ウクライナ平和の鐘 047 悪の愉しみを断て
■2022(令和4)年5月6日 047 悪の愉しみを断て
(動画の2:43~5:21)
本日の「平和の鐘 鳴鐘の輪」。悪業は人の本能に根ざした衝動だから、それを満たすことは愉しい。しかし苦しみを離れるためには、その愉しみを手放し善業に励むしかない。ウクライナで悪業を積む人々に伝えたい仏様の教えです。
合掌
初期の仏教経典のひとつ、ダンマパダ(法句経)の一節をご紹介しようと思います。
仏様の教えでいう善と悪は一般的な倫理道徳の善悪と必ずしも一致をしません。悪とは、それを為すことで積んだ業がやがて苦しみの報いとして帰ってくるものを指します。逆に善とは、後に自分の安らぎに繋がっていく行動をいいます。
お釈迦様は「善をなすのにのろのろしたら、心は悪事をたのしむ」とおっしゃっています。心は悪事を愉しむ──何故なんでしょう。それは悪業の元となる三毒を考えれば、よく分かります。
「あれが欲しい、欲しい、欲しい!」と欲望に駆られる時、他人に見つからないように、または脅して奪ったら、それは快楽です。憎い相手の悪口を言ったり殴ったり殺したり、自分の言うことを聞かない他国を侵略したら、それは快楽です。なぜなら三毒のうち貪欲と瞋恚は、私たちの生物としての本能に根ざしたもの、それが暴走した姿だからです。最後の愚癡、何が原因でどのような結果に至るのか、悪業の結果が自分の苦しみにつながるという因果の理法を理解できない時、人は悪を愉しむのです。
今、ウクライナにロシアが攻め込んでいます。そこで行われていることは、まさに悪の姿です。
再拝