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#028 ハワイイ好きなのになんにも知らない L&L のこと

冒頭の、冴えない写真。
店名のところ、L&L DRIVE-INN と記されておりますが、現在よく知られている名前は L&L Hawaiian Barbecue ですよね。黄色いコーポレートカラーでお馴染みの。

実際には無数と言っていいほどのメニューがあります

ハワイイにおいてはアイコンのひとつであり、そしてあまりにも当たり前の存在です。今やハワイイ州内に限らずアメリカ本土、さらには国外にも展開を広げておりますが、しかしよく考えてみるとなんにも知らない。
今回はこれを深堀りしてみようと思います。

取っ掛かりとして、L&L DRIVE-INN と L&L Hawaiian Barbecue、両者はどう違うのか?
まずはそこからだ。

オリジナル「L&L Dairy」の誕生

1952年に韓国系移民のロバート・リー・シニアと妻のアイダによって設立された「L&L Dairy」という乳製品販売店が、すべての始まり。「Lee and Lee(リー夫妻)」が L&L の名称の由来だそうです。へええ。
当初は、オアフ島のワイマナロに牧場を持ち、ホノルルのサウスキング・ストリートに加工工場を構えて、牛乳や乳製品を生産していたとのこと。

でこの L&L Dairy は、地元の小売店や専用の「ミルクデポ」と呼ばれる販売所で製品を売っていたそうです。
これらのデポでは、牛乳だけでなくアイスクリームやジュースなども提供され、顧客が車に乗ったまま購入できるスタイルが採用されており、その利便性が人気を得ていたとの話。
ミルクデポは4つあって、そのうちのひとつであるホノルルのリリハ・ストリートの販売所を、事業のメインの拠点に据えることとなります。

そこから「L&L Drive-Inn」へ

6年後の1958年、リー夫妻はこの乳製品販売業を、日系人の平山兄弟に売却します。
平山兄弟は、1960年代に乳業から軽食事業への転換を図り、スナックバーやソーダファウンテンを併設した店舗運営へと進化していきました。リー夫妻のミルクデポ時代から採用していたドライブイン形式も相まって、地元のコミュニティから支持を集めたとのことです。

業態の転換があったこの時期に、L&L Dairy から L&L Drive-Inn へのブランド変更が行われているのですが、まだ現在のようなハワイイ特有の「プレートランチ」というスタイルを主力とする経営ではありません。

そして新たな展開へ

さらに1976年、エディ・フローレス・ジュニア(Eddie Flores Jr.)と、ジョンソン・カム(Johnson Kam)という両名が、2万ドルでこの事業を買収します。
特にフローレス氏は不動産業で成功していた人で、銀行業務の経験もあり、それらが事業買収およびその後の展開の礎となったようです。

そんな彼の経歴を辿ると、フィリピン系の父と中国系の母の間に香港で1954年に生まれたものの、彼の家族は財政的に苦しく、16歳の時にいったんハワイイへ移住しています。しかしながら困窮の状況は変わらず、サンフランシスコに住む叔父の支援を受けて、彼だけがサンフランシスコで高校生活を送ることとなります。
その後、進学のためハワイイ大学を選び、再び家族の元へ戻った形で、こういう経験から彼は若い頃から自立心を養い、家族を支える責任感が強くなったのではないか、と推察せずにはいられません。

なぜL&Lは成功したのか?

買収の時点で、軽食事業「L&L Drive-Inn」としての形態はすでに確立されており、彼らはこの名前を引き継ぎました。
とは言っても、彼らにはレストラン運営の経験はまったくなかったのです。
特にフローレス氏にとっては、苦労してきた母親のために「L&L Drive-Inn」を購入したという意味合いが強くて、あくまでも家族の支援が目的。ですから当初、経営のために特別な計画などもなかった、とのことです。そうなのか。

にもかかわらず、この小さなドライブインは、彼の創意工夫や事業感覚によって次第に成長していきます。

では具体的にどんな工夫や要因があったのか?
というと、それらは上記の記事でフローレス氏自身によって語られているのですが、まとめるとこんな感じ。

  • フローレス氏の不動産業での成功を基盤とした資金調達。

  • ハワイイ独自の「プレートランチ」スタイルの導入。

  • 効率的なフランチャイズモデルを確立し、地域に根差した食文化を活かしたブランド戦略を展開。

この戦略変更が、店舗に独自性を生み、ローカルのみならず観光客からの人気の獲得にもつながっていきました。

中でも、19世紀の移民労働者たちが持ち込んだ中国・日本・ポルトガル・フィリピンなどの料理が融合した、「ハワイイローカル料理」という独特のジャンルによるプレートランチを販売の主力商品としたことは、非常に大きなポイントでしょうね。
またそこに、カルアポークやラウラウなどの伝統的ハワイイアンメニューも加わり、ハワイイの豊かな食文化と多様性の象徴として、今や単なる飲食フランチャイズチェーン以上の存在となっています。

さらに「Hawaiian Barbecue」へ

1999年、L&L は「Drive-Inn」から「Hawaiian Barbecue」へとブランド名を変更。このリブランディングは、ハワイイの土着商売から全米展開に移行するに際して、「アメリカ本土の人が分かりやすい名称」に改めるという狙いでなされたものでした。
そして同年、カリフォルニア州ロサンゼルスに最初の店をオープンさせます。ハワイイから遠く離れた土地でも、プレートランチが共感を呼び、広がりを見せました。
これは、単に出店先で新規の顧客を獲得したというだけではなく、ハワイイから移り住んだ人たちの郷愁を満足させるものでもあったということです。

初期の面影を残す店舗たち

「L&L Hawaiian Barbecue」のブランドが広く認知された今でも、「L&L Drive-Inn」の名前を冠した店舗がハワイイ各地に残っています。

いくつか実際に訪れた例を挙げますと、まず冒頭の写真のカリヒ店。
下に再掲しますが、コーポレートカラーの黄色に無理に変えたりはしないまま、長く地元の人々に愛され続けているのでしょう。

入居している建物の色が たまたまこれなのか

他には、今でも残っている、創業の地として由緒あるリリハ・ストリートの、掘っ立て小屋のような1号店。

看板はギリギリしか写っておりませんが

カイルア店。

DRIVE と INN の間に ハイフンがあったりなかったり


ホノルル空港近くのマプナプナ店。

こちらもハイフンはありませんな

これはワイマナロのお店。
おそらく地元の子が描いたものを額装して掲示しているのでしょうが、いい観察眼です。

上の店名のところ、見切れておりますが、確かに L&L DRIVE INN です

それから、サウスキング・ストリートのモイリイリ地区にある店舗。
外観写真を撮るのを失念しているものの、店内にひっそりと置かれていたプレートに記されるように、1994年に開店の19号店で、ここの正式な店名は「OLD STADIUM」なんですね。

店名の部分を拡大してみましたよ

ここで話は少しそれますが、この「OLD STADIUM」なる店名について。

由来は、「ホノルル・スタジアム」だそうです。現在この店が立つ地の近くにかつて存在していたホノルル・スタジアムは、ハワイイ大学のフットボール試合や野球、コンサートなどが行われる重要な施設でした。
1975年にパールハーバー近くに現在の「アロハ・スタジアム」が建設され、ホノルル・スタジアムはその役割をアロハ・スタジアムに引き継ぐ形となります。
その後、1976年にホノルル・スタジアムは解体。
取り壊し後、その跡地は、この店からサウスキング・ストリートを挟んだ反対側の場所にある「Honolulu Stadium State Park」という名称の公園として整備されています。

つまり L&L はこんなふうに、地域の歴史的背景を考慮したり、それを記憶に留めることを大切にしているのでしょう。

しかしこれらのような歴史遺産は別として、新規出店に際しては当然、コーポレート・アイデンティティの遵守が不可避なわけですが、それにしては「CIどこ吹く風」という例もありまして、そういうところがハワイイゆえなのかどうか。

ハワイイ島のカイルア-コナ店。いつまでこうして放っとくのか?

日本では、というと

L&L Hawaiian Barbecue の日本への進出は、2003年に東京での出店から始まりましたが、その後の展開は限定的で、残念ながら最終的に日本市場から撤退する結果となりました。

調べた限り、L&L Hawaiian Barbecue の日本展開に関しては、日本法人が設立された形跡がありません。となると、L&L の日本進出は現地(つまり日本国内の)パートナーと直接のフランチャイズ契約を通じて行われたと考えられますね。
確かに L&L は、各々の店がそれぞれ独立経営のフランチャイズ方式なのが本来で、もちろん各種のビジネスサポートはあるにせよ、アメリカ国外でそれはなかなか難しいんじゃないでしょうか。
そもそも日本市場での外食産業の競争は極めて激しいもので、人気の高い他の飲食チェーンに比べ、L&L の「ハワイイアンプレートランチ」というコンセプトは、十分な市場シェアを獲得するに至らなかったのでしょう。

これからのL&L

現在の経営者であるエリシア・フローレス氏は、エディ・フローレス・ジュニア氏の娘です。
彼女は2014年に L&L に参画して、2019年に父親からCEO職を引き継ぎました。それ以前は、ゼネラル・エレクトリックで8年以上のキャリアを持ち、財務監査を始めとして幅広いビジネス経験を積んできたとのことで、それが L&L の事業戦略の確立や成長施策の実行の支えとなっているのでしょう。
また、彼女自身がアジア系アメリカ人女性という立場ですから、多様性や新しい視点を取り入れたリーダーシップの発揮も期待されていることと思います。

はたしてこの先、日本市場への再挑戦という可能性はあるんでしょうか?
わたくし個人としては、あくまで彼の地で食べてこその L&L 、という気がするんですけどねー。

必ず食べるチキンカツカレー。


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