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ぼくはかげー 影と陰 

『漂えど沈まず、されど鳴きもせず』
がヨネダコウ先生の作品で一番好きです。

その思い入れが大きすぎて、矢代には影山との関係を全うして欲しいという思いが
「囀る」以降、百目鬼への嫉妬となって悶々と葛藤していました。
(少数派影矢推しの百目鬼アンチ😅)

『矢代の幸せを願っているはずなのに・・・』
大好きな作品読むのが苦しみだなんて不幸すぎる、誰か救って😭
それが先日、このわだかまりを溶かしてくれる文章に出会えたのです。

堀田明日香さんの「異字同訓」のInstagram投稿が興味深くコメントを入れさせていただきました。
「影と陰:陰は光が遮られて暗くなる場所、影は遮られたものが光源と反対に暗い形になったもの」
堀田先生が囀る沼と知った上で「影山と陰山という人物名の設定について」のコメントを書きました。
それにいただいた返信で心のつっかえが消え去ったのです。

堀田先生の返信引用です。
📝陰山さんは太陽の光を浴びれない。影山先生は、ギラギラした久我くんの光を浴びて、その形を影に模した。…だから、影山先生を照らそうとしない矢代さんではなく、久我くんだったのだと思います。
矢代さんは1巻で自分のことを「ぼくはかげー」と言っています。そして、影山先生を縁取ると、自然と久我くんの光の強さがわかるから、どこかで久我くんが影山先生の恋人でよかったと思っているんじゃないでしょうか。…📝

私はもうこれ読んで号泣。矢代が切ない。

影山は後にも先にも一度だけ惚れた"人間"
だから、『自分ではダメだ』
矢代と影山 共に陰陽の陰です。

矢代は影山に光が当たるよう久我を選ばせた。これは無償の愛・アガペです。

身を投げ出して影山の実家の地上げを阻止し、そのことを告げていない。これもアガペです。

影山から親友と言われて泣くように笑った矢代。
コンタクトケースを握りしめるくらいしか愛し方がわからない。

親の愛(アガペ)を知らずに育ったから愛欲(エロス)との区別がつかない。

それに気付かせて『人を愛する孤独』から救うのが百目鬼ならば、それでもよいと思えました。

救われた矢代は「もうずっと前から自分は孤独なんかじゃなかった、愛もすでに知っていた」と気づいてくれるはずだから。
そして、コンタクトケースは影山に返されるでしょう。

『漂えど〜』の最後の台詞の順番は入れかわることになります。
『人間は矛盾でてきている
 寂しくない
 寂しい
 恋しくない
 恋しい』
矢代はもう強がることなく、素直な思いを百目鬼に告げることができます。
寂しい、恋しい、そばにいて欲しい

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