大法鼓経 現代語訳(2)
その時、世尊はマハーカッサパに告げました。
「この諸々の修行者たちは清らかであり純一、真実であり、粗いカスからしっかり離れていて、この大法鼓経を聞かせるだけの資格を持っているだろうか?」
マハーカッサパは仏に申しました。
「もし修行者がいて律に反し戒を犯した場合、これはマハーモッガッラーナが指摘することになります。私そのような者とは行動を共にしません。申すまでもなく、世尊、いま集っている者たちはビャクダンの林のように清浄で純一なのです。」
仏はカッサパに告げました。
「今ここに集う皆がすべて清浄で純一だとしても、覆い隠された教えについて、彼らはよく理解することができないだろう。」
カッサパ「覆い隠された教えとはどのようなものでしょうか?」
仏「覆い隠された教えとは、如来が最終的に涅槃に入ったとしても、如来は永遠にして不滅だということだ。涅槃に入ることは壊れることではないのだ。(自己の罪を隠蔽してしまう「覆」という煩悩があるが、)この経典はその煩悩から離れており、清浄である。法を説く明瞭な音声が幾百幾千の因縁を分別して開示する。だからカッサパよ!この大いなる集団をさらに観察してみなさい。」
その時にマハーカッサパは、参集者たちがどのようにここに集ってきたのかを観察しました。
わずかな一瞬のできごとでした。
仏を信じる気持ちが弱い者や、声聞・縁覚、それからビギナーの菩薩は、自分には大法鼓経の教えを受けとめることができないと思いました。
彼らの中に、この教えを捨てて逃げようという思いが生じていたのです。
このことは、王家に従う武人の集まりに例えることができます。
名だたる幾千の武人たちが座から立ち上がって鼓を打ち、このように言います。
「高い戦闘力を誇るこの私と戦って、誰が耐えきれるというのか?誰か私と戦える者はいないのか?」と。
それを聞いて、戦いに耐え切れない弱者たちは押し黙り、心の中でこのように思います。
「私は彼の戦闘力には、とても敵わない。戦ってしまえば、きっとケガをして最終的には死んでしまう。」と。
この名だたる武人たちに敵う者は1人もいません。
そこで、このような武人は「勇気と強さと不屈の戦士」と呼ばれます。
この武人は戦わずして勝利し、その証として旗を立てるでしょう。
このたとえ話には、恐れて戦うことができなかった弱者がいました。
彼らと同様に、信じる心が弱い者たちと声聞・縁覚・ビギナーの菩薩はこのような思いを口にするのです。
「私はこの経を聴いて受け止めることができない。
如来はすでに般涅槃しているのに、如来が永遠で不滅だとおっしゃる。
ここには数えきれないほどの人々が集まっているが、誰もそんな教えを聞いたことがない。」と。
そして、座を立って退出してしまったのです。
これはどういうことでしょうか?
彼らは、長い期間にわたって、涅槃に入ることと空の観念とを同一視していたのです。
そのような中で、涅槃が空ではないという、今まで学んできたこととは正反対の教え、すなわち煩悩を離れた清らかな教えを彼らは聞きました。
だから、彼らは驚き恐れてこの場から立ち去ったのです。
反響次第で続く!
今のところ何とかモチベーションを保てています。