74.最も分け与える人が、最も尊敬される
はじめに
まず始めに、僕が少数民族の考え方や価値観を元に天理教の記事を書こうと思った理由を述べさせて頂きます。
世界中の人々は、生まれる地域によって、違う考え方や価値観を持っています。その違う考え方や価値観を比べることによって、逆に全人類に共通している部分、言い換えれば、全人類が持っている人間の本質を見出し、そこから天理教の教理を深掘りしていきたいと考えたからです。
今取り上げている「プナンと呼ばれる人々」の生活は、
「人間にとって大切なものは何なのか」
ということを考えさせてくれる。
そんな魅力を感じる人々です。
昨日の記事では、プナンと呼ばれる人々は「謝罪も反省もしない」という特徴から、「家のいんねん」つまり、
「親から子供へ引き継がれる運命」について、今までとは違った切り口から考えることができ、その本質の一部分を見ることが出来たように思います。
前回の記事はこちら
「謝罪も反省もしない生き方」は、僕たち日本人の常識では考えられません。
普通、借りたバイクをパンクさせてしてしまったら、謝ることが僕達日本人にとって当たり前のことです。
しかし、プナンの人々は悪びれた様子もなくパンクしたままバイクを返してきます。
それがプナンの人々にとっての常識なのです。
ではなぜ、プナンの人々は謝罪も反省も無いのにコミュニティーが成り立っているのでしょうか。
そのヒントはプナンの人々の美徳にあります。
プナンの人々の美徳
先に結論から言いますと、プナンの人々にとって、
「寛大であること」
は、重要な美徳とされています。
例えば、
貰った物については、欲しがった人には、惜しげも無く分け与えることが良い事とされているそうです。
腕時計を付けていて、欲しがる人がいたらその人に譲る。
譲ってもらった人も、新たに欲しがる人が出てきたら、その人に譲る。
そうやって自分の物は、欲しがった人にどんどん譲ってしまいます。
しかし、彼らも人に惜しげも無く物を譲る訳ではありません。
私がプナンの居住地を訪ねていくと、ホストファミリーからは、お土産は決してみながいる前では見せないように言われる。みなが、あれが欲しい、これが欲しいと言って品物を持ち帰ってしまい手元には何も残らないことを危惧するからである。
逆にいえば、手元にものを置いておきたいというのが本心であり、「社会慣習」として、ものを惜しみなく他人に与えることが行われているということだ。
このように、本当は自分の物にしたくても「社会慣習」として、ものを惜しみなく与えることが、常識になっているのです。
プナン社会では、
与えられたものを寛大な心ですぐさま人に分け与えることを、最も頻繁に実践する人物が最も尊敬されます。
その人物は誰よりもみすぼらしい格好をしていますが、
何も持たないことと反比例するように、人々の尊敬を得るようになり、
人々から大きな男「ビッグ・マン」と呼ばれるそうです。
ビッグ・マンはコミュニティーのリーダーになり、彼の元には、その徳を敬い、彼を慕う人々が集まります。
そして、彼の言葉は、集まった人々に受け入れられ、
「狩にいけ」と言われれば人々は狩に出かけるし、
「争うのはやめなさい」と争いの仲裁に入れば、人々は争いを止めるそうです。
逆にビッグ・マンが与えられたものを独り占めして出し惜しみ、財を蓄えるような人になったら、発言力は次第に衰えていき、人々は彼の元を離れ、ビッグ・マンでは無くなってしまいます。
このように、プナンのコミュニティーで一番尊敬される人は、自分のものを人々に一番多く分け与える、
「寛大な人」なのです。
なぜ分け与える社会道徳が発達したのか
なぜ、自分のものを人々に一番多く分け与える「ビッグ・マン」が一番尊敬されるという、社会道徳が発達したのでしょうか。
文化人類学者の奥野克己氏は、以下のように述べています。
なぜそこでは、このような社会道徳が発達してきたのか?それは、食べることと生きることに深く関連するように思われる。狩猟に出かけて獲物が獲れなくても、隣の家族で獲物が獲れた場合には、そちらに行って食べさせてもらう。
逆の場合、つまりこちらで獲物が獲れて、あちらで獲物が獲れなかった場合、こちらはあちらに惜しみなく食べ物を分け与える。そうすることで、共同体の誰もが、空腹に困らず、常に食べることが可能になる。
つまり、ものがある時に惜しみなく分け与えることで、ものがない時に分け与えられることを保証する仕組みが築かれてきたのである。モースは、社会全体に自然の恵みが行き渡るこうした交換様式を「全体的給付体系」と呼んでいる。
その仕組みを支えるために、プナンでは「ケチはダメ」という規範が広く浸透しているのだと思われる。
つまり、プナンの人々は狩猟生活を主として生活している為、食料を溜め込むことができません。
そうした中で、全員が生きていくために必要とされたのが「ケチはダメ」という寛大さを美徳としたルールだったのです。
信仰者こそ「ビッグ・マン」を目指せ
ビッグ・マンが、なぜ人々の尊敬を集めることができたのかと言うと、形だけ見れば
「ものを誰よりも多く分け与えたから」
と言うことになります。
しかし、もう少し深く見ていきますと、ビッグ・マンの本質は
「コミュニティーの秩序を守るための模範・理想となる存在」
ということではないでしょうか。
ビッグ・マンの真似を周りの人がすれば、自ずと「全体的給付体系」のシステムは滞りなく機能します。
ビッグ・マンが仲裁に入ると争いが鎮まるのは、彼が皆の目指すべき模範であるからです。
プナンの人々は、コミュニティーのルールを全員で決めるのではなく、一人の最も模範となる人間が、コミュニティーの舵を握っているのではないかと思います。
実は、天理教にも「ビッグ・マン」と同じ存在がいます。
それが「成程(なるほど)の人」です。
天理教の信仰者は、
「土地所の成程の人になりましょう」
とよく言われます。
しかし、この成程の人が、一体どんな人であるか、その定義がいまいちボヤッとしている印象があります。
そこで、先程あげたビッグ・マンの本質を、成程の人の定義として当てはめ、
「成程の人は、土地所の秩序を守るための模範・理想となる存在」
としてはいかがでしょうか。
秩序というと何か大げさな印象を受けますが、平穏な生活が送れず困っている人達を助けることも、その土地の秩序を守ることになります。
そして、ビッグ・マンの元に人が集まるように、信仰者の元にも人が集まるよう、地域の尊敬を得ていく必要があります。
ビッグ・マンが尊敬されるのは、
「誰よりも多くのものを分け与えてる」
という、コミュニティーを存続させるために必要な一番大事な行為を率先して行っているからです。
待っているだけでは人助けはできません。
土地所の成程の人になるためには、地元の人達と積極的にコミュニケーションをとって、何が一番必要とされているかを知り、そこ必要とされているところに貢献していくことが重要だと思います。
おまけタイム
どーも!母乳の栄養のためとか言い張りながら自分の好きなものを好きなだけ食べる女、こーせーの嫁です!
今日は旦那が子供を寝かしつけてくれているので、代打で嫁が書かせてもらいます。
産後は何もしなくても勝手に痩せると聞いたので調子に乗って食べまくってます!
なのでデブであいうえお作文を作りたいと思います。
でんでんむしむしカタツムリお前の頭は
ブス!
デリケートな
ブサイク
デンジャラス
ブーケトス
デキ婚じゃありません
ブラコンです
デートの約束したじゃない
部長!
でんでんむしむしのくだりから、こーせーにシフトしました。
本日も最後まで読んでいただきありがとうございました!
ほな!
サポートして貰えたら、そりゃめちゃくちゃ嬉しいです!