不捨身受身インシデント
Twitter(現:X)で、なおさんと共同チェック中のタスクについて。
「不捨身受身而成佛道」という漢文をどう解釈するかという話。
「不」のかかり先
この「不」は、「捨身」にのみかかると思われる。
もし「不捨身棄身」であれば、捨てるも棄てるも似たような意味なので、「身を捨てもせず、身を棄てもせず」と解釈し得る。
中学でやった分配法則みたいな感じね。
# 以下の2つは構造が同じ
a(x + y) = ax + ay
不捨身棄身 = 不捨身 + 不棄身
これが成り立つのは「捨」と「棄」のように、似通った動詞の場合である。
今回は「捨身」と「受身」である。
この2語では意味の隔たりが大きいため、「捨身しないし、受信もしない」という意味の文であれば「不捨身不受身」と書くのが普通だろう。
例えば法華経だと「不生不出, 不動不退」みたいな感じ。
「生」と「出」は似ていないし、「動」と「退」も似ていない。よって、これを「不生出、不動退」とは書かない。
このように、「不 + 動詞1 + 動詞2」の考え方は、
A. 動詞1と動詞2が似通った意味 → 「不」が両方の動詞にかかる可能性もある
B.それ意外の場合 → 「不」は動詞1のみにかかる
というのが基本と思う。
思うというのは、私の経験則とか過去の学習のみが根拠だからだ。
文証としてそのような規則を出すことができない。どこかにありそうだけど、どこにあるのか知らない。
だれか漢文/中国語に詳しい人!教えてください。
「捨身受身」とは
次に、捨身と受身である。漢文では捨身受身。
お笑い好きな私からすると、コンビ名のように見えてしまう。「次長課長」「加トちゃんケンちゃん」みたいなノリで「捨身受身」。
「捨身受身」でCBETA先生を検索してみると、いくつもの使用例がヒットする。
で、これら全ての「捨身受身」は「何度も転生する」という意味合いで用いられている。
どうやら、漢訳仏典では割とポピュラーな表現っぽい。
それを踏まえると、以下のように理解するのが適切と思われる。
捨身 = 現在の身体を捨てる/失うこと
↓ 転生
受身 = 新たな身体を受ける/得ること
不捨身受身
以上をまとめると、次のようになる。
不捨身 = 現在の身体を捨てない
↓ 捨てないのだから転生もない
受身 = 新たに体を受ける
この2つを同時に満たすのは「現在の身体が変化して新たな身体になる」である。
以上のように考えれば、以下3つは相矛盾せず円満である。
a.眾相具足
b.不捨身受身而成佛道
c.不捨身受身現身得成佛道
【現在の身体を捨てることなく、仏の三十二相を具足する新たな身体へと変化した】と。
古い身体も新しい身体も同じ人物の身体であり、つまり現身であると。
結びに
どうしても、Twitter(現:X)にお金を払いたくない。
だから、頑なに140文字制限で生きています。行きもしない格闘技ジムに毎月9,000円払うならXのサブスクくらい払えば良いじゃん。
で、文字数制限がキツイのでnoteに記事化しますた。さーせん。
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