随筆 チンゲン革命(2)
私はXにて「日蓮大聖人被害者の会(代表)」を名乗っている。
大聖人を恨んでいる訳ではないのだが、大聖人による教学上の主張は問題だと思っている。
今日は、その教学上の問題に関する話題だ。
日蓮義を批判する際には、以下のようなことを言えばそれで終わる。
・日蓮が根拠とした五時八教は、仏典の成立と矛盾するので現在は通用しない
・法華経は釈尊の直説ではなく、後世に書かれた創作物だ
・とりわけ、無量義経については中国撰述だろう
いずれも、近現代の仏教学や文献学の成果を用いて日蓮義を批判するものだ。
それはそれで良いと思う。
日蓮義を離れたいならば、それが最も手っ取り早い。楽だ。ちんだ。楽ちんだ。
私も、
「五時と仏典成立は整合するわけないわな」
「法華経や大乗仏典に限らず、釈尊の直説を抽出するなんて、できっこないわな」
くらいには思う。
つまりは「まともに取り合うだけ馬鹿らしい」といった感覚だ。
多くの人にとっては、<日蓮教学の議論に関わるよりも楽しくて価値ある過ごし方>があるだろうと思う。
ところがどっこい、私は違う。
日蓮大聖人のことが好きなのか何なのか知らないが、彼の教義上の問題に向き合いたいと思っている。少なくとも今は。
仏教学的な成果をぶつけることで、日蓮義は一撃で粉砕されてしまう…そのことは理解している。
しかし、日蓮義を近現代の仏教学で批判するのは、どこか【オーバーテクノロジー気味のチートっぽい行為】という気がしてしまうのだ。
何?良くわからないって?
以下にいくつか例を書くから察してくれ。
・19世紀の世界を圧倒的な科学力で支配するネオ・アトランティス
・邪馬台国を潰しにかかるアメリカ合衆国
・地球人を一撃で倒すサイヤ人
・日蓮義を粉砕する現代仏教学
伝わる?
「うん、そりゃ圧勝するよね。そりゃそうだ。」という感じ。
え、何?まだちょっと良くわからないって?
よし、続きは次回だ!
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