随筆 チンゲン革命(3)
初めて法華経を読んだのは、例の岩波文庫の3分冊のものだ。高校生の頃の話である。
「非常に冗長でストーリーが頭に入ってこない」というのが、正直な感想だった。
同時期に読んだ岩波文庫ものとして「ブッダのことば(スッタニパータ)」や「般若心経・金剛般若経」の方が短編だし内容も分かりやすく、楽しく読めた。
その後はレグルス文庫の法華経なども読んだのだが、何というか、全体像が掴みにくいのだ。
全部で28章あり、現代日本語なら300-400ページほどになるのではないか。
長い上に構成も分かりづらいので、読み通したところで「結局、法華経は何が言いたいんだ?」となってしまう。
法華経無内容説を叫びたくもなるだろう。
とは言え、あれだけの文章量で内容が無いというのは考えにくい。
法華経が言いたいこと(テーマ)は何か?
これを掴むためには、「取り敢えず方便品だけじっくり読んでみる」のを私はオススメしたい。
「他の品は方便品の展開」と見なすことで、私の場合は全体像の見通しが良くなったからだ。
他の品と比べても釈迦の主張が分かりやすく表現されていると思う。
皆が皆、同じかどうかは分からないし、宗派や門流の教理として正しいかどうかは別の話ね。
本文から読み取れる内容よりも深い何かだとか勝れた何かだとかは、宗派内で勝手にやってくれ。
いま話しているのは、「法華経というテキストの中心テーマ」のことだ。
何度も何度も法華経を読むうちに、「方便品を中心に読むと分かりやすい」ということに私は気づいたわけだ。
しかし、そんなことはとっくの昔から学術の場で示されていることだった。
仏教学における法華経成立史の議論では「法華経の中では、方便品が最初期に成立した」との説が出されている。
それが正しければ、先に書いた「他の品は方便品の展開」という見方も当然ということになる。
そんなわけで、法華経の全てを読もうとして挫折する前に、方便品を入り口にしてみてはどう?というお話でした。
上記とは別の観点で、序品や見宝塔品のような「やたらと壮大なVFX的描写」も私は好きだけどね。
凄いのは、額からのブッダビームだけじゃないのよ。
ドラゴンボールの元気玉とか、エヴァンゲリオンの◯◯インパクトとか、マトリックスの人間電池とか、ああいった異常な規模感の描写が好きな人には刺さると思う。
それを2000年近くも前の昔に書き残している。
素敵やん。
アディオス!