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罪悪感に寄り添う

よく「罪悪感は手放した方がいい」と言うけれど、罪悪感を無理に手放そうとするのは難しい。


私はまだ0歳の次女にずっと罪悪感を持っていた。

一番の理由は2歳の長女が赤ちゃん返りや荒れたりしないように、次女が泣いていても上の子を優先してしまっていたこと。

でも赤ちゃんだって気持ちは伝わっているから、愛情不足にならないようにしなくてはという思いもあった。

全て〇〇しないと!と思い込んでいた。

きっと罪悪感はそんな思い込みから作られるのだろう。



死産やNICUに入った経験から、一人目の時はこわれものを扱うようなハラハラした日々だった。

次女はお腹の中から元気に動いていて、何か大丈夫だという安心感があったのもあるけれど、

すでに一人子どもがいるから万が一のことがあっても…という気持ちが1ミリくらいあったのは事実。
最悪だから認めたくはないけれど。


生まれた時、真っ直ぐな瞳に見抜かれているような気がして少し怖くなった。

でも二人目だからという安心感は、きっと誰にでも何かしらあるはず。


今回私は産後の高血圧になって、夜の授乳は家族にミルクをあげてもらった。

そして体調が戻ってからもイヤイヤ期の長女に手一杯だからとか建前をつけて、
自分の楽さを優先して、午前中一回のみ母乳であとは手早くミルクにしていた。

きっともう少し頑張れば、毎回母乳をあげれたのかもしれないけれど。



でも母乳をあげることは生命の交換で尊いもの…深い愛情を与えられるもの…と
何よりも私が、今しかない貴重なこの瞬間の愛を授乳という形ですがっていた気がした。


6ヶ月の頃、私が風邪気味の時に一週間完全ミルクにしたらすぐに母乳を拒否するようになった。

無理やりあげようとしても体をよじって大泣きした。


拒否されることのショックや、母乳を少しでも飲ませた方が免疫がつくからと飲んでほしい気持ち、やはり愛情不足になるのではと恐れがあった。
なぜあの一週間あげなかったんだ!と後悔もした。


人から見たら何悩んでるの?と笑われるくらい些細な出来事だけれど、複雑な気持ちが重なっていた。

母乳神話は信じていないし、様々な理由で完全ミルクでも全然アリだと思っている。

けれどきっと私はたくさんの罪悪感を、授乳で愛情に変えたいと思っていたから。


罪悪感を持っている自分。
罪悪感を持ってはいけないという自分。
罪悪感を持っているから優しい私と思いたい自分。
罪悪感を持ってやっていると人にアピールしたい自分。

罪悪感には様々な想いが隠れている。




そんな時…罪悪感を感じている自分に寄り添ってみる。
その全部をありのまま受けいれてみることから始まる。






このままでは次女に罪悪感を持ったまま接してしまうと、罪悪感を持っている自分をイメージして自分と繋がる瞑想 をしてみた。


寄り添って話を聞くと

「あの時の私はそれが精一杯だった。
いつも精一杯の状態で最大限の愛情をあげられていたよ。
だからあんなに笑ってくれるんだよ。」と
内側の私は言ってくれた。


風邪がうつらないように控えたことも愛。
嫌がる母乳を無理にあげないことも愛。
そして、自分を優先した時も自分への愛。



罪悪感はカチコチの思い込みから来ていて、複雑な罪悪感は全て愛だったと気づく。
自分へ相手への精一杯の愛。


バスタブに浸かって瞑想していたから、まだ母乳が出る乳房にも「働いてくれてありがとう」と
伝えて抱きしめてあげた。






育児って手探りだから、こうした方が良い!という文献や人の声に頼りがち。

でもその思い込みから罪悪感が作られるなら、自分と子どもを感じて、その都度どうしたらいい?と内側に聞くのが一番だなと改めて感じた。


長年の経験や周りの声から私達はたくさんの思い込みを持っている。
だからこそ罪悪感は自分に対して人に対して、沢山出てくる。

それも人間だからあたりまえ。
ジャッジして無理に手放そうとせず、まず寄り添ってみること。

その中の愛に気づくと、いつの間にか罪悪感なしで自分にも相手にも委ねられる。





夫や義両親に子どもを長時間見てもらう時も、罪悪感から急いで帰らないと!と焦りでいっぱいだったけれど、今では家族にも子どもにも心地よく頼れる私がいる。

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