176.「元のいんねん」と「個人のいんねん」を切り離しちゃダメ


陽気ぐらしロード


「元のいんねん」と「個人のいんねん」を切り離して考えちゃだめです。
なぜかと言うと、この二つは同一直線上に並んでいるからです。

「元のいんねん」とは、
親神様が「人間が陽気ぐらしするのを見て共に楽しみたい」と言う、人間創造の目的の事。
つまり、
人間が存在する理由であり、全人類が持っている人間の生きる意味・目的のことです。

「個人のいんねん」とは、
人間が歩むべき「陽気ぐらし」と言う目標へ続く道筋である「陽気ぐらしロード」から、外れた所を歩いてしまっている魂の軌跡の事。
つまり
目的地へ向かう途中で、
道を間違えたり、
乗り物を間違えたり、
方角を間違えたり、
個人個人が「陽気ぐらしロード」以外の、別の道を歩んでしまっている状態のことです。

ですから、「個人のいんねん」が現れる理由は、道を間違えてしまった人間(子供)を、神様が
「そっちに行ったらダメだ」
と言って「陽気ぐらしロード」を歩めるように、導いて下さっているものです。

子供が道路で遊んでいて車に轢かれそうな時、親は手を思いっきり引っ張って子供を助けます。
しかし子供は、引っ張られた腕が痛くて泣いてしまいます。
車に轢かれそうになっていたことなど知りません。

これが所謂、「大難を小難、小難を無難」このようにして頂いていることだと思います。

「個人のいんねん」が現れる理由は、この車に轢かれそうになっている子供の状態と全く同じだと思います。

放っておいたら、もっと酷い状態になってしまう、そうならない為に、神様は「陽気ぐらしロード」へと、手を引っ張って下さるのです。


たんのう


そしてここまで理解できたら「たんのう」することが出来るようになります。

「たんのう」とは
自分のおかれている状況をまるごと受け入れる心であり。
親神の親心を絶対に信ずるがゆえに絶対肯定の立場である。

by深谷忠政

ですからどんな苦難が訪れても、
「これは親神様が自分を陽気ぐらしへと導く為にしてくださっているんだ」
と思い、
「親神様の思いは一体なんだろう?」
と考えること。

これがまさに、
「親神の親心を絶対に信じる」
ということだと思います。


まとめ


「個人のいんねん」に出くわしただけでは、「陽気ぐらしロード」に戻れるわけではありません。

手を引っ張って下さいますが、何故引っ張られたのかがわからなければ、結局また危険な道路で遊んでしまいます。

「個人のいんねん」はいわば、
「いけない心遣いをしていますよ」
という、親神様からのお知らせです。
そのお知らせを受け取って、親神様の思召通りの心遣いにする必要があります。

その心遣いが「たんのう」だと思います。

つまり簡単にまとめると

元のいんねん=目的
個人のいんねん=目的に向かうための軌道修正の指示
たんのう=目的に向かうための軌道修正の方法

この三つは切り離して考えずに、セットにしておくと、より一層神様の御守護が感じられるようになると思います。(経験談)


おまけタイム


どーも!本当は違う記事を書いていたのに、筆が進まないので、午前2時前になって急遽上げる記事の内容を変更する男
ほこりまみれの信仰者こーせーです!

今日書いた記事の内容は、僕の信仰観の根本みたいなものです。

せっかくなので、僕が漫画大好きマンになった根本も書きたいと思います。

あれは小学1年生のクリスマスの次の日の朝のことです。

クリスマスプレゼントが机の上に用意されていたのですが、僕が貰ったプレゼントが「コミックボンボン」だったのです。

えっ「コミックボンボン」知らないんですか!?

あの「コロコロコミック」派か「ボンボンコミック」派かで双璧を成していた月間少年誌です。

CMでの決まり文句は
「正義は読んでる、コミックボンボン」
です。

僕が読んでいた時、連載していた有名な漫画は
「へろへろ君」
「サイボーグクロちゃん」
「メダロット」
「ミクロマン」
「ロボットポンコッツ」
「クラッシュギア」
「真・女神転生デビルチルドレン」
「逆襲のシャア」
「∀ガンダム」
「闘神デビルマン」などなど
多種多様な漫画がありました。

流石にこれだけ上げたら知ってる漫画の一つや二つあるのではないでしょうか。

特に今になって考えると、「逆襲のシャア」と「闘神デビルマン」等はどう考えても対象年齢が上の漫画も扱っており、中々個性的な雑誌だったと思います。


本日も最後まで読んでいただきありがとうございました!


ほな!



サポートして貰えたら、そりゃめちゃくちゃ嬉しいです!