最終話だけはきちんと今の自分が観てみた。残りの3話は飛ばし気味でかいつまんだ感で観てみた。
子供の頃観た『真昼の月』というドラマのレイプシーン、今観たほうが生々しかったし再放送はできないなっていうか今は大昔のドラマはそもそも有料でネットで観れるからしないが、子供の頃に観たドラマがバブル崩壊後徐々に暗い作風のものが増えて流行っていたのでその頃の日本特有の閉塞感も相まってそういう作風ばかりが増えていたのかもしれないなという今更の気付きしかない
だからつまり結構ヘビーなものを観て大人になったということで激しいいじめのドラマもあったし子供だけが罹る死に至る感染症で子供達だけが隔離された生活を送るドラマもあったし、レイプされたが何故かその相手に恋に落ちるドラマ(この心理状態は全く理解不能なわけではない、ショックすぎて好意へすり替えてしまうという人間がしがちな美化)、夫がマザコン且つストーカー、泥沼不倫(不倫ものは今も定期的に作られるので人間に永遠につきまとうもので私は不倫は悪としない。人間はそんなにきちんと決まりと感情をわける事ができるほど賢くなく弱い)、人間の残酷さと脆さを作り物でも観てきた世代なのだな、だから今の私達の世代ならではの考え方があるのだろうという実感が今のほうがある これがもう10年くらい後から生まれ生きている人だと観てきたものが全然違っていて、私はそれを今の年齢だからこそ差を感じ、間に挟まれた世代だなという、だから後から生まれて生きている人達に自分達には確実に実感できないような「希望」も同時に感じている
そして続きというか補足っぽいものを足すと『真昼の月』は当時両想いの相手がいる中で女性の方が物語の割と序盤でレイプ被害にあってしまい想いあっているがトラウマで上手くいかないというのを長い時間をかけてやっていて、当時何故こんなに話が進まないのだろうと子供ながらに感じ、でもレイプされたが好きな人がいる女性、レイプされたとか関係なく好きでい続けでも相手をどうしたら救えるのか悩み続けながらも愛する男性、両者の葛藤を繊細に丁寧に作り上げて最後は女性が好きな相手に心と身体を開いて結ばれて被害は裁判する事にして「自分達が幸せになることが加害者への復讐」とする、今だからこそもう一度観たいドラマだこれ...襲われるのも観て、結ばれるのも観てっていうのがあって、今ここまで生きてきたからこそ理解できる感情の流れがあるのだろうって考えたら良いドラマだったのだろうなこの作品。ただ同じ被害にあった経験のある人は観れないくらいの作品で、一見勝手に与えられたようで、でも困難の中で生きていくことについて考えることも確実に与えられ、考えてきた子供達の生き方そうでない子供達が生き続けた中での差は確実に生じているのだろう
ドラマ『真昼の月』の主人公が傷ついた好きな相手の救えなさに相手から抱いて癒やしてくれと言われてやめたほうがいいと断ったにも関わらず早くしてくれと言われたし好きな相手は服着てないから勿論性欲も募るだろうしそんな中であれこれ葛藤と恋心が滅茶苦茶な中で相手の要望を受け入れた挙げ句結局ラブホの内線電話で相手から頭殴られて拒否られたら流石に「俺にも感情はあるんだよ!所詮君は俺のことなんか好きじゃないんだよ!」と言いたくなるよな、これめちゃめちゃリアルすぎこういう立場でいたらこの一言しか出てこないわ...辛い。よくこの演技を29歳(多分)でやったよ...凄いな
↑まあなんか具合が悪くて他の事に集中できない時期にあれこれ書いたことをnoteにもまとめて貼りつけてみる
ここまではDVDを借りる前に書いていた文章
自分の肉体は女性なのでこのドラマだとレイプされる側の肉体の人間として生きている。当然こういう経験をするであろう恐怖はこの肉体である限り常にある。年齢関係なくレイプはされるのである。(以前高齢女性がレイプにあったという事件を聞いたことがある)
勿論性別関係なく性的暴行は世に確実に存在している。
何故人間は性的な暴力に走る人とそうでない側がいるのだろう。
『真昼の月』の主人公(彼)のほうがレイプ時に残った彼女の身体の傷に口付けするの、深い惜しみない愛情と二人の幸せな未来への願いと彼女の一生抱える傷への哀しみが込められた口付けで、更に結ばれるシーンが脚の動きと彼女の表情だけで相手を受け入れられる自分に変われたのだというのとそれを幸せに感じている表情であまりにも良すぎて泣く...と同時にやたらと生々しくてドキドキして寝れなくなった
それはどうでもいいが 本当に今のほうがこういうドラマが必要なんだよなんだ今の日本...
どうしてこんな当時よりも更にどうしようもない感になったのだろう 人間のバカバカしさが自分も込みで嫌いだし消したい
ここで先週くらいから昔放送されていたドラマ『真昼の月』の事を書いていて流石に古すぎて宅配レンタルDVDを借りたのだけれど1996年の時点で「精神科に自ら来る人って少ない、でもこれからは心の病気を抱えていく人が増えると思う、日本ではそういう人達を受け入れない」↓続https://t.co/V9atlynvMk
— HoKuNa コミティア148参加予定 (@_hokuna) March 19, 2024
→的な事をこの時代で既にこんな台詞が出てくるドラマがあったのに国としてはこの30年くらいであまり変わっていなくていつまでも変わらない国は変わっていく国に負けて滅びるわなそりゃ、と飽きれた。と同時にこのドラマ今だから観てほしいわ…当時なりにかなり拘って作った作品だったのだろうな↓
— HoKuNa コミティア148参加予定 (@_hokuna) March 19, 2024
→で、このドラマのタイトルで検索するとやはりブログで感想残している記事を見つけられるのでその中でよい記事があったし、Amazonレビューにも残っているけれど実際は心の傷は「はい消えました!」なんてことは大体一生ないのよ
— HoKuNa コミティア148参加予定 (@_hokuna) March 19, 2024
夜以外に月を見る度に「真昼の月ってタイトルなの何故なの」と未だに思うことがあったけれど「真昼の月は見えにくくても常にそこにある」という意味を込めたのならもうこのドラマの主人公たちの関係そのものなのだと思うと沁みるっていうかこういう話を今だからこそ放送してくれよ…
— HoKuNa コミティア148参加予定 (@_hokuna) March 19, 2024
と、実はこのあたりまで書いてこの記事を半月くらい放置してしまったので私は『真昼の月』の最終回を何回か繰り返し観た上で続きを書く。
とりあえず1996年に作られたドラマとしてはよく考えあれこれ細かく調べた上で脚本が書かれたのが伝わる。12話でじゃあこんなレイプされた女性が立ち直るのかといったらまあちょっと無理があるが12話という制約がある中では相当端折らないで作り上げた作品だと思う。
「心の傷を治す特効薬はどこにもない」
「あの事件のことだって完全に忘れることなんて出来ないし、これからだってもっと辛い事が増えていくかもしれない。でもそういうことをちゃんと見つめながら生きていくしかないんだよ。生きていくべきなんだよ、俺たち」
等、強く心に刺さる一言が度々出てくる。
あれこれ印象的な台詞を辿るとこのドラマ自体はレイプを題材にしているだけで、大きなテーマは「生きていく中で負ってしまった心の傷にどう向き合い生き続けていくか」なのだろう。
そしてレイプが題材なので一見そういう経験がある女性に向けて作られているのかと思いきや寧ろその逆で、この作品は
「自分の好きな人がレイプにあいました、あなたはその好きな人とどうしますか?」
という男性に対しての大きな問いそのものなのですよね。
脚本が男性が書いたものなので、やはり同性である男性に対してその問いを強く込めて書かれたのだと女性である私から観るとこの解釈に最終的に行きつく。
女性が書いたら確実にこの作りにはならない、ずっと相手の男性が苦悩している表情がこれでもかというくらい圧倒的に多いっていうかそういう顔しかほぼしていないのではないか、という作品なので、男性が男性に「あなたならどうする?」と強く問いたく、考えてもらいたかったのだろう。
ここまでこのドラマをこうして振り返ると寧ろ今こういうドラマを多くの人が観ることが必要な気がしてきた。
2024年、時代はこのドラマ放送時から約30年経とうとしているけれど何が変わったのだろう。結局変わらなければいけないところが何時まで経っても変わらない、それが自分の生きている国であり、世界であり、周りの人間もそうだ。
心の傷に向き合うという点では私は去年秋以降自分の傷には散々向き合って今の自分がいる。
大分変ったし、もちろん変わらないところもある。
でもやはり確実に言えるのはこのドラマにも出てきた
「心の傷を治す特効薬はどこにもない。」
そして
「心の傷は心の傷に向き合っても一生治ることはない」
これが私の人生で傷に散々向き合ったうえで出した結論だ。
悲しいけれどそうなのだ。
なのでやはり変わらずに日々希死念慮が私の中にきちんと存在していて、
最近私自身の事を「私自身が希死念慮そのもの」と肯定し、言葉にすることで自分自身をみつめながら生きていくことにした。
それは度々しんどいのだが
私も
「でもそういうことをちゃんと見つめながら生きていくしかないんだよ。生きていくべきなんだよ」
と思う。
そしてそういうことを見つめるだけじゃなくて別の原動力に変えていきたい。
全てのこの世界に存在する心の傷へ。
想い、願いを込める。
何も救われなくても
なにも叶わないのだとしても。
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確かに見えなくても存在している
今日も
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