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『白虎の路』 甲州街道とうりゃんせ 5

その5 「横浜にて」



横浜にて

1.秋の山下公園

 駐車場を出て、山下公園に着いた時、海風に秋の香りが乗ってやって来た。 色褪せた広葉樹から、ひとひらの葉が舞い落ちて来るのを目にしたとき、胸が締め付けられたような切なさに、直人は、思わず溜め息をついた。

「直くん、どうしたの?」

 利紗世が聞いてきた。

「あ、いや、こんな可愛い女の子達四人と知り合えて、生きてて良かったぁ。。 みたいな!(笑)」

 照れ隠しに冗談めかして、わざとキザっぽく言うと

「ふぁあー、なにそれっ!」

 奈津子に、この鼻から抜けた ”ふあぁー” をしゃがれ声で言われると、訳もなく愛しく感じてしまう直人だった。

「はぁいぃ、なぁにぃかぁ・・?」

 そのくせ、そう言われると、わざとすっとぼける、ひょうきんな直人が居た。

「わぁーい、おっきな船留まってるぅ♪ 何処、行くのかなぁ?」

「なに、氷川丸じゃん。 あれは、何処にも行かないのっ! ずっと留まったまんまだっつうにぃ。(笑)」

 氷川丸は,太平洋戦争でも沈没を免れた数少ない大型貨客船で、ここに係留される以前は、立派に太平洋を航行していた。

「あは、そうなんだぁ」

 またも、手のひらを広げた ”あは” だ。
さっきから、ずっと直人の頭の中では、この ”あは” と ”ふあぁー” が壊れたディレイマシーンのように、何度も、なんども繰り返されていた。

2.ショッキングブルー

 ふと、左に人の気配と甘い香りを感じて振り向くと、そこには膝上まであるバックスキンのロングブーツに長袖のワンピースを纏った高里愛が居た。
ワンピースはゆったりした採寸で仕立てられているものなのだが、二の腕の所と胸の部分が大胆にカットされている、それだけでも充分セクシーな服なのに、その引き締まったウエストの辺りを太めのゴージャスなベルトで絞り上げられて、太股も露わな超ミニに仕上がっている。
その女性らしい肢体は、より強調されて生地がボディラインに沿って絡みついている。
ブーツはショッキングブルー、ワンピースは少し濃いめで鮮やかなイエロー、金色からその光沢だけを取った黄色、つまり山吹色と云うやつだ。
もし、高里愛と二人だけで来ていたなら、きっと何処か二人っきりになれる静かな場所を求め,無言で手を引いて歩き出していたことだろう。

「よぉ、そのブーツ洒落てんじゃん!」

 高里愛は、そのつけた甘くて渋いパフュームの示す通り、フェロモンを吹き出しながら歩いているが、香取彩と同様に、決して自ら話しかけようとはしない。

「あ、ありがとう」

「んと、俺、浅川直人、おぬし、なんてぇのぉ?」

「えっ!」

「だからさぁ、な・ま・え!」

 愛の名前は、利沙世に聞いて覚えていたが、わざと、もう一度聞くことにした。

「高里愛だよ。 宜しく!」

「ねぇ、 “プアゾン“  だよね・・ ディオールの」

「えーっ、うっそぉ!」

「あれっ、違ったっけ?」

「そうだけど、なんで知ってんのぉ? あ、元カノとかぁ?(笑)」

3.プアゾン

 元カノ・・? 当たらずとも遠からず、というところだろうか。
三年ほど前の夏、渋谷でナンパして一週間ほど夜を共にした、年齢不詳、名前も聞かずに別れた家出娘の着けていた香水が好きだった。

 出逢ったその夜、心も身体もとろけてひとつに成れた・・そう感じたのは、直人だけだったのだろうか。高揚した気持ちも冷めぬままに、まどろんでいる直人の胸に顔を埋めて、微かな音をたてながら、唇を着けたり離したりしている。
とても愛されているように感じたし、既に気を許していた直人は、彼女の黒髪を撫でながら耳元で囁くように名前を聞いてみた。

「・・・」

 無言の儘、唇と素肌の微弱な音だけが聞こえ続けている。
年齢、出身地、エトセトラ・・何を聞いても適当に誤魔化されるだけで、何も教えてくれない。 で、何も教えてくれないならせめて名前くらいと、少しやけくそ気味に聞いてみた。

「なぁ、 名前くらい 教えろよっ!」

「プアゾン・・・」

 そう聞こえた。

「えっ、なに?」

「だから ”プアゾン” 、私の香水・・」

 その夜から一週間、彼女の名前は ”プアゾン” だった。
最後まで本当に何も教えて貰えなかったから、家出少女って言うのも直人の勝手な想像で、実際のところ、全てが謎のままだった。

4.猫にマタタビ

 高里愛が顔を覗き込んで来たので我に返った。

「うっ、まあ、良いじゃん。 俺、好きなんだぁ。 この香り。 愛ちゃんが着けてると特に良い! うん、ぐっと来る。(笑)」

「もうっ、直人さんったらぁ!」

 照れて紅くなった高里愛の仕草と表情は、そのド派手なルックスとは裏腹なギャップが妙に可愛く、今度は本当にぐっと来た。
その反面、 ”こいつら、ぜってぇ芝居じゃね、やっぱ、女って恐っ!” 頭の中で、あまりに単純な直人をもう一人の直人が牽制していた。

 そんな話を背中で聞いていた秋彦が、すかさず割り込んできた。

「”猫にマタタビ、直人にパフューム” ってくらい、こいつ匂いに弱くて見境無くなるからさぁ、襲われないようにねぇ〜(笑)」

「るせぇなぁ、あっち行ってろ、しっ、しっ・・」

 実際、当たっていた。だけど、香水ってやつは、汗の匂いと混ざって芳香するため、同じ香水を着けたからと云って同じ香りがする訳では無い。特にディオールのそれは、人を選ぶ香水であり、誰が着けても甘い香りがするとは限らない。
プアゾンとはフランス読みで、英語だとポイズン、つまり毒物を意味する言葉であり、その名の示す通り、本当に中毒症状を引き起こしそうになるくらい、独特な芳香で男を虜にする。まさに香りのドラッグである。

 高里愛のそれは、幸か不幸か、これまで着けていた誰よりも甘く、妖艶で芳しい香りを辺り一面に放っていた。

5.奈津子と香水

「なっちゃんだって、着けてるモォーンだ・・」

 今度は、奈津子が話しに割って入って来た。
同じ車に乗っていたのに、直人はまったく気付いていなかった。

「えーっ、マジでぇ?」

「ほぉーらっ」

 奈津子が鼻先に差し出した、手首の脈打つ辺りから、なんとも甘い香りが漂って、直人の鼻腔を刺激する。

「くぅーっ、たまらん ”スイドリームス” じゃん」

「えーっ、もうやだぁ、直人さんたら知りすぎじゃない」

 高里愛が言い終わらない間に、奈津子が被せて言った。

「ふぁあー、なにそれっ! 誰が、着けてたのよぉー!」

「そんなの、忘れちゃったよぉ」

 本当は、ハッキリ覚えていたが言える訳も無い。

6.夢うつつ

 それは、一昨年の夏、秋彦と二人で大阪に遊びに行った時のことだ。
道頓堀、グリコの電飾が有る橋、通称 ”ひっかけ橋” と呼ばれている橋から、宗右衛門町を二人して東にぶらぶら歩いていると、案内所の男に呼び止められた。
二人とも風俗なんか行くようなタイプじゃなかったのに、酔うにまかせて旅の恥は掻き捨てとばかり、案内されるまま地下一階の怪しげな店内に・・・。
なんだかよく分からないまま、環状に作られた席のひとつに座らされて、ぼぉーっとしていたら、女の子が突然、膝の上に跨がってきた。向かい側では秋彦が、同じように跨がられているが、初めて来たとは思えない慣れた手つきで、よろしくやっている。
直人は、初めてなのと恥ずかしいのとで固まっていると、跨がっていた女の子が聞いてきた。

「初めてなん?」

 何処にでも居るような、二十歳そこそこの可愛い女の子だった。
風俗も初めてだが、女の子の大阪弁を聴くのも初めて、酔った頭に初めて尽くしで、なんだかくらくらするのを誤魔化しながら、やっとの思いで声を発した。

「う、うん・・」

 それでも何もできず、固まっていると・・

「せっかく来てくれたのに、なんにもせんの?」

 そう言ったかと思うと、見せかけのセーラー服の前をいきなりはだけると、何も着けてない裸の胸を、直人の眼前にさらけ出した。

「うわっ!」

 突然出現した豊満な乳房を前に、直人は、思わず声を上げてしまった。

「ほらっ、触ってもええんよ!」

 そう言うと、直人の頭を両手で掴んで、ぐいっと胸の谷間に引き寄せた。

「あたし、あゆみぃ、よ・ろ・し・く!」

 その声を聴きながら、胸の谷間で仄かに香る甘い匂いに恍惚となりながら・・

「むぅーん、良い匂いしてるぅ。。」

 思わず、そう口走っていた。

「うふふ、アナスイの ”スイドリームス” 、やよ。ホンマは香水着けたら店長に怒られんねんけどな・・ うふっ、ええ夢、見てぇな・・」

 香水が禁止されているのは、妻帯者にも、安心して? 来て貰える風俗と云うことらしい。
そこから先のことは、よく思い出せない。気が付くと秋彦と二人、また夜の宗右衛門町をフラフラ歩いていた。

 匂いとは不思議なものだ。その香りと共にその店内での秘め事が脳裏に、鮮明に浮かんできた。

7.空腹

 大阪の繁華街を思い出しながら、ぼぉーっとして、焦点の定まっていない直人に向かって、奈津子が言った。

「ばぁーか!」

「あーっ、ホント気持ちいいよなぁ」

 奈津子のひと言に、我に返った直人は伸びをして大きく息を吸い込むと、そう言って歩き出した。
渋谷から下道を通ってきたので、気が付くと、もう三時が近い。

「うおぉーい、なんか腹へらね?」

 直人が振り返りざま、誰にとも無くそう言うと、東野博がそれに答えた。

「ほんじゃ、中華でも行くか」

 東野がそう言う時は、もう何処か決めている時である。

「よし、東野に任せた! みんな、東野に続けぇー!(笑)」

 秋彦は、茶化すように言ったが、こういう時は大抵、美味くて感じの良い飲食店を数多く知っている東野に、いつも頼るのだった。

8.港の見える丘公園

 山下公園を背に、中華街へと少し歩いて行くと、程なく萬珍樓と描かれた看板が見えて来る。飲茶も出す広東料理の老舗である。
萬珍樓で飲茶をたらふく掻き込んだ一行は、中華街近辺の小物屋を物色しながら、ぶらぶらと当てもなく散策していると、いつの間にか ”港の見える丘公園” へと辿り着いた。
みんな子供の頃のように、きゃっきゃとひとしきり戯れ、遊び回っていると、ちょうど良い腹ごなしには成ったものの、日はとっぷりと暮れて来ていた。

「わぁーい、ベイブリッジ、べいぶりっじぃ〜!」

 奈津子の騒ぐ言葉に引き寄せられるように、みんなが集まってきた。

「わぁ、綺麗だねぇ。。。」

 闇のベールは汚れたものを覆い隠し、光は、その綺麗な輪郭だけを幻想的に映し出していた。

「なっちゃん、あそこ通りたぁーい!」

「たくぅ、単純なやつだなぁ。(笑)」

 そう言いながら直人は、 ”やっぱ、見たくないモノは見えない方が良いのかな” と心の中で呟いた。 

「ふぅーんだ、いいもぉーん、どぉせ、なっちゃん単純なんだもぉーん。。。」

「よぉ、赤煉瓦行って、お茶しようぜ!」

 秋彦の言葉に奈津子だけが素早く反応した。

「やたっ、赤レンガっ、お茶、おちゃ!」

「あっ、赤レンガ倉庫ね。 んじゃ、お茶しに行きますかぁ」

 女連中がいると寡黙を装い、滅多に口を開かない北村伸也が答えて言った。 こういう時の北村は、本当に優しい。

9.横浜赤レンガ倉庫

 通称、横浜赤レンガ倉庫、以前は、新港埠頭保全倉庫と呼ばれていた。つまり、その名の通り元々は、横浜税関の倉庫である。
港に隣接する赤煉瓦の史跡は、独特の雰囲気を醸し出すと共に心を和ませてくれる。

 今日来た四人の女子達は、都内でも有名な、”お嬢様学園T女” 小学校だけが唯一男女共学のその学園で、利紗世と奈津子は、小、中、高、短大と共に過ごしていた。
香取彩と高里愛は、中、高が同じで、大学は四年生の女子大へ進学、ただ校舎は同じだったので、在学中はよく一緒に遊んでいた。中でも高里愛は中学1年の二学期に編入してきた帰国子女で、英語もネイティブ並に話せるらしい。

 そんな訳で、赤レンガ倉庫の一角にあるカフェに着いてからは、女学園話に花が咲いていた。

「学校ん中、女の子ばっかだと、ホント酷いよぉ」

「え、なにが?」

「うふふ、そんなの言える訳無いじゃん(笑)」

「なんだぉ、気ぃ持たせんなよなぁ」

「ねぇねぇ、あれ高1ン時だっけ、確か桜組だったから・・」

「へぇー、桜組なんだ」

「そう、中学ン時が色で、高校が花の名前(笑)」

「ふぅーん」

「登校ん時、校門でクラスの子が五人ほど、髪の色とかパーマかけてんのとか注意されてさぁ」

「はぁ、校門でお出迎えですかぁ」

「それ社会の先生だったから、社会の前の休み時間に、教卓の上に生理用品山積みンなっててさぁ、入って来た先生、固まってたよなぁ・・(笑)」

「うぅーっ、女って恐ぇーっ!」

「あたしと奈津子は短大だったから、もう社会人だけど、この子達は女子大生だからねぇ。まだそんなことやってたりして(笑)」

 それから幾つも話は尽きずに続いたが、男連中はと云うと、 ”ふぅーん”、 ”へぇー”、 ”ほぉー”、 ”はぁー” とハ行の連続で相槌を打ちながら、まったく内容など無いが、ある意味最高に面白い未知の世界の、おバカ話に聞き入っていた。

 そんな話が途切れた時、東野が切り出した。

「なぁ、そろそろ ”タット” 行かない?」

「だねっ!」

 直人が言うと、高里愛が絡んできた。

「えっ、直人さん ”タット” って ”キングタット” のこと?」

「へぇー、愛ちゃん ”キングタット” のこと知ってるんだ」

「でも女の子は会員に成れなくて、会員同伴か会員記名の招待券が要るし、男の人も会員じゃないと入れて貰えないって・・、それに、確かオープンは、来週の11月2日、ハロウィンの日だって聞いたけど・・」

「うっそぉ、スッゲぇ! なんで、そんなよく知ってんのぉ?」

「知ってるよ。 だって、パパも ”キングタット” の会員なんだもん(笑)」

「ふぅーん、そうだったんだぁ。 なぁーるほど・・」

「この夏、プレオープンしてから、毎週末の金曜、土曜だけ営業してるんだよねぇ。但し、プラチナ会員同伴か、プレオープン専用の紹介状が無いと、正会員でもオープン当日までは入れないんだけどけどさ」

「じゃじゃぁーん!」

 東野博が写真入りのプラチナ会員カードをパスから出した。

「えーっ、なんでぇー、東野さん、すっごぉーい!」

「ちぇっ、なんだぉ 利紗世、てめぇ俺ん時は ”直くん” で、東野ん時は、 ”さん” 付けかよぉ」

「良いから、いいから(笑)」

「あ、でもでもっ、これってあれだよね、プラチナ会員なんのって、確か、入会金1000万で年会費100万じゃなかったっけ?」

 高里愛が東野に向かって聞いた。

「んと・・・」

「あ、こいつの義理の兄貴で、椎名さんてのがいるんだけど、実は、その人が ”キングタット倶楽部” の理事長兼オーナーなんだよねぇ(笑)」

 東野が答えるよりも早く、秋彦が突っ込んだ。

「うん、だから、みんなして行こう!(笑)」

 ばつ悪そうに頭を掻きかき、東野が言った。

「うっし、シュッパァーツ!」

 秋彦の号令に全員が席を立った。

10.観覧車

 支払いを済ませて横浜赤レンガ倉庫を表に出ると、奈津子が急に駆けだした。

「わぁー,観覧車、かんらんしゃぁー!」

 ライトアップされた観覧車が、まるで捕虫器の蛍光ランプのように奈津子を呼び寄せていた。

「なっちゃん、あれに乗るぅ〜♪」

「今日はだめ、ほら、奈津子行くよっ!」

 梨沙世が保護者のように奈津子を引っ張り戻して来た。

「今度、また別ん時、俺が連れてってやっからさ」

「えっ、ホントっ!」

「おぅ!」

「じゃ、指切りっ!」

「ほぃほぃ」

 こんな約束、当てに出来ないことは分かっていたが、小指に奈津子の体温を仄かに感じながら、直人は奈津子とのデートを思い浮かべ、ひとり満足していた。

 山下公園脇の駐車場へと戻った一行は、ベイブリッジを渡って六本木へと向かった。

その6 「キングタット紳士倶楽部」に続く


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