【2024インドネシア視察】Day6-3 バンドン散策 「日本の洞窟」 日本人が忘れてはいけない歴史
ジュアンダ森林公園
インドネシア・バンドンの現地の友人にハイキングに誘ってもらい、バンドン郊外のジュアンダ森林公園に行きました。
バンドンはとても1年中秋のような気候のリゾート地です。そのバンドンでも北部の郊外にあるジュアンダ森林公園はとても涼しく気持ちのいいハイキングコース。
背の高い木々に覆われた頭上からは、木漏れ日が注ぎ込みます。
とても神秘的な光景です。
2つの洞窟
このように神秘的な雰囲気をたたえるジュアンダ森林公園。
その雰囲気とは似合わない2つの洞窟があります。
それは「オランダの洞窟」と「日本の洞窟」。
オランダの洞窟(GUA BLENDA)
1908年、オランダ人によって製作された洞窟。
川の水流を利用した水力発電のために作られましたが、1918年、オランダの軍事施設に転用。
すべすべの壁面は、コンクリートでキレイに覆われています。現地人に賃金を払い作業をさせたそう。
日本の洞窟(GUA JEPANG)
300年間インドネシアを植民地としたオランダ人も1942年、日本軍によって追い出されていきます。その日本軍によって作られたのが、日本の洞窟。
その製作のために現地の住民を「労務者」として徴収。軍事施設として洞窟を建設します。
「労務者」という言葉(インドネシア語でromusya)はインドネシアの歴史の教科書でも大きく扱われています。日本ではインドネシアの統治は、オランダの圧政からの解放であったとしばしば語られますが、インドネシアでは「労務者」という名で集められ、非常に過酷な強制労働をさせられた負の歴史として扱われています。
当然オランダの洞窟のように賃金は払われず、強制的に集められた現地人は手彫りで洞窟を建設することになりました。
でこぼことした洞窟の床や壁面を見ると、手で掘り進めた様子がよくわかり当時の作業の過酷さが伝わってきます。
ところが現地のガイドも現地人の友人も、日本人を責める空気は全く無く、のんびりとした洞窟探検となってしまいそうな「日本の洞窟」。
しかし僕たち日本人は、その過去の歴史の悲惨さを忘れてはいけないと思いました。
オランダの洞窟と日本の洞窟についてはこちら↓
帰り道に野生の猿
帰り道に響き渡る動物の鳴き声。
なんと野生の猿が木にぶら下がっていました。
そして前の道にも猿が。
とてもかわいくのどかなジュアンダ森林公園。
しかし日本人が忘れてはいけない歴史があることを、超親日国のインドネシアで確認した場所でもありました。