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チンゲン革命(7)

前回までのあらすじ
人生初の発心で、御本尊様に真剣に祈った若本。その祈りも虚しく、日蓮正宗と創価学会の離縁は決定的なものとなった。その時、若本が見たものとは…?

時系列で書くと、以下のような年表になる。

1984年(昭和59)
・1/2 池田大作 法華講総講頭に再任
1990年(平成2):
・7/16日蓮正宗上層部が創価学会破門に向けた「C作戦(創価学会分離作戦)」を計画…創価学会側の主張
・ 7/17 創価学会、宗門との連絡会議の席上、法主上人・宗門を一方的に批判し席を立つ…日蓮正宗側の主張
1991年(平成3):
・11/28 日蓮正宗、創価学会及びSGIを『破門』
1993年(平成5)
・9/7 創価学会 現行本尊(日寛書写の改変コピー)の作製を発表

これらの中で強烈に覚えているのは次の2つだ
(1)日蓮正宗および創価学会のメディア露出
(2)創価側:宗門嫌悪プロパガンダ

(1)については、現在でもYoutubeなどを検索すれば出てくる。
元気な頃の阿部日顕氏・池田大作氏を見ることができる。

どちらも、テレビになんてまず出てこない二人だからね。ニュースで流れた時はもうドキドキしたよ。

今とは異なり、当時の私にとってのエンタメというのは第一にテレビだった。
おそらく、同世代のほとんどの人は似たような感覚だったと思う。
現代ではYoutubeやTik tokでバズるのがステータスなのかも知れないが、当時は「テレビに映った」というだけで教室中で話題になったものだ。

スマホもタブレットもPCも無い時代だ。どれほどテレビが大事だったか。
もう一度書くけどな、今とは違ってだ。ドキドキなセクシー映像なんてものは、本当に入手するのに苦労したんだぞ。深夜にはテレビでもそれなりの映像を流していたのだが、当時のテレビというのは基本的に家庭に1台とかだ。家族みんなが寝静まった夜中に一人茶の間でドキドキ映像を観てもだな、そのなんだ、もうなんかドキドキするだけで終わるんだよ。それ以上の何もできやしない。そりゃそうだ。いつ家族が起きてくるか分からないのだから。何なら、そっちのドキドキが勝るんだよ。だからだろうな、私の世代は人から見られるか見られないかのドキドキするような場所で致すのが好きなn…以下略

とにかく、テレビは大事だった。
そこに映ったのだから、それはもう私の中で大ニュースだった。
当時の私は、阿部日顕氏も池田大作氏も、雲の上の存在級に偉い存在だと認知していた。
何よりも偉い存在は御本尊様だ。その御本尊様は「カメラに撮影してはいけない」という禁忌がある。
それと似たような感じで、テレビという箱の中にその偉大なる二人が映っているのを観るのは、なんだかタブーを犯しているような感覚だった。
その意味でもドキドキしていた。

御家騒動が二人のテレビデビューだったということか。
今にしてみれば何とも面白いのだが、当時の私はドキドキした後に何とも言えないガッカリした気分になった。
全国の視聴者に正法を弘める大チャンスなのだが、阿部氏も池田氏も、そんな布教めいた発言はしなかったのだ。
普通に穏やかな口調でインタビュアーの問いに答えるだけ。
極めて常識的な姿勢なのだけど、私はちょっとそれで冷めたところがある。
「あー、全国の人々が見ている千載一遇のチャンスで、布教をしないんだなー」と。

ま、そんな感じでのメディア露出が何日か続いたよと。
そこは、先程書いた通りで映像資料を入手しやすい環境にあるので、各自で見てほしい。

ここでは、映像以外の資料について取り上げる。
あるタイミングからは、創価学会側が機関紙上で日蓮正宗の宗門を批判するようになった。
その時の私が、何を見て読んでいたのか?

調べるならば、当時の聖教新聞や創価新報を参照するのが良いだろう。
宗門批判の酷さがハッキリ分かるからだ。
最近ではだいぶ穏健になったようだが、一昔前の聖教新聞なんて酷かったからね。

1面下段にあるコラム「名字の言」の隣にあるのが、「寸鉄」という格言コーナー。これがもう本当に酷い。
創価学会に敵対する者を、容赦なくこき下ろす。
病気にでもなろうものなら、それが業病だなどと言って全力で罵る。
およそ、宗教的な言論とは思えぬ攻撃的な書きぶりであり、会員の私から見ても気持ちの悪いものだった。

なぜそこまで攻撃的になれるのかと言えば、以前も書いた通り日蓮その人に原因があるのは間違いない。
それはそれでいずれ検証するが、今は創価学会自体に内在する原因や体質というものに着目したい。

もし、日蓮が穏健な言葉ばかりを言っていたとしても、創価学会は攻撃的な団体だったはずだ…と言っている。
そこを確認するに当たり、聖教新聞や創価新報を参照するのも良いのだが、私は敢えて「小学生文化新聞」を調査することにした。

聖教も新報も、基本的には大人向けである。大人には青年部も含まれる。
青年部というのは、宗門批判・宗門攻撃の最前線みたいなものだった。
だから、攻撃的な論調なのはむしろ当たり前なのだ。
当たり前すぎて、宗門批判が目立たない。

それに対して、創価学会の小学生向けの機関紙である「小学生文化新聞」は、小学生向けらしく夢と希望に溢れる記事・企画が多かった。
決して、他の攻撃を目的としたものではない。

そのようなポジティブな紙面構成だからこそ、宗門批判の記事が目立つはずだ…そのように思い、私は小学生文化新聞のバックナンバーを探す旅を始めたのだ。
もちろん、そんなのは後付けの理由だ。聖教新聞も創価新報もバックナンバーの数が多いし、そこはすでに他の人が調査して結果をWebに載せている。面倒な割に新規性も薄い。そんなことをするよりも、ニッチな小学生文化新聞の方が楽だろう。実際に私が読んでいた媒体だし、数も少ないし。楽。幸せ。それが本音だ。

ここからはしばらく、現代の私の話である。
なぜ現代の話を書くかというと、小学生文化新聞の素材を見つけるのに苦労したからだよ。「少しくらいはその面倒臭さを読者にも味あわせやろう」という、私の意地汚さ「調査の経緯を共有することで一緒に楽しもう」という、私の優しさを抑えきれなかったからだ。

手始めに足を運んだのは、立正佼成会付属の佼成図書館だ。
ここには、宗教書が多く所蔵されていると聞いていた。
創価新報はあったのだが、残念ながら小学生文化新聞は取り扱っていなかった。
とは言え、宗教書の充実具合は確かに素晴らしく、本件とは無関係な資料を楽しませて頂いた。
楽しみすぎて危うく本来の目的を忘れそうだったが、私は本懐を思い出した。
そうだ、小学生文化新聞だ。

佼成図書館にもないならば、頼れるのは国家権力だ。
私は松屋を食べて、国立国会図書館へと向かった。
物々しい護送車や警察官に見守られながら到着。
いつ来てもでかい。

それが、何ということだ。
いや、本当は事前にネットで見ていて予感はあったのだが、国立国会図書館にもバックナンバーがなかった。
正確には、2004年以降の分しかなかった。

2004年…わしゃもう高校生になっとる頃合いじゃ。
イヤじゃイヤじゃ!
わしゃ自分が小学生の頃の新聞を読みたいんじゃ!

静寂に包まれた広大な国立国会図書館の中で、一人悲しみ、最大級の声量で泣きわめき、床をゴロゴロ往復しまくって困り果てていたのだが、大人なので泣き止んでから司書さんに訊いてみた。

私「この小学生文化新聞なのですが、2003年以前の巻号は関西館も含めて閲覧できないものなのでしょうか?」
司「ちょっと調べますね…。そうですね、国立国会図書館にはありません。でも、他にもあるかも知れませんから、調べますので良かったらそこでお待ち下さい。」

これよこれ。この対応の手厚さよ。
『お店に出てる分が在庫の全てですー(早くうせろ)』みたいな、激安クソ店舗にいるやる気ゼロの店員とはわけが違う。
国家権力が作った施設だけあって、親身な対応だ。
せっかく税金を納めているのだから、行ける人は国立国会図書館を活用しよう。その価値はある思う。
複写も、ページ指定すればスタッフさんが頑張ってコピーしてくれるんだわ。あとは、鼻をほじって待っていれば良い。楽。幸せ。

そんなことを思いながら待つこと30分くらいだろうか、さっきの司書さんから声がかかった。

司「都立図書館なども含めて調べてみたのですが、公立の図書館には見当たりませんでした。しかし、この新聞の出版元の組織がありますよね?その組織の新聞社にはあるかもしれません。」

やたらと組織名を隠すのは謎だった。
創価とか聖教というワードは、いつのまにか放送禁止用語にでもなっていたのだろうか。
あるいは、『創価や聖教といったワードを口にすると罰が当たる宗教』でもやっているのだろうか。
ま、まさか…過激派の法華講員か?

面白そうなので、このビッグウェーブに私は乗っかってみた。

私「私がその組織に電話をすれば何か分かるかも知れないですか?」

司「ええ。それと、その組織の大学さんがありますよね?そちらの図書館にもあるかも知れません。これを御覧ください。」

彼が見せてくれたモニターには、『ある組織と同名の大学』の図書館の蔵書が表示されている。
そこには確かに「小学生文化新聞」と書いてある。
しかし、巻号が表示されていない。

司「こちらの大学の図書館を調べると、蔵書一覧には引っかかるのです。ただ、何号とまでは表示されていません。この組織の大学さんに問い合わせてみると、あるかも知れませんね。」

私「ありがとうございます。その組織の本部、あるいはその組織の新聞社、またはその組織の大学に問い合わせるのが良さそう、ということですね?」

司「はい、そうですね…この組織…創価学会さんのやっている聖教新聞社さんか、創価大学さんですね。」

司書さんの方が根負けしたのか、唐突に法人名を出してきた。
それがまた面白かった。
そう、謎の組織名隠しゲームに私は勝利したのだ。
これが創価特有の負けじ魂だ。勝利以外は許せない。負けていても勝ったことにしないと気持ちが悪い。どうかしてるぜ。

んー。書くのが疲れてきた。
続きは次回だ次回。

【次回予告】
ついに組織名を出してしまった司書さんの導きのままに、若本は四半世紀ぶりにあの大学に乗り込む…。あまりにも長い坂道と巨大建築物の数々に圧倒される若本。彼に去来する思いとは…?

チンゲン革命、次回「S大学」
お楽しみに!

追記:
いやー、これ12話で終わる予定だったんだけど。終わるんかな?

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