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夏と戦争と盆供養(R060804盂蘭盆会)

 夏真っ盛りですね。今年の夏は近年でも特に猛暑だそうで、予報では来週からお盆の只中にかけてかなり暑くなるようです。今日は最高33度の予報で「少しマシだな」と思ってしまうくらい、最近の暑さは異常です。

 皆さんは夏にどのようなイメージをお持ちでしょう。

 私たちが真っ先に思い浮かべるのは、やはりお盆ですね。ご先祖様の霊がそれぞれの家にお帰りになって数日間を共に過ごされ、そしてまた彼岸へお戻りになる。そのような宗教的期間です。

 そして、お盆と並ぶ夏のイメージは、戦争です。太平洋戦争末期、8月6日に広島、9日には長崎に原爆が投下され、大勢の人が無惨な死を遂げました。そして8月15日、玉音放送で日本国民は敗戦を知りました。私は昭和40年生まれです。既に戦後20年経っていますから、もちろん戦争を直接は知りません。けれども、戦争を描いたドラマなどで、終戦の日は暑い夏として描かれています。昭和20年8月15日の東京の最高気温が33度ぐらいだったそうで、今日のこれぐらいの気温なんです。このような時期に、当時の日本人は戦争の終わりを迎えました。

 今年は戦後79年、つまり79年前まで日本は戦争をしていました。第二次世界大戦では、ヨーロッパでもアジアでも太平洋でも世界中に戦火が広がって、人々が憎しみあい、殺し合った。そのような悲惨な時代でした。

 戦争終結後、もうこのような戦争を起こしてはならないと国際連合が結成されます。そして集団安全保障体制を構築し、侵略戦争は許さない、国際間の紛争解決は裁判や話し合いで解決するようにしました。その後も朝鮮戦争やベトナム戦争、近年もアフガニスタンやイラクなどいろいろな地域の紛争がありました。それでも国連の働きと各国の自制により、世界戦争を起こさないできた80年間であったと思います。

 ところが、2年半前に始まったロシアのウクライナ侵攻、そして昨年10月のハマスのテロとそこから続くイスラエルとガザ地区そして中東全体を巻き込もうとしている戦争、このふたつの戦争の今後の進み行き次第では第三次世界大戦に繋がってしまうかもしれない……そのような瀬戸際に今、世界は置かれています。特に先日、イスラエルがテヘランなど敵対国の首都で暗殺を繰り返し、イランの報復行動次第で世界の運命が変わってくるかもしれない状況です。

 現代ではインターネットを通じて、最前線の様子や空爆された都市など、本当に悲惨な写真や動画を、見ようと思えば見ることができます。お父さんが徴兵されて戦場で亡くなった奥さんや子供たちの姿であったり、逆に小さな子供や若いお母さんがミサイルによって命を奪われた姿であったり、数十万人もの人が二つの戦争で命を落とし、生きている人も苦しんでいる。特に封鎖されたガザ地区は飢餓の瀬戸際にあると言われています。

 私たちの生きる日本は今、平和です。でも80年前の日本人は、まさに今私たちが目にしている外国の戦地と同じ、苦しい状況を生きていました。


 これは法華経寺二階位牌堂に安置された御位牌です。法華経寺には開基上人や各檀家さんの御位牌が多数ありますが、これは全てを代表する総位牌に位置付けられます。中央に法界一切之萬霊菩提、左に信者各家先祖代々之霊。そして右には戦没勇士之諸精霊──戦没者が特筆されています。どのような経緯で法華経寺に安置されることとなったのか、私は承知をしておりません。ただ、この文字は間違いなく先代の法華経寺二世・日穣上人のものです。

 79年前に戦争が終わり、日本は復興への道を歩みました。私自身を含めてこの場にいる方の多くは戦後の平和な時代に生まれ、成長し、今に至ります。けれども、戦後10年、20年、30年経っても、戦争の時代をくぐり抜けて生きてきた方が
大勢いらっしゃいました。そして、その人たちの多くは、自分の大切な人を戦争で亡くした経験をしている筈です。

 NHKの朝の連続テレビ小説「虎に翼」は、今、戦後7年が経過した時代の裁判所が舞台となっています。裁判という人の紛争を通じて描かれているのは、戦争が残した傷跡なんです。何年経っても癒やしようのない傷を、人々は抱えて生きていた。そのことをここまで克明に描いたドラマを私は知りません。まさにドラマ史に残る名作であろうと思います。

 同じことが日本中であったはずなんです。戦後この法華経寺に集まる人々も、戦争の中で誰もが大切な人を何らかの形で失った。

 私の例で言うと、父方の伯父が戦死をしていますが、そのことを父から聞かされたことはありません。では何故それを知っているのか。実は私は島根県職員時代の一時期、軍人恩給の仕事をしていました。戦争中に兵士として戦い亡くなった戦没者のご遺族には今も国の支援が行われ、各都道府県でその事務を担っているんです。当時、戦没者台帳の中からふと福頼某の名前を見つけました。戦後二十年くらい経った頃に戦没者の叙位叙勲が行われ、それを受け取った遺族の欄に私の父の名前が載っておりました。当時の記章は今も実家に保管されています。

 父の兄が戦死していたという話を、昭和40年生まれの私は聞かされたことはなかったと思います。話さなくとも、戦争をくぐり抜けてきた人たちは誰もがそのような傷を抱えて、今の日本を作ってきた。そういうことなんです。

 父は大正15年生まれでした。昭和20年の終戦時は数えの二十歳、本来なら学徒動員で戦争に行くところでしたが、松江工業高校時代に肺結核を患って肩甲骨の片方を切除した身体障害者でした。子供の頃、父と一緒にお風呂に入ると、背中が左右違う形をしていた。父から手術の話を聞かされて、左右違う背中の形をなぞらせてもらったのを覚えています。結核によって父は学業を全うできませんでしたが、その代わり戦争に取られませんでした。

 自分が戦争に行った人も、行かなかった人も、みんなが辛い時代を通っています。法華経寺の元となった松本家(開基日信上人の家)の信心は戦前から続いていましたが、戦後に周囲の人たちに広まり、現在の堂宇を建立したのが昭和44年です。そこには、戦争の時代を生きてきた人たちが集まっていました。そのような法華経寺だから、総位牌の中に特に戦没者の霊が祀られているのだろうと思います。

 戦争はいつの時代にもあります。日蓮聖人の鎌倉時代もそうです。言わずと知れた蒙古襲来です。

 当時の中国を支配していた大蒙古国は極めて勇猛で、周囲を激しく侵略しながらヨーロッパにまで領土を広げていった国です。そのすぐ側にある日本にも侵略が試みられました。まさに日蓮聖人の生きておられた時代です。

 日蓮聖人のお手紙「上野殿御返事」に、蒙古が攻めてきた時の状況に触れるところがあります。

 そもそも私(=日蓮聖人)は日本国の危機を救いたいと深く深く願っているのだが、日本の上下万人、偉い人も市井の人々もみな自分を憎んでいる。これは国が滅びる前兆かもしれないが、「南無妙法蓮華経こそお釈迦様の真実、御題目でなければ救われないぞ」と一生懸命伝えているのに人々は理解せず、受け入れようとしない。ましてや度々仇をなされ、首を切られそうになったり二度の流罪を受けるなど様々な迫害を受けている。そのような状況で自分は力及ばず身延山に入った。大蒙古国の軍勢が日本に押し寄せようとしているそうだ。「御題目信心に依らねば他国に侵略されるぞ」との私の警句を人々が受け入れて法華経を信仰する国になっていたならばこのような危機には至らなかっただろう、と残念に思う。──壱岐や対馬では大勢の人が虐殺されたり、連行されたりしました。これはまさに今、ウクライナやガザ地区で起きていることです。それが蒙古の侵略によって九州北部で起きていると、鎌倉時代の日本中の人は伝え聞いているのです。蒙古が日本中に攻め入って壱岐対馬と同じような虐殺が繰り広げられると想像するだけでも、なんとも辛く涙が溢れてしまう。日蓮聖人はそのように上野殿へのお手紙にお気持ちをしたためられています。

 この時、蒙古が日本中に攻め込んでいたならば、今の日本はこのような形ではなかったでしょう。しかし、当時二度の戦役をくぐり抜けて、蒙古侵攻を撃退しました。おそらく日本が大陸から離れた島国であるという地の利が大きな役割を果たしたのでしょう。けれども、少なくともこの日蓮聖人の時代に、戦争が起きるかもしれないという恐怖を誰もが我が事としてひしひしと感じていたことがわかると思います。

 そのような状況の中で日蓮聖人は今拝読したところの前の箇所で、次のように上野殿に向けて語りかけておられます

 上野殿は小さい頃にお父さんを亡くしておられます。お父さんは武士つまり軍人だったが、強く強く心を確かに持って法華経の信心をした方だったので、お亡くなりの時に身体の苦痛や心の乱れを経験することなく穏やかに命を終えることができたと聞いている。そのお父さんの後を継いで上野殿もまた法華経を信じ保っているのだから、亡くなったお父さんの魂は草葉の陰で喜んでおられるだろう。もし今生きておられたならばどれだけ嬉しく思われたことだろうか。この法華経を信じ保つ人々は、血縁関係のない他人であったとしても、亡くなった後は共にお釈迦様が法華経を説かれた霊山浄土へお参りして顔をあわせる。他人ですらそうなのだから、血の繋がったお父様とあなたは共に法華経を信じ、亡くなった後で霊山浄土で顔を合わせることができるぞ。そのように日蓮聖人は、早くに父親を亡くした上野殿に教えておられます。

 日本中の人がこれから起きる戦争で命を落とすかもしれない深刻な状況の中で、共に法華経を信じたならば亡くなった後も愛する人と共にいられる。だから大丈夫だ、安心なさいと、日蓮聖人はおっしゃっているのです。

 私たちは今、もしかすると第三次世界大戦の瀬戸際にいるのかもしれません。今はそこまで切羽詰まった危機感を持っていないとしても、インターネットを通じて私たちは今現に起きているウクライナやガザ地区の惨状、戦争の現実を克明に知っています。そして今から80年前、私たちの父母・祖父母はそのような時代を経験し、大切な人を亡くしておられます。

 最初にお話をしたように、お盆は亡くなったご先祖様方がそれぞれの家にお帰りになる時期です。私たちの大半は戦後生まれですから、直接知る親族がかつての戦争で犠牲になったという方はとても少ないのかもしれません。しかしたとえ戦争でなくとも、人はいつか命を終える定めなのですから、誰もがかつて共に暮らし愛した家族を喪う経験をしているはずです。お盆には、そうした方々がみなさんのすぐ近くに戻ってこられます。わずか数日のことではあります。しかしこの期間に、亡き人を身近にお迎えし、平和な日本でお盆を迎えられたことを感謝して、そしてお盆の終わりには亡き人が彼岸にお戻りになるのをお見送りをする。そのような貴重な数日間を、皆さんには過ごしていただきたいと思います。

 そして、もう80年前のような戦争を起こしてはならないという思いを持って、発言し、行動すること。それが私たちの次の世代に、肉親を喪い孤児になるような経験をさせないために必要なことなんです。

 全てはつながっている。全ては人生の中で起きること。そしてそれは全て南無妙法蓮華経、誰もが仏になる道を求めることの大切さを意味します。その先に、戦争のない平和な世界が実現する筈です。

 そのような一天四海皆帰妙法の世界を思い、自分自身の親しき亡き人の魂をすぐ側に感じながら、今年のお盆をどうぞ安らかにお過ごしください。

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