祖母について

昨日、父方の祖母の事を書いた。

きっかけは、朝にテレビ東京で放送されている韓国ドラマ『ヒョンジェは美しい』を見ていたからだと思う。

ヒョンジェの彼女であるミレの母方の祖母が昨日の回で、亡くなった。

私の同居していた父方の祖母はドラマのミレの祖母とは全然違うタイプだが、おばあさんが亡くなる、その点だけで自分の祖母の事をあれこれと思い出していた。

ミレの祖母は、ミレの母親の養母で、ミレの母親が養子だということを周囲に隠して育て、それをミレ父の家にも伝えていなかった。認知症を発症し、それがきっかけで、亡くなる少し前に養子だったことを話してしまい、それがミレ父の母(ミレの父方の祖母)の知るところとなり、もめてしまう。
ドラマでもセリフ中に何度も出てきたが『子供が生めないこと』は、時代的にも女性側にプレッシャーがあり、引け目を感じていたためミレ母側の祖母はそれを公にしていなかったようだ。ただ、養子であるミレ母との親子関係は良好で、思ったことをそのまま口に出して言えない面はあるものの、お互いを思いやっていたため、亡くなった時のミレ母の悲しみは深い。

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対して私の父方の祖母は7人の子供を育て上げた、気骨の人だ。
私の記憶にある時はすでに「おばあちゃん」だったが、私が生まれる何年か前には祖父は脳溢血でたおれて半身不随気味だったようだし、私が2才の時にはその祖父も亡くなり、その後は、働きながら、自分の子供達の子育てを手伝う日々だったようだ。

なので、同居している私達が幼かった頃、私達の面倒を見るために、「同居していない母方の祖母」が我が家に通って来ていたのである。
(これは以前「ユーハイムのバームクーヘン」の回で書いた)

農家の嫁として過ごしてきた父方の祖母が、晩年、農業を趣味程度にして外に働きに出たとしても、そんなに実入りのいい働き口は無かったのではないかと思う。年金も大した金額ではなかったと思うが、毎年、お正月に集まる従妹たちや内孫である私達には、お年玉を用意してくれていた。
孫は総勢20人はいたので、結構な金額が必要だっただろう。
父は末っ子だったので、他の孫たちは私達よりも年上だった。
大人になって思えば、あの年齢(80才ぐらいでも、清掃の仕事を時々していた)でも働き続けていた祖母への尊敬の念しかないが、小学生の時などはあまりそんなことも分かってはいなかった。
どちらかというと、一緒にいる時間は母方の祖母の方が長かったからである。

私の両祖母はそういう意味ですべてにおいて対称的だった。
過ごしてきた若い時代も、生き方も、亡くなり方も。

20人もの孫を持つ父方の祖母。孫は可愛かったと思うが、すべての孫に同じように愛情をかける時間も術もなかったと思う。
そして、そのほとんどを農家の嫁・母として働いて人生を過ごした。
高齢になるまで働いていたが、働くことそのものも好きだったと思う。そしてまた、働いて自分で得た収入で自由に過ごすことも好きだったようだ。お友達や伯母たちとよく旅行にも行っていた。外交的でもある。

対して母方の祖母。孫は私達姉妹だけだったので、こちらの祖母は孫に対する愛情のすべてを私達姉妹にむけてくれていた。
幼い頃はお嬢様として育ち、専業主婦で人生を過ごしてきた。
専業主婦であるゆえか、個人の性質なのか、お友達と旅行に行くということを聞いた記憶はない。どちらかというと身内との関わりを深く丁寧にするタイプ。

長くなったので、それぞれの祖母については別の日に改めようと思う。
実際には母方の祖母については下書きは書いてあるが、投稿するかはまだ未定だが。
書くことと投稿することは同じではないから。

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