チンゲン革命(最終回)
中学生になった私は、思春期を迎えた。
一般的には、異性やら自分の見た目に羞恥心を抱くようだが、私は創価学会員であることに羞恥心を抱いていた。
その頃の私は勤行唱題をするだけであり、他の活動は特にしていない。
当然だが、新聞啓蒙もしていない。
自己完結型の信仰スタイルだ。
誰に対して表明するわけでもない。
それなのに、どこか恥ずかしく、やましい気持ちがあった。
例えば、学校の書道の時間である。
墨汁による床汚しを防ぐために、新聞紙を持参せねばならなかった。
おそらく多くの家庭は、読売/朝日/毎日/産経や日経などの一般氏を購読しているのだろう。
ところが、お察しの通りで我が家には聖教新聞しかない。
というか、一家で5部ほど契約していたので、家の中は聖教新聞だらけである。
そういう意味で、新聞紙に困ることは無かった。
私が「明日は書道だから新聞持っていくね〜」と私が言うと、親は「先生のお顔がないか、確認しなさい」と答える。
そして、新聞の1枚目を外して残りを私に持たせるのだ。
これが何を意味するかお分かりだろうか?
1枚目にあるのは、第1面と第2面、それからラテ欄と社会面である。
重要なのは1面と2面だ。ここには高確率で池田氏の顔面写真が掲載されている。
「墨汁で先生のお顔を汚してはならない」というわけだ。良いだろ別に。池田氏なんて他人の子どもの顔を墨汁で汚しまくったじゃないか。そもそも、実物じゃなくてただの画像だぞ。
「在俗指導者の写真すら汚してはいけない」という盲信・迷信めいた発想は、我が親のことながら、なかなかパンチがある。
もはや「可愛い」とでも形容すべき領域に踏み込んでいると言えよう。
私は、そういった迷信の類を嫌悪していた。
しかし、本件については親子で利害が一致していた。
私は私で、池田氏の顔面をクラスメイトに晒したくなかったのだ。
創価学会員であることがバレるのを回避したいからだ。
池田氏の顔面や、「大勝利」「永遠」「正義」などの仰々しいワード…。
それを見られなければ、簡単に創価バレすることはあるまい。
このように、「創価学会=恥」という感覚が私にはあったのだ。
これは同世代の創価メンバーの多くに共通するらしい。
同じ学校には数名の創価学会員がいたのだが、創価学会の話をすることは滅多になかった。
仮に話題に出すとしても、周囲に人がいない時に限られた。
みんな、どこか後ろめたかったのだろう。
ちなみに。
その後の我が家は、読売新聞を購読するようになった。
私は「もはや、聖教新聞を学校に持参する必要はない!創価バレを恐れる必要がなくなったのだ!功徳だヒャッハー!」とばかりに、内心で狂喜乱舞した。
ちなみにのちなみに。
我が家が読売新聞を購読するようになった理由が恐ろしい。
親は、この奇跡に至る敬意をこう説明した。
「読売のセールスが来たのだが、我が家が読売を購読する代わりに、販売員には聖教新聞を購読してもらうことにしたのだ」と。
セールスを単に追い返すのではなく新聞啓蒙に利用したわけだ。まさに変毒為薬。も一種の商魂であり、これはこれで恐ろしい。
もっと怖いのは、販売員に聖教新聞を取らせてしまう売上ノルマだ。
洗剤でもダメ。巨人戦のチケットでもダメ。
それでも、何とかして契約を取りたい。挙げ句に宗教機関紙の購読を受け入れる。
そこまで職員を追い込むのだから、なかなかのブラックだ。Blackblackのガムよりもブラックだし、仮面ライダーBlackよりもブラックだし、ブラックジャックよりもジャックだ。ジャックって何だよ。自分で書いてて意味が分からない。ここまで読んでいる貴方はなかなかの物好きだ。
話を戻すが、中学生の私は創価を恥ずかしいと思っていたわけだ。
小学生の頃に比べて、信仰的な使命感が薄まっていたということだ。
そのせいか、教学的な勉強については遅咲きだった。
初めて教学書を読んだのは高校生の頃である。
私にとっての教学は、他者を救うためのものではなかった。
「他宗をコテンパンにやっつけるための勉強」
それが私の教学だった。
もう読者にとっては忘れかけのradioかも知れないが、私は幼少の頃から邪宗の危険性を教え込まれて育った。
神社を毛嫌いし、キリスト教をはじめとした一切の他宗教を敵視する。
仏教内の他宗派に対しては、悪魔の手先くらいに思っている。
創価的な信仰心がどれだけ減っても、邪宗への敵対視や嫌悪感はビタ一文薄まっていなかったのだ。
また、当時の創価学会(と現在の日蓮正宗)は、邪宗の破折に熱心であった。
日蓮正宗が「諸宗破折ガイド」という書籍を出版していることから、何となく想像がつく読者もおられるだろう。
「破折」というのは、簡単に言えば論破のことだ。
正しい教えに導くために、日蓮以外の全ての教えの誤りを論破するわけだ。
そこに屈伏の意味合いを持たせたのが、かの有名な「折伏」という語である。
「いや、折伏や破折の意義はそうではなくてね…」などの言い訳をしたい気持ちは分かる。分かるぞ。
しかし、どんな理由であれ、折伏というのは外から見れば「クソ迷惑な論破もどき」に過ぎない。
私はいま、その観点で物を書いているのだ。理解されたい。
折伏やら破折について、本部職員や僧侶に向けて教育するのはまだ分かるが、そうではない。
会員や在家に向けて、折伏の方法を教育するのだ。
一般信者が邪宗に対して攻撃的なのは当然なのである。
むしろ、邪宗を目の前にして黙っている方がどうかしているのだ。
他宗批判の攻撃性に満ち満ちた世界観。
その中で、私は初めて教学の勉強に手を付けたわけだ。
それは、一冊の教学書から始まった。
人生を変える一冊との出会いは、その人にって非常な幸運であろう。
私もまた、人生を変える一冊との出会いに恵まれたのだ。
今から書くのは、そんな、キッチュでポップでハートフルなお話である。
心を温めるが良いさ。
高校生の頃のある日、私は自宅の本棚を見ていた。
そこに、かなり古びた書籍があることに気づいた。
古い本というのは、そこに人の思いや歴史が詰まっているように見えて、何とも魅力的に感じられるものだ。
我が家は典型的な核家族世帯だ。
家の本棚と言っても、基本的には新刊本の集合である。
そんな中に、見るからにカビ臭くてボロボロな本があったのだ。
緑色の布表紙で、背表紙の印字は消えかかっている。
手に取ってみると、いかにも古い本という感じのオーラを放っている。
親が創価の先輩から譲り受けたらしい。
「折伏教典」というタイトルだった。
そう、あの有名な折伏教典である。
世界人類が生み出した「恥の文化遺産」ともいえる、あの迷著だ。
「恥ずかしい迷著」のはずなのだが、ところがどっこい、これがまあ面白い。
日蓮正宗創価学会の立場から読むと、邪宗をバッサバッサと斬りまくっており、痛快この上ないのだ。
「なんと、こんなにも便利な破折マニュアルがあるのか。
これを頭に叩き込めば、邪宗どもを一網打尽にできるではないか!」
と、私はテンションをアゲアゲにして読んだものだ。
この「折伏教典」には、他宗に対する悪口や差別用語が、これでもかとばかりに出てくる。
宗教書とは思えないほどの悪口ラッシュで、歯切れよく他宗を斬り捨てる。
あくまでも、正しい教えに導くための悪口である。
人の悪口を言わないピュアな少年・若本はこの時、「他宗批判のためなら悪口も許されるのだ」と知った。
こうして私は、大人の戒壇…いや、大人の階段を登り始めたのだ。
私は時折、自分でも気持ち良いくらいに上手な悪口をビシッと決めることがある。
それは、折伏教典に鍛えられたお陰だ。
「若本の半分は折伏教典でできている」と言っても過言ではない。そのせいか、私には緑の服が良く似合う。ちなみに、残り半分は中年男性の魅力というやつだ。
嘘だよ似合わねーよ。何なら緑が一番似合わねーわ。中年男性の魅力はあるよ。
とにかくだ。
折伏教典的な「筋の通った圧倒的な理屈によって邪宗を責め切る」という行為は、なかなかの快感なのである。
他の例で言えば、「人気タレントの不祥事を糾弾する高揚感」に近いのではないか。
自分は全く傷つかずに、他者をボコボコに叩きのめすことができる。
人間とは残酷な生き物で、そんなサディスティックな遊びが気持ち良いものなのだ。
私だけなのか?いや、これを読む貴方の中にもきっとサド心があるはずだ。
そんなわけで私は、「正義の追及という名の下に、他を責め抜く」という思考様式とその楽しさを学んだ。
少年の私を清く正しく育ててくれたのは、日蓮正宗創価学会だ。それは間違いない。
同時に、心根の汚い青年に育ててくれたのもまた、日蓮正宗創価学会なのである。
その後、私が心の歪みきった中年になったのはご覧の通りである。
ウヘヘヘ、最高の気分だ。
感謝してるぜ、悪口教団ブラザーズよ。
顕正会も合わせれば三兄弟か。だんご!正信会も含めれば四兄弟。北斗!
ちなみに、北斗四兄弟の中で最も弱いキャラクターの名前がジャギ。邪義。まあいいやこれは。
そんなこんなで折伏教典を読んでからは、他宗を攻撃するための勉強が捗ったのを覚えている。
数ヶ月の間は戸田氏の法華経講義や全集などを読み漁りつつ、自分なりの諸宗破折ガイドを作成していた。
【弱点と矛盾を突き、完膚なきまでに邪宗を貶める。】
そのためのロジックを組み立てるのは、実に楽しいものだった。
楽しかったのだが、その一方で私には焦りもあった。「まだ童貞だ」という焦りもあったのだが、「まだ折伏をしたことがない…」との焦りを覚えていたのだ。
それ以上に
折伏チェリーボーイである。くっそ、私に音楽の才能があれば!アイドルグループを作って、デビュー曲「折伏チェリーボーイ」をリリースするのに...!だけど、僕にはピアノがない!人に聴かせる腕もない!
この頃には、どの宗派がどんな主張をするのかを、概ね頭に入れていた。
それだけではなく、オリジナルの諸宗破折ガイドも作っていた。
準備万端なのに、折伏を実行に移すことができていないのだ。
「今こそ、折伏の時…!」
私は、チェリーボーイを捨てるために敢然と一人立ったのだ。
そして、「とにかく誰か知人に声をかけねば」と考えた。
そんな私の祈りが通じたのだろうか、高校からの帰り道に地元の駅でバッタリと春井君と再会したのだ。功徳キタ━━━━(゚∀゚)━━━━!!
彼とは中学で知り合い、毎日のように遊んでいたこともある。
再会の流れで、私は彼の家に遊びに行くことになった。
すると、そこには五井昌久氏の写真があった。
氏は、新宗教の白光真宏会を創始した教祖である。
「”世界人類が平和でありますように”の棒」でおなじみの宗教だ。
春井君の母親が信仰していたらしい。
それを見た私は「よし、これは行ける!折伏できるぞ!」と確信するのだった。
折伏は無宗教者を相手にするのが最も難しく、何らかの信仰をやっている人を相手にするのは比較的楽だ。そのように私は考えている。
宗教というのが【「言語的に正しさを保証できないもの」を、無理に言語化したもの】と考えているからだ。
言語化なき宗教はあり得ない。
つまり、宗教である以上は、その教義のどこかに矛盾や誤謬が潜んでしまうということだ。
相手が宗教者ならば、そこを突いて攻撃すれば話が早い。
他方、無宗教というのは非常にやりにくい。
その人たちは、正しさの保証などを特に必要としないからだ。
絶対的な拠り所や究極の正義など、あってもなくても困らないのだ。
だから、いくら「正しいこと」を言っても基本的に響かない。
それと比べれば、何らかの信仰をしているケースは取り組みやすいのだ。
春井君の家は、幸いにも新宗教どっぷりの様子だったわけだ。
私は「彼自身が信仰していなくても、母親の宗教を攻撃すれば良い。白光真宏会という邪教が不幸の原因であることを断言しよう。そうすれば、この戦いに勝てる!」くらいに思っていた。
他宗教を論破するためには自信が必要だ。
その手の自信を深めるに当たって、折伏教典は良く出来ていた。
筋トレや格闘技のトレーニングを積んで身体が出来上がってくると、自分の強さを試したくなるものだ。
イメトレでは圧勝するものだから、それを現実のものにしてみたくなるのだ。
それと同様に、日蓮正宗や創価学会のような攻撃的な教学を勉強すると、その腕を試したくなるのだ。
ちょっとここで注意したいのは、「冷静に考えれば、そんなことは僧侶や職員がやれば良い」ということだ。
お金を貰っているのだし、一般信者よりも高度な教育を受け、ノウハウも持っている。
ならば、他宗教の本山に行って公開法論でも申し込めば良いのだ。
しかし、そんなことはしない。
教団トップは分かってるのだろう。「法論なんて、やっても勝てないよ」と。
それを信者にやらせるのだから、とんだ茶番としか言いようがない。
茶番なのだが、そこに気づいてしまうと、それまでの自分の宗教人生が否定されるような感覚になる。
だから、ほぼ無意識レベルでそこを考えないようにするのではないか。私はそうだった。
偉い人がやらない以上は、自分が戦う選択肢のみが残る。
そういう意味でも、腕試しをしてみたくなるのだ。
現代の日蓮正宗信者も、同じような経緯を辿る人が多数いることだろう。
諸宗破折ガイドを読んで、「やはり日蓮正宗は正しい!他の宗派は誤っている!だから私は、どんな宗教が相手でも折伏できる!」と。
経験者の私が誠意から言うが、変な夢からは早く覚めたほうが良いぞ。世の中、そんな簡単に破折できるほど甘くはない。
現代の創価学会において、他宗批判としての折伏を真剣に考える人は激減した。
血気盛んな若者の割合が激減したという理由もあるだろうが、他宗教の批判よりも公明党への一票を重視していることが大きい。
他宗批判などしていたら、入る票も入らなくなってしまう。
その結果、他宗批判を前提とする折伏は、創価学会よりも日蓮正宗や顕正会の方がずっと熱心だ。
話を戻すが、春井君との話はそれなりに盛り上がり、私たちはまた会うことにした。
もちろん私は折伏を狙っていたので、次回は私の家に集合するよう誘導した。
自宅には御書も折伏教典もある。折伏するならば、資料は多い方が良い。
「あわよくば、一緒にお題目をあげちゃったりして(ハート)」などという、スケベ根性もあった。
「自宅に連れ込めさえすれば何でもできる」と思って必死になる男と同じ発想である。
そんな下心があるとは知らずに、のこのこと春井君は我が家にやってきた。
彼を自室に連れ込むことに成功した私は、手始めに「青春対話」という書籍から話を始めた。
この書籍は、池田氏らによる中高生向けの対話集である。
割と宗教色が薄めの内容で、若者を励ますような会話が書いてある。
宗教書としてはかなりライトだが、自己啓発的な威力はそれなりに強い。
青春対話を一緒に読んだ後、池田氏の発言について感想を言ってくれた。
「やっぱり、宗教の人って良いこと言うよね~」と。
これは、今にしてみればただのお世辞だった。
また、白光真宏会の書籍にも似たような何かが書かれていたのか、新宗教的な励まし文句に彼は慣れていたようだ。
だから彼は、「創価学会」や「池田大作」といったワードを聞いても驚いたり嫌悪感を出すことなく、ふわっとしたお世辞でその場を丸く納めたのだ。
ただそれだけのことなのに、私は好感触だと判断してしまった。
これがデートだったら最悪である。
相手が引き気味で愛想笑いをしているだけなのに、それを見て「こいつ、俺に気があるな?」とばかりにホテルに誘うようなものだ。
焦りすぎだし、勘違いをし過ぎなのである。
そのようにガツガツし過ぎな折伏をしながら、私は「これは、池田先生の話をしても埒が明かないぞ」と気づいた。
セオリー的には、この辺りで創価の会合への参加を促せば良かったのだろう。
しかし、私がアピールすべきは池田氏でもなく創価学会でもない。正法である。
私は、彼を創価学会員にすることが目的で喋っているのではない。
彼を正しい教えに導き、真の幸福を掴んでもらうために喋っているのだ。
すなわち、私が彼に伝えるべきは戒壇の大御本尊であり、御本仏日蓮大聖人なのだ。
まずは、宗教の中の最上が仏教であること、その仏教の中の最上が法華経であることを言い切る。
そして、経文を引用しながら、法華経の成就者が日蓮大聖人であることを示す。
このようにして、理論面から日蓮正宗の正義を説き切る。
あとは、「大聖人と不二である大御本尊は、日蓮正宗にしかない」ということを伝えれば教理的にはフィニッシュだ。
体験させるならば、一緒に本尊に向かって題目を唱えれば良い。
誰もがそれで陥落するはずなのだ。
この戦法のどこにも誤りはない。
そう確信していた私は、彼に仏教の説明を試みた。
お互いに義務教育を終えているので、仏教という語は知っている。
また、それが宗教的な権威や長い伝統を持つことも知っている。
こういう話は、互いの共通知識から始めるのが良い。
おや?読者からツッコミが入ったようだ。
「義務教育なら、『日蓮宗』も共通ワードのはずじゃないか!」だって?
ダメだダメだ。何を言っておるのだ。
日蓮宗なんて身延の謗法じゃないか。日蓮正宗とは全く異なる邪宗だぞ。
本気でそのように認知していた私は、「日蓮宗」のワードを使えば話がややこしくなると判断した。
日蓮宗のワードは回避する。それがベターだったのだ。
そんなわけで、用いるべきワードは「仏教」である。
仏教から末法を導出し、末法と法華経の予言を結びつける。そして、予言の成就者としての日蓮大聖人にお出ましいただく。
これで折伏は決まったも同然である。
創価や正宗の書籍で仏教を語るのは客観性に欠けるので、私は世界史の検定教科書を引っ張り出してきた。歴史の教科書でおなじみ、山川出版社のアレである。
当然、仏教の開祖について書かれているので、そこから末法を導出すれば良い。
末法の開始年というのは、仏滅から2000年を経過した時点である。
日蓮大聖人も、その曼荼羅に「仏滅後二千二百二十余年」などと明記している。「仏滅後2000年が末法開始年である」と認知していたことが分かる。
つまり、仏滅年代を教科書から引っ張り出して2000を足せば、末法の開始年を示せるということだ。
もちろん、日蓮大聖人の生没年が西暦1222-1282年であることは暗記済だ。
あとは簡単な話で、大聖人が末法において迫害されたことと、それが法華経で予言されていたことを伝えれば証明完了だ。
解説のレベルとしては、とてもイージーなミッションである。
私は得意げに、春井君に説明した。
「ほら、俺らが使ってる教科書に釈迦が紀元前5世紀の人って書かれてるでしょ?」と。
教科書に書いてあるのだから、これはもう真正な情報であり、疑いようがない。
彼が頷くのを見て、私は話を続けた。
「この紀元前5世紀って、西暦で言うと-400年とかだよね。ここに2000を足すと末法になるんだよ。-400+2000は…1600で…うぇっ1600??え、ちょっと待って...あれ...?」
「二度見」というのは経験があるが、「二度言い」というのは後にも先にもこれっきりだ。
これは、私が足し算を間違えたのではない。
日蓮大聖人の年代認知が仏教学のそれとは異なっていたのだ。
仏教学に従えば、仏滅後2000年というのは西暦1500~1600年頃である。
日本で言えば戦国時代付近だ。
日蓮大聖人が活躍していた鎌倉時代は、それよりもずっと昔のことだ。
つまり、大聖人は像法時代の僧ということになってしまう。
この辺りは言葉だけで書くと伝わりにくいので、簡単な図を書いた。
日蓮大聖人は、年代の算出について現代の仏教学とは異なる主張をしていたわけだ。
「日蓮大聖人は末法に出現された御本仏である」それが日蓮正宗創価学会による位置づけだ。
釈迦仏はもちろんのこと、阿弥陀仏や大日如来よりも上位にして根源的な存在である。
神聖不可侵かつ絶対的な仏なのだ。
その御本仏が、年代の見積もりで門下を困らせたわけだ。
少なくとも、私は非常に困った。
私は大聖人の正しさを説明しようとしたのに、大聖人の見解によって説明不能に陥ったのだ。
教科書(学問)と折伏教典(宗教)の間に、明確なズレがある。
当時の私は、そんなことを全く想定していなかった。
なぜならば、創価学会はその初代会長からして「宗教は科学と調和し、しかも超越する」といった趣旨のことを言っているからだ。
私は「創価学会は宗教でありながら、科学的でもある」と思っていたのだ。
また、そのリーダーである池田氏は、数々の大学から名誉教授・名誉博士の称号を得ていた。
「学問的に不誠実なわけがない」と思い込んでいたわけだ。
この仏滅年代問題をきっかけに、私は2つのものを失った。
一つは、折伏チェリーボーイを捨てる機会だ。
年代問題を上手く説明できなかったことにより、春井君への折伏は見事に失敗に終わったのだ。
私は、自分が納得できないものを他人に押し付ける趣味はない。
それ以来、誰のことも折伏していない。今日も私は折伏チェリーボーイだ。
失ったことのもう一つは、「教学的に正しい保証」である。
日蓮正宗創価学会の信仰というのは、ご利益や功徳のような現象的な効果を主張する。これはこれで一つの特徴だ。
同時に、「教学的に正しい」との理論性に裏打ちされていることも特徴的だ。
「有り難いから信仰する」という側面と、「正しいから信仰する」という側面が同居しているのだ。
信者はそのように感じているはずだ。
少なくとも、私はそのように認知しており、その正しさを一つも疑うことがなかった。
「理論として正しいのが御本仏・日蓮大聖人の仏法である」と。
しかし、年代問題に気づくことによって、正しさの保証が失われたのだ。
小学生の頃を振り返ってみよう。
日蓮正宗と創価学会がケンカしても、私は信仰を棄てなかった。
祈りが叶わなくても、組織内でイジメられても、私は信仰を棄てなかった。
どんなに嫌なことがあっても棄教しなかったのは、この「教学的な正しさ」という砦が私の希望を守ってくれたからだ。
いまや、その砦も音を立てて崩れ去ってしまった。
瓦礫の中にポツンと立っているのは、ボロボロになった1人の兵士・若本である。
私は、残された力を振り絞り、教学上の誤りの有無を検証することにした。
自分の信仰にとって、最後の最後のチャンスだった。
自分が守ろうとしたもの、広めようとしたものは何だったのか。
それが何であれ、正しいはずなのだ。正しくなければならない。
私は年代問題の他にもテーマを設定し、日蓮正宗創価学会の教学を正当化するための抜け道を探った。
もはや、教学という名の砦は失われている。
日蓮正宗や創価学会によって準備された正しさに頼ることはできない。
「自分の頭で考えて、教義を疑いに疑い、それでもこの信仰が正しいと確信できるのか?」という検証である。
これは、
「折伏教典的な他宗攻撃の論法を、日蓮正宗創価学会そのものに当てはめたらどうなるのか?」
という思考実験でもあった。
私の出した結論は次のようなものだった。
「他宗破折の論法を日蓮正宗創価学会に適用すると、日蓮正宗創価学会は邪宗ということになる…。何だこれ。」と。
他宗批判のために学びに学んだのが、折伏教典の論法だった。
それが自宗を斬り裂くブーメランとなって返ってくるのだから、皮肉なものである。
さらに検証を進めると、「そもそも折伏教典の批判的主張は、他宗にとって痛くも痒くもないものだった」ということも分かってきた。
冷静に考えてみれば、日蓮正宗も創価学会も、破折という行為でやっていることは「自宗派にとって都合の良い論拠のみで他所の文句を言う」というものだ。
これは例えば、中国人がドイツ人に対して「中国語は素晴らしいから、ドイツ語は間違っている!」と主張するようなものである。
あるいは、柔道家が柔道ルールでボクサーに試合を申し込むようなものだ。
そんなものは、試合でも何でもなく、ただの嫌がらせである。
つまり、他宗を攻撃するための有効な武器だと思っていたものが、武器ではなかったということだ。
我々信者は、新聞紙を丸めて作った棒きれで、真剣の日本刀に立ち向かわされていたわけだ。
この他宗攻撃を、僧侶や本部職員がやるならば文句はない。
というか、むしろやるべきだ。金をもらってるんだから。
他宗攻撃が問題なのは、金を出す側の信徒にやらせていることだ。
無知な信者に丸めた新聞紙を持たせて、「B29をやっつけて来い」と言う。
どこぞの大本営もビックリの無茶振りである。
「折伏せよ!」と大号令をかけながら金を集める。
百歩譲ってそこまでは分かる。そういうビジネスだと思えば納得する。
でも、折伏させるならば、せめて理論くらいは整備しとけよと。
何度でも言うが、金を出す側がしょぼい教学理論で戦い、惨敗し続けるのだ。
金を貰う側が理論化をサボり、ニコニコ笑っている。
偉っそうに道理を説く宗教家がやることなのかと。
頑張るのは金を貰う側だ。楽をするのは金を出す側だ。
それが道理というものだろう。
まるっきり逆なのだ。金を出す側が苦労して、貰う側が楽をする。日本政府かと。
理由が救済であれ幸福であれ平和であれ、やらせていることは特攻である。
負けるためのマニュアルを信者に持たせて、「戦ってこい」と送り出す。
それだけではなく、特攻する信者から笑顔で金を取る。
物心がついてから十数年を経て、ようやく私はこのおかしな構造に気づいた。
あまりにアホらしくなり、急速に興ざめしたのを覚えている。
地域組織の幹部に問題をエスカレーションをしてはみたが、言い訳ばかりでまともな反論は一つもなかった。
この教学的な問題は、私が信仰を離れるための決定打となった。
こうして、私が見ていた「日蓮正宗創価学会という夢」は、その幕を下ろした。
私は、他人が描いた夢よりも自分の現実と向き合うことにしたのだ。
この現実さえも夢かも知れないが、それは構わない。
夢であれ現実であれ、私にとって大事なのは、自分で選んだという自覚だ。
子どもの頃は、日蓮大聖人や日蓮正宗、創価学会、あるいは親が決めた善悪を指針として生きていた。
この「教学事件」を境にして、私は絶対的な価値基準や指針というものを失った。
幸いだったのは、この頃すでに数多くの多様な価値観を知っていたことだ。
ダウンタウンや爆笑問題、ラーメンズ、バナナマンといった芸人たちは、私の固定観念を壊してくれた。
ドラゴンボールやエヴァンゲリオン、ウテナなど、私の世代にはおなじみのアニメ・漫画作品の存在も大きかった。
それらは、幸せの形が一つではないことを私に教えてくれたのだ。
「創価や日蓮の外側にも楽しいことはあるのだ」と。
もちろん、古典的な名作群もまた、私の信仰離れを強力に後押しした。
ゴーゴリやカフカによって、私は超現実が持つ意味不明な味わいを覚えた。
芥川龍之介や太宰治のような近代の純文学は、「高等遊民的な捻くれた格好良さ」を示してくれた。
つまり、折伏教典を手にする頃には、私は創価以外の価値に囲まれていたわけだ。
日蓮教学の問題によって私の精神が傷ついても、その修復は早かった。
日蓮教学の外に、心地よい居場所を見つけていたからだ。
漫才や小説などのエンターテイメントは、すでに私の中で宗教よりも重要なものになっていた。
その時、私にとっての創価学会というのは信仰対象から昇格し、一種のエンタメになった。
コント、アニメ、漫画の類に並ぶエンタメとして、創価あるいは教学が浮上してきたわけだ。
より正確には、私が自らの決断でそのように位置づけたのだ。
それは日蓮本仏論も日蓮正宗も同じである。
真剣に信じている人がいる以上、それらをバカにする気はない。
また、宗教性や功徳や奇跡、超常現象的なものを頭ごなしに否定するつもりもない。
かと言って、私にとっては「深刻に向き合うほどにリアルな対象」でもない。
ただただ、楽しく語らうための対象である。
なぜなら、「自分が楽しく快適に生きたい」と私が強く願ったからだ。
宗教よりも正義よりも、自分自身の快楽を優先する生き方を選んだということだ。
以来、20年以上になる。その間は色々あった。
「それを小説に書く方が面白いのでは?」というくらい、本当に色々あった。
しんどいことも嬉しいことも含めて、自分の選択によって経験してきたことが、本当に楽しい。
宗教や親が準備したレールではない、自分の判断で選べる。
いや、そのレールに乗るかどうかも自分の判断で選べる。
誰に後ろ指を指されようとも、自分の価値観を優先する。
この楽しさは、信仰的な価値を絶対視していると味わえないものだ。
未知の世界を知ることができて、今は非常に満足している。
あのまま信仰を続けていたら、私は広宣流布を夢見ながら死ぬことになっていた。
夢を見ながらと言えば聞こえは良いが、実際は単なる心残りである。
「広宣流布なんて、実現するわけがない」と、心のどこかで確信しているからだ。
それよりも何よりも、広宣流布は私自身が設定した夢ではない。
日蓮大聖人なり池田大作氏なり、他人が設定した夢だ。
他人の夢を追いながら死んでいく。そんなのはイヤだ。
もはや、他人の叶わぬ夢を追う気はない。
順当に行けばあと30-40年ほど生きるのだろうか。
あとは、許された限り楽しい時間で満たせば良いのだ。
それが何であれ、私は自分の楽しみを自分で決めることができる。
日蓮系の信者から堕地獄や退転と罵られようが、創価を続けることで他人から後ろ指を指されようが、悲しもうが苦しもうが、全て私自身が自由に選択した結果である。
教団に仕組まれたルートではなく、自分の自由意志で選んだ結果である。
その自由を得られたことに、私は感謝しているのだ。
のびのびサロンシップよりも伸び伸びとした自由な人生。
控えめに言って最高である。
だから私は、こう書き残して筆を置こう。
日蓮正宗に、ありがとう。
創価学会に、さようなら。
全ての門下達に、おめでとう。
チンゲン革命 <完>
あー終わった。書き終わったぞ!頑張った!
おっしゃ、ビールだビール。ビール飲むぞ!
読者の皆さんはどうですか?寂しいですか?
もうチンゲン革命は終わりですよ。
読めなくなっちゃって寂しいですか?
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「寂しい…!もっと若本先生の話を読みたい!」と思ったそこのアナタ!
素敵!感謝!超感謝!最高!
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【朗報1】
「いちりん楽座」にゲスト出演します!
池谷啓さん主催の「いちりん楽座」にゲスト出演させて頂くことになりました!
創価2世として、色々ワイワイ語るし、みんなと語れる場らしいぜ!
チンゲン革命のトーク版みたいな感じかな?
とにかく、みんな来ようぜ! 楽しみだぜ!
■いちりん楽座「創価二世問題」
4月21日(日)14時〜17時(入室は13時半から雑談)
参加費無料
どなたでも 途中入退室可 顔出しも自由
GoogleMeet 下記リンクから参加できます。
https://meet.google.com/ohk-xxgz-znx
→Facebookに素敵な詳細告知がありまっせ!
↓ ↓ ↓
【朗報2】
チンゲン革命編集部から、素敵なお知らせがあるそうですよ!
興味ある方は読んでみてください!
■編集部より■
全12回にわたってお送りしてきた「チンゲン革命」、いかがでしたか?
若本大作先生の旅は、まだ始まったばかりです。
実は大作先生、次回作「珍・チンゲン革命」の発表に向けて構想を練っておられます。
読者の皆様、誠におめでとうございます!(大拍手)
しかも!なんとなんと!
新作を待ち切れない読者のために、来週からは「随筆・チンゲン革命」がスタートすることになりました!(大拍手)
水曜日更新の予定です。大作先生がお元気な限り(笑い)
お楽しみに!(超拍手)
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