無題
こんばんは、埃です。年齢を重ねる度に希死念慮の重圧に耐えられなくなってきています。自分の耐性が薄れているのか、希死念慮が肥大化しているのかは分かりませんがどっちにしろ辛いのに変わりはありません。何をしていても、どこにいても、誰といても辛いんです。ずっと頭の片隅に消えたい、楽になりたいという思考があるんです。考えなくても嫌な記憶は湧き出てくるのに楽しい記憶は写真や思い出の品を見ないと思い出せない、そんな自分が嫌いです。最近自分から苦しみの中に飛び込んでるんじゃないかと強く感じます。Twitterに逃げてきてネガツイばっかりして自分のしたいことしかせずに生きている、その代償がこの希死念慮、苦しさなのかなと思います。
前置きが長くなってしまってすいません。文章ぐちゃぐちゃだけどお許しください。
人間の醜さ
人間は醜いです、心が。自分のことを棚に上げて人を批判する人、人に期待するくせに自分のことになると反発する人、課題もせずnoteを書いてる自分。世間的に良い人と言われる人も心の内で何を思ってそれをどんな風に隠しているのか知ることは出来ないわけです。
自分は人間は生まれながらにして善良な性質を持っている、いわゆる性善説を信じています。生まれながらの悪人なんて存在しないんです。どの人間もこの社会の環境、周りの人間、経験に毒されて汚くなるんです。知らぬが仏、人間というものを知れば知るほど堕落していくんです。社会の汚さに絶望して自分の終わりを悟る。人を信用する人ほど馬鹿を見るんですね。信用というのは過去の実績、行動に基づいています、だから裏切られるんですね。過去の行動に意味なんてないので、考え方なんていくらでも変わるしその人の経験次第なんですよ。いくら信用してても新しい出会いなんていくらでもあるし期待なんてしない方がいいです。でも自分も含めて過去に囚われてる人は多いです。あの時こうだったからどうせ無理だと思ってしまうんですね。過去に意味を見いだせるかはその人次第ですがあまり意味は無いと思います。過ぎたことなので。
短めですが書きたいことがぐちゃぐちゃになってしまったのでここら辺で終わりにします。正直毎回同じような内容になってしまいそうで辛いです。短期間で何個も書くもんじゃないんですが文章を書いていないと不安になるので。迷惑ばっかりかけて申し訳ないです。そして毎回noteの最後にある音楽は書いている時に聞いている音楽です。好きな曲しか乗せないのでぜひ聞いてみてください。
お盆が終わりますね。お盆が終わると夏の終わりを感じます。
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