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200.祝連載200回記念記事「200回連載して分かったこと」-PV数からの考察など-
はじめに
ついに200回目の記事を迎えることが出来ました。
(番外編やつぶやきも入れれば更新は300回を越えてます)
これも日頃から僕の拙い文章を読んで下さる皆さんのおかげです。
ありがとうございます!
ということで今日は、本編を200回連載して分かったことを書いていきたいと思います。
話題になった記事から考える
話題になった記事の中から、どういった内容にニーズがあるのかを考えていきたいと思います。
プチ炎上した記事
僕の書いた記事の中には、教団批判派と呼ばれるの人達が宣伝してくれた記事が4つあります。
それが、
「12、だからお供えがしたい」
「番外編、新型コロナウィルス流行による行事の自粛に関して、天理教信者が理解しておかなくてはいけない事」
「103、理の親について思うこと」
「156、真柱の理#1・157、真柱の理#2」
この4つです。
これらの記事が叩かれた理由は、
1、皆疑問に思っているのに、はっきり分かりやすい答えがオンライン上に無い
2、反対意見を出すのが容易
3、そもそもそこ(お供え、理の親など)に反感を持っている人が多数いる
などなど、色々な理由が考えられます。
そもそもこれらの話題は、伝え方を間違えれば誤解を生む危険性が非常に高いです。
また、お金や権力等に関する話題なので、このような話題を毛嫌いして避けている方も沢山居ると思いますし、下手なことを書けば炎上してしまいます。(僕のように)
だからといって、こうした話題から逃げることは問題を先延ばしにするだけだと僕は思います。
ここに対して疑問を持っている人は大勢いるわけですから、誤った理解を防ぐ意味でも、こうした話題は積極的に発信すべきではないでしょうか。
初期の頃は、記事の内容を叩かれるのがストレスになり、精神衛生上あまり良くなかったのですが、ここ最近はストレスを感じなくなってきたので、反対意見を持つ人にも記事を読まれていると言うことは、とてもありがたい事だと思えるようになりました。
反対意見や疑問、質問は大歓迎なので今後もよろしくお願いします。
天理教用語以外の検索ワードで読まれている記事
僕の記事はゴリゴリの天理教信者向けの記事なのですが、何の因果か、天理教用語以外の検索ワードでヒットして、おそらく天理教とは全く関係の無い方に読まれている記事が3つあります。
それが、
「15、人間は亡くなってから、どのくらいの期間でこの世に生まれ変わるのか」
「52、優しい言葉をかけるのは、めちゃくちゃ難しい」
「135、松尾芭蕉「古池や 蛙飛び…」この俳句がなぜ凄いか知ってますか?」
この3つです。
特に
「15、人間は亡くなってから、どのくらいの期間でこの世に生まれ変わるのか」
この記事は、PV数が単体記事で1万を越え、ぶっちぎり一番読まれている記事となってます。
(丁度今日1万を超えました)
これは凄く興味深い事だと思います。
「生まれ変わり」について考える時、「死」を抜きにして考えることは出来ません。
死ぬとどうなるのか?
天国や地獄があるのか?
生まれ変わりはあるのか?
こういった、死後に対して疑問や悩みを持つ人は少なくないことを表しているのだと思います。
天理教は「出直し」という教理で、ここにはっきりと答えを出せるわけですから、「死」に対するケアを積極的に行っていく方向に、お助けの可能性を感じました。
僕は何かを為し遂げたわけじゃない
このnoteを更新していると、色々な人から
「毎日続けて凄いね」とか
「とても真似出来ない」といった
お褒めの言葉を頂くことがあります。
褒めていただくことは嬉しいのですが、
毎日布教に出ている布教師や、
子供や老人のお助けをしている教会や、
地域に貢献している方の方が
僕なんかよりも何倍も凄いということを言っておかなくてはいけません。
記事を書き始めた当初は、
「ネット上に天理教のポジティブな情報をもっと増やしたい」
「一人でも多くの人にこの教えを伝えたい」
「信仰に迷っている方や悩んでいる方の背中を押したい」
といった思いで記事を書いていました。
しかし、
「直接、信仰を持たない方を相手にお助けされている方」には、いくら記事を書いても全くかなわないと思っています。
こうやって記事を書くという行為は、僕にとって「筋トレ」みたいなものなんです。
現在、僕の記事が、
「世の中の為になる」
「この記事がだれかの心の支えになる」
なんてことは一切思ってません。
ただ面白いと思ったことを書いているだけなので、言ってしまえばただの趣味なんです。
趣味なんですが、自分に信仰力と言うか、天理教力みたいなものがメキメキ付いていってることを実感するので、「筋トレ」だと思ってます。
ある時、モチベーションを他人に読まれること前提にしただけだと、継続することは出来ても、このnoteを維持すること自体が目的になってしまうということに気づきました。
だから、
今の現状に満足しないためにも、この活動は「筋トレ」という位置づけになるわけです。
お助けの体力をつけるために、記事を書き始めた昨年の12月から、毎日朝から晩まで天理教のことを考える生活を送ってきました。
ただそれだけの話なんです。
ですから、「別に僕は何かを為し遂げた訳ではない」特段凄いことをしているわけではないということを、この200回という節目に言っておきます。
連載100回目と200回目の違い
前回、連載100回目に到達した時と、連載200回目に到達した時では、別物と言っていいほど僕の状態に違いがありました。
連載100回に到達した時は、天理教のことはまだまだ全然分からない状態でした。
ですがこの度、連載200回に向かう途中で、段々と、しかし明かに天理教という教えの見え方が変わってきました。
なんと言うか、教えの輪郭がボヤボヤとしながら見えてきたような気がします。(あくまで気がするだけです)
その理由は、天理教の歴史を本腰入れて勉強し始めたことが原因だと思います。
これは、宗教全般に言えることかもしれませんが、教理と歴史はセットにして考えないと、深く掘り下げることが出来ません。
時代背景から、先人の性格と言ったかなり狭い範囲のパーソナルな部分まで掘り下げることで、神意がようやく見えてくるような経験を何度もしました。
(あくまで、見えてくる「ような」経験です)
またその過程で、疑問やわからないことが出てきた時に、何を調べれば良いのかと言う感覚も養われてきました。
こうした感覚や経験は、僕が(ほぼ)毎日更新をする上で身につけた、かけがえのない財産です。
毎日更新休止宣言
今後は、先日告知した通り毎日更新を休止させていただきます。
原因は告知で説明した通り、僕の体調悪いことが1番なのですが、もう少し踏み込んで言えば、1本記事を更新するために要する時間が、インプットする時間も含めるとおそらく毎日平均6時間以上かけていることも関わってきます。
(インプットの時間を除くと3時間くらい、内おまけタイムに1時間以上悩む日もかなりありました)
それだけ時間がかかる理由は、
単純に文章を書くことが苦手ということ、
また、自分が面白いと思ったことしか記事にしないというルールを設けているからです。
ですから、面白い内容が見つからなければ記事が書けないので、永遠と書籍を読み漁る生活をしていた日々でもあります。
これにプラスして、2月には子供も生まれましたので、本当に睡眠時間を削るしか無い日々でした。(コロナの影響で時間に余裕ができたため、なんとかなっていた節もあります)
ちなみに今は午前3時10分です。(オーマイガー)
ですから、僕の睡眠時間を確保することは、死活問題になってきました。(リアルな生き死にです)
とは言っても、毎日更新することを休止するだけなので、今後もどんどん記事の更新はしていきたいと思います。
おまけタイム
どーも!明日から睡眠時間を大切にする男
ほこりまみれの信仰者こーせーです!
毎日更新を休止するにあたって、
「うちの子の写真をお披露目する場」と
「おまけタイム総集編」
この2つをどうするか今非常に悩んでおります。
……んーーーあっ、気分が乗った時に、このおまけタイムで子供を登場させるのもいいかもしれませんね。
っていうかそれが良いですね!
今思いつきました!
これで「うちの子の写真をお披露目する場」の問題に関しては解決です。
(ザ・茶番)
おまけタイム総集編は、まぁ気が向いたらやれば良いですね。
ということで問題が解決しましたので、これで心置きなく毎日更新を休止したいと思います。
(ちなみに休止としたのは、記事を書くスピードが上がったら再び毎日更新したいと思ってるからです、多分無理ですが…)
本日も最後まで読んでいただきありがとうございました!
ほな!
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