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人間性
困窮から夢が生まれる
現代のいわゆる貧困地域、スラム街の人々は日本の人々よりも活発に、未来生きているように見えます。決してその環境が良いとは言えませんが、人間性の観点から言えばスラム街の方が良いような気がするのです。
非人間的な日常の中でいかに人間らしく生きるか、饑餓と疲労の世界でどう生きるか。
人間は非日常を求める生き物です。その非日常を忘れられなくて、その一瞬の快楽を求めて日々生きる。人間はそれを「希望」として見出し、生きている。
希望が無い、淀んだ毎日を生きるのは不可能です。いつか壊れて、押し潰されてしまう、他でもない自分に。自分自身で人生を終わらせてしまう。
大人は未来を予測しながら生きています、それは決して強い訳ではなくて、未来に怯えるようになっているだけ。自分の保身を1番に考えて生きるようになったという方が正しいです。
子供と大人の1番の違いは後悔があるかどうかです。
まだ未熟で、成長途中の子供は今を生きるので精一杯です。今この瞬間、この場所で、この人と何をするか。そんなことを考えながら色々吸収していくんです。
大人は違います、あの時、あの場所で、あの人と、そんな後悔を抱えながら生きている。
基本的に人間は努力してどうにかなることは後悔しません。もう戻れない、どうすることも出来ない無力感が後悔を生む。過去に戻りたい、できることならやり直したい、そう悔いながら生きる。
過去の反省を活かして、この場面をどう切り抜けるか、それこそが人格の形成に繋がると思います。経験が乏しい人が人の気持ちが分からないのと同じで、後悔のない人間は、何をするにしても子供のままなんです。
自分たちには想像も出来ないような貧しさ、死、生誕。正視なんて出来ない。見るに堪えない地獄が広がっている。自分の環境が世界だと誤解した瞬間、世の中を知ろうとする姿勢すら見せない大人は一生子供のままです。
けれど、大人になればなるほど縛られて、外が見えなくなって、固定観念に囚われて、土着的な思想で固まってしまう。
スラム街の子供たちがあんな逆境の中で楽しそうにしているのは今を生きているから。明日が分からない中で必死に生きているから。もがいて、抑圧からの解放を求めて、凄惨な日々を生きている。
そのもがきこそが人間性だと思います。
懸命に、理想に向かって歩みを止めないことこそが人間性であると思います。
叶わないと知っていながらも、それを希望として生きる。それこそが活力になり、人間性として蓄えられる。そうやって生きるのが正解なんだと思います。
大人になるのが正解だとは限らない、夢を諦めて、全てを諦めて、社会の流れに身を任せるのが正解じゃない。死ぬまで必死に抵抗するくらいの気持ちで生きている方が人間として、生物として輝けると思います。
パッと咲いて散って灰に 消えていく然と
難攻不落を目の前に 色気づいてる
自分でもどっちとして生きる方がいいのか結論が出ないのでここで吐露させてもらいました。だらだらと語ってしまってすみません。
言いたいことを箇条書きにして書いているので繋ぎがぐちゃぐちゃの上に話にまとまりがないのでとても読みにくいですがどうか大目に見てください。