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126.正しい苦難の道を通れ 増野鼓雪

はじめに


「苦しいこと」=「悪い事」

だと勘違いされてる方が、まだまだ多いように思いますので、本日はそのことについて書かせていただきます。


苦労があるのは当たり前 


増野鼓雪選集にこのように書かれている文がありました。

 小さい事で言えば、旅をするにしても、天気の良い楽な道でも通れば、帰ってからそんなに心に残らぬが、通りにくい山路を雪の降る時にでも通ってくれば、後になっても忘れられず、思い出の種となる。この思い出が楽しみなのである。このように、楽な道を通れば後に残る楽しみは少ないが、苦しい道を通れば、いつまでも楽しみとなって残るのである。世の中でもこういう事は誰でも知っている事だから、お道ではなおさら、この苦しんだ理を楽しまねばならん。
 では、苦労があるのは当たり前では、お道の人は何でも難儀さえすればよいか、と言えばそうではない。同じ難儀するならば、正しい道で難儀しなければ何にもならない。自分で悪い事をして監獄にはいって、どれだけ苦しんでみたところが、それは何にもならん。で、われわれは正しい道を通って苦しまねばならない。


「苦しい道を通れば、いつまでも楽しみとなって残るのである」

苦労を重ねた上で為し遂げたことに、人は感動を覚えます。

昔NHKで放送されていたプロジェクトXという番組をご存じでしょうか。

この番組は、高緯度経済成長期に、産業や文化など様々な分野において、景品開発プロジェクトなどが直面した難問を、どのように克服し成功に至ったのかを紹介するドキュメント番組です。(wikipedia調べ)

この番組は、いかに困難を乗り越えたかと言うところに、面白さが詰まっています。

もし、なんの困難も苦労も無く、ただただ製品が完成しただけであれば、そこには何のドラマも生まれず、人々に感動を生むこともありません、

これは別に大きなプロジェクトに限ったことではなく、日常の中にもそういったことは沢山あります。

増野氏が述べているような、細い雪道を行くことなどは、まさしく日常の中にある困難だと思います。

突然ですが、僕は天理高校第二部を卒業しました。

知っている人は知っていると思うのですが、天理高校第二部には、理不尽なことや変な決まりは沢山あります。
しかし、今になって思うことは、
「もっと理不尽な方が面白かった」
ということです。

振り返ってみると、やはり思い出話に花を咲かせるのは理不尽な経験ばかりです。
同級生で集まった時に、
「スキー合宿面白かったね」
なんて話には、なったことがありません。

財産になるのは、いつだって苦難や困難を乗り越えた経験です。

「世の中でもこういう事は誰でも知っている事だから」

とあるように、これは当たり前のことです。

天理教でも
「楽の中に実はない、しんどの中に実はある」
と言われますように、苦しい中に実があると教えられています。

また、おふでさきにも

やまさかや いばらぐろふも がけみちも
つるぎのなかも とふりぬけたら (1-46)

まだみえる ひのなかもあり ふちなかも
それをこしたら ほそいみちあり (1-47)

ほそみちを だん〳〵こせば をふみちや
これがたしかな ほんみちである (1-48)

このように、苦労を超え、細道を進んだ先に、本道があるとおしえられています。

ですから、天理教の教えの中でも、苦労の先に楽しみがあることはしっかり述べられています。

苦難や苦労に出くわした時に、

「陽気ぐらしのためには、苦労があるのは当たり前だ」

と知っているかどうかで、苦難や苦労に対する捉え方が変わってくると思います。


正しい苦難の道を通れ


「自分で悪い事をして監獄にはいって、どれだけ苦しんでみたところが、それは何にもならん」

とあるように、自分勝手な心遣いからくる苦労では、幸せになることはできません。

どうせ同じ苦労をするのであれば、他人のために苦労したい。

なぜなら、自分のために苦労するよりも、他人のために苦労する方が、結果的に自分のためになるからです。(この考えも、ようやく一般化してきたように思います)

そういった、
『社会の本質』や『人間の本質』を含む『この世の真実』が、天理教の教えの中に秘められていますので、正しい苦難の道を通るには、この教えをかみ砕いて咀嚼することが大切だと思います。


おまけタイム


どーも!最近記事の更新より睡眠を優先しだした男
ほこりまみれの信仰者こーせーです!

夜中に記事を更新していると、眠た過ぎて今日は寝てしまおう!

と思う日が増えてきました。

今日もその影響を受けて更新が次の日の昼になってしまいました。

ということで、更新が遅れたことを醜く言い訳したいと思います。

「本当は昨晩更新したかったんです。本当です。嘘偽りはありません。ただちょっと眠かったと言いますか、全然寝たくはなかったんですけど、ちょっと魔が刺したといいますか…
そりゃ記事を更新せずに寝たあかつきには針千本飲んでやりたいぐらいの反省の気持ちはありますが、あくまでそれは気持ちでそれは気持ちであってですね、…そういうことなんです。
頭の良い読者の皆さんには伝わってると思いますが、森羅万象的に優先順位を考え、陰陽の八卦で紐解いていくと、記事の更新ではなく、睡眠を優先してしまうことは、万物の掟であるということです。」

理論整然とした言い訳ですね( ˘ω˘ )


本日も最後まで読んでいただきありがとうございました!

ほな!


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ほこりまみれの信仰者こーせー / 天理教note
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