『白虎の路』 甲州街道とうりゃんせ 12
その12 「4thデート」
4thデート
1.霞草
奈津子とは、携帯での連絡は頻繁に取っていたが、彼氏とも彼女とも断言できない。相変わらず宙ぶらりんの空中浮遊状態だ。
不倫野郎が、奈津子に対して本当に誠実な奴だったなら、奈津子が迷っても仕方がないのかも知れないが、そいつはと云えば、全く優柔不断で、のらりくらりと誤魔化してばかり、どれを取っても奈津子を引き留めておくための手段としか取れないものばかりだった。
奈津子に対して、誠実な態度も、言葉も、微塵もない。
奈津子から不倫野郎の話を聞く度に、直人は憤慨するばかりだったが、奈津子が不倫野郎のことを誠実だと勘違いさせられている以上、直人には、どうすることも出来ない。いや、奈津子は勘違いしていると云うより、洗脳されていると云った方が正しいのかも知れない。
何をどうしようが、不倫野郎と奈津子は、同じ会社で毎日顔を合わせている訳で、直人には圧倒的に不利な状況だ。
馬鹿正直にも、奈津子は直人が聞くことには全て、ストレートに答えを返していた。
例えば、会社に噂になるから外で会っていることや、会社帰りにラブホに行ったこと、そいつにも直人のことを話していると云うこと、直人と出逢ってからも一度だけ関係を持ったこと・・、直人にとって、真実を伝えてくれることは、何より嬉しいことなのだが、その真実は、直人にとって、その全てが辛いことばかりだった。
直人と同じで、基本的に嘘の吐けない性格だったし、だからこそ直人は奈津子に惹かれていたのだから、そのストレートさは、直人を傷つけもしたが、よりいっそう奈津子のことを好きになって行ったことは言うまでもない。
そのうち騙されていることに気付く、奈津子が、不倫野郎にとって都合の悪い存在に成れば捨てられる・・ そうは確信していても、逢えない日々の、一日、いちにちの積み重ねは、歯痒く、直人にとって長く辛いものでしかなかった。
直人は、次のデートの約束をする気にもなれず、眠れぬ日々が続いていた。
そんな時は いつも、ベッドからむくっと起き出して、支度をすると、花瓶に束で挿してある霞草を一本抜き取って、駐車場へと下りて行った。
アストロを発車させると、一目散に奈津子の実家、河口湖の綿福布団店を目指した。 ・・とは云っても奈津子に逢いに行くのではない。
綿福布団店に到着する頃には、大抵、夜中の四時、五時頃だったし、奈津子を次のデートに誘う気力も出ない程なのだから、奈津子とは顔など合わせたくなかった。
店の前に車を停めて、奈津子が一日でも早く気付いてくれるように、祈るような気持ちで、一輪の霞草を店の脇に、そっと置いて帰って来る。只、それだけのことだ。
それは、時には、毎夜続いた。眠れぬ夜は、必ずそうした。
直人が奈津子のことを、どんなに愛しているかなんてこと、伝わらなくても良かった。 兎に角、早く、本当のことに気付いて欲しい、それだけを願って、時代劇のお百度参りの如く、霞草を置いては、帰ってきた。
2.高里愛
そうこうしていると、高里愛から連絡が入った。
キングタットで飲茶ランチに連れて行く約束をした儘、放ったらかしにしていたことを直人は思い出した。
「もしもし、直人さん?」
「よぉ・・」
「覚えてる? 愛だよ」
「もち 覚えてるさ」
「ホント?」
「あ、あぁ、忘れるワケないじゃん」
直人は、バーカウンターでの濃厚なキスを思い出していた。
「だったら、どうして連絡くれなかったの?」
「・・・」
「約束した後、愛のこと忘れて欲しくないから、あんなに熱いキス交わしたのにぃ!」
「ご、ごめん・・」
完全に、高里愛のペースで話は進んで行った。
「直人さん、今度の土曜、時間、空いてる?」
「う、うん・・」
「じゃ、土曜日、渋谷のタンタン、良いよねっ!」
「あ、あぁ・・」
「11時に、ハチ公前で待ってるねっ!」
「あっ・・」
「なぁーんか、気のない返事ばっかで、やぁーな感じぃ・・今度こそ、絶対、約束だよっ!」
「わ、わかった・・」
「じゃ、11時にっ!」
「じゃあ・・・」
プチッ! 一方的に決められて、一方的に切られてしまった。
「まいっかぁ・・奈津子も不倫野郎、居るんだし・・」
そう言いながらも、何故か明るい気持ちに成れない直人が、そこに居た。
3.タンタン飯店
その週の土曜日、10時半頃、駐車場からアストロを出した直人は、渋谷、ハチ公前へと向かった。
ルート246を渋谷方面に、山手線の下を潜って、左から大きく回り込んだ所で、高里愛の携帯に電話した。
「あ、愛ちゃん? もう直ぐ着くから、スクランブルの手前んとこ、道路際まで出て来て」
「はぁーい!」
渋谷スクランブル交差点から宮益坂の方に、アストロを見つけた高里愛が、駆け寄って来た。 高里愛を乗せて道玄坂を少し上がったとこに在ったパーキングにアストロを入れると、タンタン飯店へと向かった。
タンタン飯店に入って、席に通されると直ぐ、温かいジャスミン茶のポットが運ばれて来て、透かしの入った湯飲みに注いでくれる。
ジャスミン茶を注ぎ終えてからメニューが渡されたので、ジャスミン茶を飲みながら、あれこれとオーダーを始めた。すると、オーダーをしている最中に、うっすらとあんの掛かった青梗菜の炒め物を出してくれた。
オーダーが済むと、オーダーした皿を待つ間に、その青梗菜を食べながら、ジャスミン茶を啜るという寸法だ。
「うわっ、このチンゲン菜、美味くね?」
直人が一口食べるのを確認するように見ていた高里愛が、青梗菜に箸を付けた。
「え、あ、ホント、美味しいっ!」
「だろっ、これって、メニューに無いのかな?」
「直人さん、聞いてみれば?」
「だね」
そんな話をしている所へ、店員が最初の皿を運んできた。
「お待たせしました」
「あのぉ」
「はい」
「この、最初に出して頂いたチンゲン菜の炒め物なんですけどぉ・・」
「あ、なにか不具合でも御座いましたでしょうか?」
「いや、そうじゃなくて、これってメニューに載ってるんですか?」
「はっ、申し訳ございません。 ランチバイキングでは、前菜として少量ずつお出ししているのですが、残念ながら単品としてメニューの方には載せておりません」
「じゃ、このチンゲン菜は、頼めないんですよね?」
「少々お待ち頂けますでしょうか?」
「あ、はい」
その店員は、一旦、奥へ下がると再び現れた。
「あのぉ、ランチバイキングとは、別途料金を頂くことになりますが、それでも宜しければ、夜の単品メニューに載っているものを出させて頂けますが・・、如何致しましょう?」
「ありゃりゃ、別料金なんだぁ(笑)」
「はい、ただ夜の単品メニューのものなので、お料理の量は多くなっております」
「愛ちゃん、頼んだら食べるよね?」
「うん」
「じゃ、お願いします」
何の変哲も無い青梗菜だったが、他の料理はどれもかなり濃厚な味だったから、その口直しには、ちょうど良い味加減だった。
どの料理も濃厚ではあったが、どれも一様に美味しく、絶品だった。一皿は少量のものばかりなのだが、結構な数を頼んでいたので、直ぐにお腹は膨れてしまった。
それでも、まだ二人は、デザートに胡麻団子と杏仁豆腐を平らげ、最後にライチを頬張りながら、お勘定を済ませた。
4.高里愛の誘惑
タンタン飯店を出た二人は、腹ごなしに、渋谷センター街にあるカラオケボックスで二時間ほど時間を潰した。
外へ出て、神南辺りをぶらつきながら、NHKホールが見え始めた頃、直人は、前の坂を右手に下った所にレンガ造りの洒落た珈琲ショップがあったのを思いだした。
「ねぇ、珈琲、飲もうか?」
「うん、良いよ。 何処で?」
「そこの坂、下ったところに、なんかあったと思うから・・」
外観は、落ち着いた感じのレンガ造り、店内は少し薄暗いが、珈琲を飲みながら本が読めるように、奥の広いカウンターと、数カ所のテーブルには、アンティークな読書ライトが置かれている。
珈琲は、どれもストロングタイプの濃い珈琲だ。とは云っても、ただ苦いわけでは無く、充分に香ばしくコクがあり、そのコクは、店のドロッとした珈琲フレッシュと相俟って、より一層、香ばしくなる。そこには、ミルクで割ったカフェオレなどでは味わえない美味しさがある。そして、あまり煩くない音楽は、普段なら、珈琲を飲みながらの会話を弾ませてくれる。
だが、直人は、寡黙になっていた。
「直人さん、どうしたの?」
「えっ、なにが?」
「だって、お店に入ってから、なんにも話してくれないんだもの・・」
「あ、そだっけ・・」
「わたしと一緒じゃ、つまんない?」
「いや、そんなことない・・」
「ホント?」
「ホント、ほんと、いや、マジで、まじで・・」
本当は、あまり話したくなかった。
情け無い話だが、口説く気も無いのに、口説く感じの話題ばかりが頭をよぎり、何故かふつうの話題が浮かんで来ない。
「良いけどね、わたしは、直人さんと一緒に居られるだけで、充分、楽しいから」
「ん・・・」
”またまたぁ、そんな冗談ばっか言ってぇー” と言いかけたのだが、その言葉を、ぐっと腹の底に呑み込んだ。 高里愛の次に出てくるかも知れない言葉を、聞きたくなかったからだ。
ふと高里愛の方に眼をやると、瞳が潤んで、その表情は憂いを帯びている。
思わず、抱きしめたくなるような衝動が、湧いてくるのを押さえ込むために、直人は、わざと目を逸らした。
「直人さんの、ばかっ!」
「へっ・・?」
直人は、わざと何も分かってない振りをした。
神南の珈琲ショップを出る頃には、もう10時を過ぎていた。
「ふぅーっ、なぁーんか、時間経つの早かったなぁ」
直人は、独り言のように言った。
すると、高里愛が、透かさず言った。
「今日は、帰りたくないな・・・」
直人は、その言葉をわざと聞いてない風を装ったら、高里愛がキングタットでしたように、腕を組んできた。直人が、渋谷駅の方へ向かって歩き出そうとしたら、高里愛が、組んだ腕を引っ張って、道玄坂二丁目の方へ行こうとした。
確かに、道玄坂二丁目を抜けた方が、アストロを預けた駐車場に行く近道ではあったが、道玄坂二丁目と云えば、渋谷のラブホ街である。
「表通り、歩いて行こうよ!」
高里愛と奈津子は友人でもある訳で、直人にしてみれば、高里愛とそんな関係になって、これ以上話をややこしくしたくなかったのだ。
ラブホの前で、もし、高里愛にさっきみたいに組んだ腕を引っ張られたとしたら、今の直人には、それを拒むだけの自信が無かった。
少し、ほっとした気持ちで、表通りを歩いて、なんとか無事に駐車場まで辿り着いた。
「よしっ、送ってこう!」
「意地わるっ!」
そんな高里愛の言葉など、無かったかのように無視して、直人は言った。
「シュっパぁーツ!」
道玄坂を登り切って、ルート246、玉川通りに入って直ぐ、奈津子との約束を思い出した。奈津子とは10時に電話を入れる約束をしていたのに、時刻は既に11時を回っている。
「わっ、やべっ、ちょ、愛ちゃん、ちょっとごめんっ!」
直人は、池尻大橋の手前で、アストロを左に寄せて、車を降りた。降りて歩道に上がった拍子に、直人の携帯が鳴った。
携帯のディスプレイには、“奈 津 子” の三文字が右から左へと流れて行った。
奈津子からだ。
「直人? なにしてんのよぉ。 もうっ!」
「あ、ごめん。 今、ちょうど電話しようと思ってたとこだよ(笑)」
直人は、笑ってはいるが、焦ったのと慌てていたのとで、息が乱れている。腰のバンダナで額の汗を拭いながら、なんとか第一声を出した感じだ。
「ん、直人、今、どこに居るの?」
「あ、うーっと、池尻大橋の手前くらいかなぁ・・」
「そんなとこで、なにしてんのよっ!」
「いや、ちょっと、ひと送ってく途中なんだぁ・・」
「おとこ?」
「いや、お・ん・な・・・ひひっ(笑)」
嘘の吐けない直人は、よせば良いのに正直に答えてしまった。しかも、笑いが引きつっている。
「あーっ、愛でしょっ!」
「えーっ、な、なんで知ってんのぉーっ!」
これも、また正直に認めてしまった。
疚しいことは何も無いと言いたかったが、誘いに乗って出て来たと云う、心の奥にある疚しさは、直人には隠しきれない。
高里愛の家は用賀、道元坂上からだと早ければ、十五分ほどで到着できる。奈津子の着信を無視して、先に送っていけば良かった・・とも思いかけたが、どのみち、自分からバラしていただろうから、結果はさして変わらない。まして、どういう訳か、奈津子は高里愛と逢う約束をしていたことを知っていた。
「愛、送ってあげて・・」
「あ、だから・・・」
「いいから、早く、愛のこと送ってやんなさいよねっ!」
「あ、うん、わかった。 後でまた かけ直す。」
直人は、奈津子の電話を切ると直ぐに、高里愛を家まで送って行った。
高里愛が、アストロから降りて、玄関の方に向いたのを見届け、ホッとした時、突然、振り返ったと思ったら、もう、唇に唇が重ねられていた。
キングタット紳士倶楽部、バーカウンターでの出来事が頭をよぎった。
その瞬間、直人は、咄嗟に声を発した。
「あっ、お、おやすみっ!」
そう言うと、高里愛の唇が動いて何かを言い始めたのも聞かずに、アストロを発車させた。サイドミラーには、こっちに向かって何かを言い続けている高里愛が、角を曲がるまで、ずっと映し出されていた。
5.携帯越しの会話
高里愛を送って、部屋に戻った直人は、すぐ奈津子に電話した。
「よおっ!」
「直人っ? 愛、 ちゃんと送って来たの?」
「あ、あぁ、送って来た」
帰りがけにキスされたことが、ふと頭をよぎったが、まだ奈津子が彼女って云うのでもでも無い訳だし、一瞬、ためらったが何も言わずに話を変えた。
「つぅーか、なんで奈津子が知ってたわけ?」
「なにを?」
「なにを、じゃねえよ。 愛ちゃんと会ってたことだろがっ!」
「ふぁあー、なに逆切れしてんのよぉ・・逢ってたの直人でしょっ!」
「うっ、ま、まぁ、そうなんだけど・・・」
「愛がねっ、利紗世に直人のことが好きだって話してたのよ」
「ふぅーん」
「中華バイキング、連れてく約束したのに、なんの連絡も無いし、どうしようとかさ・・」
「あ、そう・・」
「愛って、ド派手だけど、以外と真面目なとこあるからさ・・利紗世にいろいろ話してたみたいだよ」
それを聞いた直人は、 ”マ・ジ・メってか、会話の途中で、いきなりディープキスしてくる女の子が、真面目?” そう思って少し考え込んだが、直ぐ我に返った。
「つか、 ”いろいろ” ってなんだよっ!」
「ふっふ、キングタットでの事も聞いちゃったもぉーん」
「えーっ、マジっ!」
「ほぉーんと、なっちゃん信じらんなぁーい!」
「ちょ、ちょっ、だってあれは、突然キスしてきたから・・」
「へぇー、直人、あん時、愛とキスしてたんだぁ(笑)」
「なにっ、奈津子、おめっ、利紗世から聞いたって・・」
「あたしと直人のことだって知ってるのに、利紗世がそんなこと、なっちゃんに言うはず無いじゃん。 ばかっ!」
「なんじゃ、それっ!」
「なっちゃんが知ってたの、携帯番号交換したこと だけだったのにぃ(笑)」
「あ、わかった、じゃ、忘れろっ!」
「もう遅いっ!」
「ふぅーっ」
「ふぅー、じゃないんだもん」
「あのさぁ・・・」
「直人に聞きたいこと、あるんだけど・・いい?」
「あ、あぁ・・」
「直人って、今まで、何人の女の子、知ってるの?」
「え、寝たかってこと?」
「うん、そう」
「うっとぉ、10人くらいじゃね」
ちゃんと数えていた訳ではないが、直人は、秋彦のように手当たり次第、寝てた訳ではなかったから、他の友人と比べれば数はずっと少なかった。
「えーっ、なっちゃんなんか3人だよ」
それは前に聞いて知っていた。不倫野郎と、もう一人はT女四人組で旅行に行った時に、旅行先で知り合った奴、そして直人の三人と云うことだそうな。
「だから、なにぃ?」
「なっちゃん、あたしより体験の数が多いひとやだっ!」
「そ、そんなぁ・・ じゃ、不倫野郎はどうなんだよっ!」
「あの人は、あたしと奥さんの二人だけだって言ってたもん・・」
「・・・・・」
”不倫野郎が、んなワケねぇだろっ!” 直人は、そう言いたかったが、そんなこと、今の奈津子に言ったところで無駄だと思ったので、もう、それ以上、何も言わなかった。
何となく、気まずい雰囲気の儘、次のデートの約束をして、携帯を切った。
6.青天の霹靂
そして、四度目のデートの日がやって来た。
これまでのデートと同じように、奈津子を桜新町駅まで迎えに行き、二度目のデートで寄った商店街の蕎麦屋に入って蕎麦を食べた。二人とも、殆ど無言で食った。勿論、腹が減っていたから無言だった訳ではない。
無言の儘、直人の部屋へ直行した二人は、やはり、無言の儘、貪り合うように互いを求め合った。
秘め事は過ぎ、微睡んでいた二人は、そのまま、深い眠りへと落ちて行った。どのくらい時間が経過したのだろう。直人が意識を取り戻して、瞼を開けた時だった。
「直人、はいっ!」
奈津子が、何か袋のようなものを持って、直人に手渡そうとしていた。
「ん? はいっ? えっ?」
「もうっ、んだから誕生日っ!」
「あ、あぁ、覚えててくれたんだ(笑)」
「うふっ、まあねっ!」
三月十三日、それは、直人の誕生日だった。
「あ、ありがと」
「開けてみて・・」
「うん・・」
青いリボンが掛けられている。リボンを解いて、白い袋を開くと中から、夏でも使えそうな薄手で水色ストライプの腹巻きと黒いビロードのような生地で出来た長細い袋が現れた。
長細い袋の方は、何やら堅いものが入っているようだ。黒い袋の先を捲ると、今度は銀色のカプセルが入っている。風邪薬のカプセルを、そのまま縦・横・高さを同じ比率で引き延ばしたような感じで、長さが十五センチくらいはあるだろうか、その銀色のカプセルを袋から取り出したら、奈津子が言った。
「キャップ、開けてみて」
直人は、奈津子に言われるままに、カプセルを二つに分けた。
「おーっ、ボールペンかぁ」
「うん」
そのボールペンのキャップには、ローマ字で『NAOTO』と刻印されていた。
「腹巻きは、お腹出して寝冷えしないようにねっ!」
「ガキぢゃねぇしぃ・・」
「なに言ってんのよ、なっちゃんも使ってるんだから、ちゃんと着けて寝てねっ!」
「そか、わかったぁ」
「どぉ、気に入ってくれた?」
「あぁ、すっげぇ気に入った。 サンキュー!」
直人は、愛おしい思いで、奈津子を引き寄せるとキスをして、もう一度、礼を言った。
「ありがとう。 奈津子、大事にするよ」
「ホントかな?」
「ホントだよっ」
喉が渇いていた直人が冷蔵庫から、まだ半分くらい水の入ったペットボトルをシャカシャカ振りながら戻って来ると、奈津子が銀色のボールペンを掴んで、何やら落書きを始めていた。
「この紙、使ってもいいよね?」
「おう、てか、もう使ってんじゃん(笑)」
何を書いているのか、覗こうとすると
「いやっ、まだ見ちゃダメっ!」
そう言って、見せてくれようとしない。
書き終わった奈津子が、振り返った。
「はいっ!」
見ると二人の仲よさそうな男女、と云うより男の子と女の子が、手を繋いでいる絵が書いてある。一見、子供が書きそうな感じの絵だが、巧く良い感じに仕上がっている。
「へぇー、奈津子、意外と絵、上手いんだぁ(笑)」
「 ”意外と” は、要らないでしょっ!」
「だねっ」
「んとね、左が、直人で、右が、なっちゃん」
「あっ、そうだったの?」
「うん」
「でも、オレ、こんなにガキっぽくねぇしぃ」
「そんなことないもん」
「ま、奈津子は、まんまだけどよっ!(笑)」
「ふぁあー、なによっ、直人だってガキのくせにっ!」
「オレさぁ、なんか奈津子には、一生振り回されるような気がする(笑)」
傍目には、一見、幸せそうなカップルの他愛ない戯れ合いのように見えるだろうが、直人の心中は穏やかではなかった。誕生日にプレゼントまで貰っているのに、何故か、奈津子の心を身近に感じられなかったからだ。
その日も、まるで普通の恋人らしく、いつものようにアストロを出して奈津子を送って、中央道を河口湖で下りようとしていた時、奈津子が言い出した。
「ねぇ、そこ左に寄せて停めてくれる?」
「あ、良いよ、オッケー!」
その瞬間、直人は、部屋に居た時に感じていた距離感を思い出して、何となく嫌な感じがした。
「ごめん、直人、なっちゃん、もう直人と逢えないっ!」
突然の出来事だった・・。 青天の霹靂、そうとしか云いようがない。
「なんで?」
「もう、決めたのっ!」
「えっ、決めたって、不倫野郎にってこと?」
「うん」
「お前、あんな野郎の言ってること、ぜんぶ鵜呑みにして信じてんのか?」
「・・・」
「奈津子、お前、騙されてんだぞ!」
「なっちゃん、騙されてなんかないもん」
直人は、もう、これ以上、何を言っても無駄だと悟った。不倫野郎に、憤懣やるかたない怒りを感じながらも、己の軽率で愚かだった行動を反省した。
それから、直人は、自分と奈津子はもう終わるかも知れないけれど、奈津子ほど純真で無垢なら、不倫野郎に捨てられた時、ちゃんと目覚めて、きっと、もっとマトモな奴に巡り会えるだろうと、思い直した。
「うん、わかった」
それだけを、やっとの思いで、口に出した直人は、いつものように奈津子を家まで送って、中央道へと向かった。
”送って来る時は、良いのに、何故か、帰りの中央道は、いつも・・・” この日も、結局、アストロの車中で、泣き叫びながら、中央道を八王子方面に向けてひた走っていた。
そして、涙が、枯れそうになった時・・ 直人は、 ”もう、誰とも付き合いたくない” と思った。
その13 「翻弄されて」に続く