214.信仰する上で一番大切なことは何ですか?



はじめに


先日、ある方から
「あなたにとって、信仰する上で一番大切なことはなんですか?」
と尋ねれたのですが、即答できませんでした。

2、3日考えた結果、現時点(2020年12月時点)で
「僕が思う、信仰する上で一番大切なことはこれだ」
と言えるものが分かったので、今回は備忘録としてこのnoteに記したいと思います。


一つに絞れない問題


「あなたにとって、信仰する上で一番大切なことはなんですか?」
この質問を受けて、まず真っ先に思いついたのは、
「おつとめ」
でした。

おつとめが大切だということは百も承知で、教祖がこの「おつとめ」を人々につとめさせる為に、現し身を隠されたことを思えば、
「おつとめが一番大切である」
と言っても過言では無いと思います。

実際に、僕に質問された方も、一番大切なものに「おつとめ」を上げておられましたし、おそらく天理教を信仰している多くの方が「おつとめ」と答えられるのではないかと思います。

でも僕は「おつとめが一番大切」と答えることができませんでした。

何故かと言うと、
「『おつとめ』が一番大切なら、『親神様』や『教祖』はおつとめより大切じゃないのか?」
という疑問にぶち当たったからです。

「そんな風に悩まなくて良いでしょ」
と思われるかもしれませんが、少しでも引っ掛かりがあったら、納得できるまで答えを出せないのが僕の性分です。

「親神様」「教祖」「おつとめ」を比べられるものでないことは重々承知しているのですが、「信仰する上で一番大切なものは何?」と言うからには、僕にとって「親神様」も「教祖」も「おつとめ」も、みんな同じ土俵に上がるので、しっかりとした根拠を持って、答えたいと思っています。

当日は思考がここで止まってしまったので、そのまま別の話題に移ってしまったのですが、この質問に答えを出さないまま放置する訳にもいかないので、1人悶々と考えることになりました。


何故「おつとめ」が大事かを突き詰めた先に答えがあった


まず、最も大事なものとして上がりやすいと予想される「おつとめ」が、何故大事なのかということについて少し考えてみたいと思います。

「おつとめ」の中でも、一番大切なのは
「かぐらづとめ」
であるということに異論は無いと思います。

天理教教典に

このつとめは、親神が、紋型ないところから、人間世界を創められた元初まりの珍しい働きを、この度は、たすけ一条の上に現そうとて、教えられたつとめである。即ち、これによって、この世は、思召そのままの陽気な世界に立て替わってくる。

このように書いてあります。

ここで注目したいのは
「……元初まりの珍しい働きを……現そうとて、……」
という部分です。

かぐらづとめは、元初まりの珍しい働きを現すことで、世界中を救済します。

ですから、「元初まりの珍しい働き」が、もし存在しなければ、その働きを現すことはできないので、
「かぐらづとめ」自体が存在しなくなってしまいます。

ということは、「元初まりの珍しい働き」がめちゃくちゃ大事になってくるということになります。

この「元初まりの珍しい働き」とは何かというと、「人間創造の際に現れた働き」のことであり、「元の理」という人間創造神話の中に記されています。

そして、この「元の理」の中に、僕にとって「信仰する上で一番大切なもの」の答えがありました。

冒頭の

月日親神は、この混沌たる様を味気なく思召し、人間を造り、その陽気ぐらしをするのを見て、ともに楽しもうと思いつかれた

という一文、
所謂「元のいんねん」です。

「元のいんねん」とは何かと言うと
「何故この世に産まれたのか」
「何を目的に生きるのか」
「どうやって生きれば良いのか」

この様に、人間の生きる意味を明確に示しているものであり、

「親神様が人間を想像された理由(原因)」
「教祖が神の社となられた目的」
「おつとめは「陽気ぐらし」を実現するための手段」

この「原因(親神様)、目的(教祖)、手段(おつとめ)」という、僕が順位を付けられず悩んでいたものを全て包括しています。

人間の知恵では絶対に辿り着けない、根源的な問いの答えが明確に記されているので、信仰する上で一番大切なものは、
「元のいんねん」
だと僕は考えます。

※これはあくまで僕が思う大切なものですので、他にも色々な答えがあると思います。


手段が目的になっちゃいけないって話


「元のいんねん」が一番大切だと思ってから、ふと思い出した言葉があります。

それは、
「手段が目的になってはいけない」
という言葉です。

「おつとめが大事」と皆こぞって言いますので、

「おつとめって、目的じゃなくて手段じゃん」

と一瞬思ったんですが、そう単純な話ではありません。

「手段が目的になってはいけない」
という言葉には、一般的に二つの意味が含まれています。(多分)

1.本来の目的を忘れてはいけない
2.目的を達成する手段は他にもある

この内「2.目的を達成する手段は他にもある」は、おつとめの場合には当てはまりません。

「おつとめ」は手段としては特殊で、代替手段が存在しません。

代わりの手段が無いので、おつとめは大事である。という事になります。
しかし、本来の目的である「陽気らし世界実現」のための手段であるという事を忘れてしまっては元も子もありませんので、「おつとめが大事」と言う場合には、

「おつとめが大事なのは、陽気ぐらし世界実現のための手段だから」

というように、「陽気ぐらし」とセットにして心に留めておかなくてはいけないと思います。

ちなみに、「歌って踊る事が陽気ぐらしである」という考え方から、
おつとめしている姿=陽気ぐらし
というように、おつとめが目的と手段のどちらも包括している悟り方もあります。

何が言いたかったかというと、おつとめは手段だけど、一般的な手段とは質が違うっていうことを言いたかっただけです。( ˘ω˘ )


おまけタイム


ど-も!ついに一周年を迎えた男
ほこりまみれの信仰者こーせーです!

昨日でnoteを初めて1年が経過しました。
なかなか感慨深いです。

特に何かするってわけじゃないんですが、ここは初心に帰って久しぶりにハゲあるあるでも言いたいと思います。



ハゲが一番精神的にダメージを受けるのは










自覚した時(経験談)



本日も最後まで読んでいただきありがとうございました!


ほな!







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