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『白虎の路』 甲州街道とうりゃんせ 11

その11 「3rdデート」



3rdデート

1.秋彦と直人

 二度目のデートで、奈津子を送って行ってから、しばらく放心したような状態の儘、日々が続いていた。これまで、秋彦に誘われると二つ返事で出かけて行っていた直人だったが、そんな秋彦の呼び出しにも、ここ最近は、応じていなかった。
そうこうしていると、ある日、秋彦が心配して、部屋まで押し掛けてきた。
ピンポーン♪ インターフォンには秋彦が映っている。

「よぉ、秋彦、どしたの急に?」

 インターフォンの受話器を取って直人が言った。

「急にじゃねぇよっ!」

「なにが?」

「んだから、なにがじゃねぇってのぉ!」

「なに言ってんだよ、訳わかんねえわ(笑)」

「なんでも良いから、出て来いや、お茶しに行こうぜ!」

「あ、あぁ、分かった下りてくわ」

 セキュリティロックが掛けられたスモークガラスの自動ドアを通ってマンションの玄関を出ると、秋彦が寄ってきた。

「おぅ、どしたぁ?」

「どうもしねぇよ」

「なっちゃんと何かあった?」

「だから、なんもねぇって」

「会ってんのか?」

「逢ってるさ」

 サニーサイド新町を後にした、直人と秋彦は、そのまま、ぶらぶら歩き続けて、桜新町駅近くの喫茶店に入った。 秋彦は珈琲、直人は珈琲とパンプキンプディングのケーキセットを注文した。

「なに、その甘い感じ?(笑)」

「あたま、まわんねぇからよぉ・・」

「・・・」

「・・・」

「オレ、あの後は、なっちゃんとは連絡とってねぇからなっ!」

「わぁーってるよぉ。 んなこと・・」

「けど、なんか、上手くいってねぇみてぇじゃん」

「まぁな」

「この前、あんな、はしゃいでたのに、どうしたのさ?」

「誰だって、少しくらい問題あんだろっ、また、落ち着いたら話すわ」

「あ、あぁ・・・」

「ん、なに、秋彦、お前、まさかまだ、奈津子、行こうと思ってんのぉ?」

「んでだよぉ。 行かねえよ」

「いいから、放っといてくれ」

「わかった」

 喫茶店を出て、とぼとぼと少し歩き出した時、また、あの唄が、口をついて出て来た。

「とうりゃんせ、とうりゃんせぇ〜♪・・・っか」

「何、言ってんの?」

「あ、いや、べ、べつに」

「しっかりしろや」

「しっかりしてるさ(笑)」

「・・・ぷはぁー(笑)」

2.衝動と気持ち

 不倫野郎は、奈津子と同じ会社で働いている。
それは、奈津子が、殆ど毎日そいつと顔を合わせていると言うことに他ならない。直人は、それまでの苦い経験から、女ってやつは、傍に居る方が圧倒的に有利だと感じていたから、それだけでも随分と不利な訳である。
だが、奈津子はきっと、最後は、自分の所にやって来る。そんな何の根拠もない自信だけが、直人の奈津子への想いを繋ぎ止めていた。

 そして、三度目のデートの日がやって来た。
二度目のデートの時と同じように、桜新町駅まで迎えに行った後、奈津子とふたり、直人の部屋で音楽を聴きながら、ただ、ぼぉーっとしていた。その時、何の曲が掛かっていたのか、どころか、曲が掛かっていたのかどうか、そんなことすら全く覚えていない。 只、この前のように、奈津子を抱きたい衝動と、抱きたくない気持ちとが交互に行き交っていた。

 二人とも、一言もしゃべらない。 そんな時間が、気の遠くなるほど長く感じて、居た堪れなくなった直人は、トイレに立った。
トイレから戻って来ると、部屋の真ん中で奈津子が突っ立っている。
己の身体の反応には逆らえず、つい、立っている奈津子を抱きしめてしまった。
だが、もうそれ以上、何もすることが出来ずにそのまま立ち尽くしていた。愛おしいのと、どうにもならない歯痒さに、奈津子を抱きしめる力がいっそう強くなってゆく。

「うっ」

 そう奈津子が呻いたように聞こえて、少し力が抜けた。それとほぼ同時に、奈津子が直人の耳元に唇を寄せて、そっと囁いた。

「抱いて」

 耳元で囁かれたその ”抱いて” は、直人の脳裏で大きく響き渡った。その後、唇を重ねてから先のことは、無我夢中で記憶は飛んでしまっているが、まるで、おあずけを解かれた番犬の如く、盛り狂っていたことだけは確かである。

 気が付くと、二人ともベッドで微睡んでいた。 不意に携帯の着信音が、部屋中に響き渡った。
秋彦からの電話だった。

3.駒沢公園

「おう、何してんだよぉ!」

 秋彦は、直人が今日、奈津子と逢っていることは知っているはずである。全くデリカシーの無い男だ。

「何って、奈津子と一緒だよっ、おめ、知ってたろっ!」

「あ、そうだっけ?」

「あに、ばっくれてんだぉ、たくぅ・・」

「今、由香と駒沢公園に来てんだけどよぉ、来ねぇ?」

「おれっち、こないだも駒沢公園、行ったんだけどな・・」

「ま、良いじゃん、由香も見たがってるからさ、直人のこと本気にさせた女」

「なんだそれっ・・奈津子、どうする?」

「・・えっ、なに?」

「秋彦が、駒沢公園で遊ぼうってよ」

「あぁ、良いけど、直人のジーンズどれか貸してくれる?」

「良いよ、わかった・・」

 携帯の向こうで待ちかねた秋彦が聞いてきた。

「どした? 来る?」

「わぁーった、行く、てか駒沢公園の何処よ?」

「うと、自由広場んとこに居る」

「オッケー!」

「んじゃ、後で」

 奈津子は、直人が出したジーンズを穿いて裾を折り曲げて長さを調節している。

「このベルト、借りて良い?」

「うん、良いよ」

 自由広場に着いたら、秋彦と由香が芝生に座ってぼぉーっとしているのが見えた。

4.男と女

 由香とは、十年来の付き合いなのだが、あまり女を意識したことが無い。
女のくせに、わんぱく小僧のようなタイプで、男が好む遊びを黙って見ているより、何でも一緒にやりたがるし、泣き言も言わないから、直人も秋彦も、まるで弟のように連れ回して遊んでいた。
そんな付き合いが基本だったのだが、直人が由香を女と意識せざるを得ないことがあった。
由香が短大を卒業して証券会社に入社して間もない時のことだ。その会社は、当時、業界大手の上場会社ではあったが、証券会社というものは、なんだかんだ言っても山師の集団のようなものだった。 まあ、詐欺師とは言わないが、ある意味、人をたぶらかして仕事をしている感があり、そこへまだ、おまけにノルマが課せられる訳で、それを仕事と割り切れていない新入社員のストレスたるや尋常ではなかったようだ。
ある時、由香が突然、話を聞いて欲しいと言って、直人を訪ねて来た。部屋に上げた そのとき、由香のその顔からは既に、いつもの快活な表情など微塵も無かった。
直人は、正面に立って、来訪の理由を訊ねた。

「どうした?」

 そう言って、由香の肩をポンと軽く叩いた途端、堰を切ったように、直人の方へと泣き崩れてきた。

「なにも聞かないで・・・」

話し言葉も、いつもの男勝りな言葉とは違って、女のそれだった。
いつになく、自分を求める由香に愛おしさを感じ、抱きとめた手が思わず緩んで、キスしたくなる衝動をぐっと押し込んだ。
由香もそれを察したのか、ハッと我に返って言った。

「あ、ごめん」

 それまで、由香の同僚や後輩に手を出しては、散々ぼやかれながらも、由香だけは女として意識して来なかった直人が、それを意識するようになった。
幾ら表向き、弟か友人のように接していても、一皮剥けば男と女、友人のような関係を装うことは出来ても、そこにはルールなど何も無く、どちらかが異性を意識した時点で、そんなもの崩れ去ってしまうのだと云うことを思い知らされた事件だった。

 男は男、女は女、何処まで行っても交われない境界が、そこには存在する。だからこそ異性に魅力を感じ、惹かれ合うのかも知れない。
いずれにせよ、種族保存の法則、動物的本能、などと云うものは、もっと思いも寄らない別の次元で作用しているのだろう。

5.ボーリング

 自由広場で合流した四人は、暫くの間、芝生で走り回ったり、転げ回ったりして遊んでいたが、それも飽きてきた頃、秋彦が切り出した。

「なあ、ボーリング、行かね?」

「あ、行こう、いこう!」

 由香が答えて言った。

「えっ、まぁ、良いけど・・奈津子、行く?」

「うん、良いよ」

 直人は、あまり乗り気ではなかったのだが、渋々了解した。

 ボーリング場に着いて、シューズを借り、ボールを持ってレーンに全員が揃った時、秋彦がまた訳の分からないことを言い出した。

「コイントスでチーム決めて、チーム対抗でやろう!」

「えっ!」

「はぁーい、じゃ、男女別にコイントスね」

 どういう訳か、いつの間にか秋彦が勝手にコイントスして、チームを決められてしまった。まだ奈津子に未練があるのか、それとも、単なる意地悪か、何れにしても、相変わらず、自分勝手でデリカシーのない奴だ。

「じゃ、オレとなっちゃん、直人と由香でチーム対抗なっ!」

「えーっ!」

 奈津子が言った、この一言が、まだ幾らかの救いを与えてくれた。
”なんで奈津子とオレが、わざわざ別のチームになんなきゃ なんねえんだ” 、直人は、そう思いながらも、この場は、とりあえず退くことにした。
何故、退くことにしたのかは、直人にもよく分からなかった。
普段の直人なら、只でさえ女癖の悪い秋彦に、そんなことを許すはずがなかったのだから、それは、もしかすると、奈津子が、まだ自分の彼女だという確信が持てなかったからなのかも知れない。

 兎に角、ゲームは始まった。
レーン左右に座席は分かれているが、左側に秋彦と由香、右側には直人と奈津子が座っている。奈津子は、上手く投げても、失敗しても、一投ごとに直人の元に戻って来ては、直人の膝の上に座っていた。
どうも秋彦の思惑通りには、事は運ばなかったらしい。秋彦の方に眼をやると、どうにも居心地が悪く、バツの悪そうな顔をしていた。どうにも、この不自然な形は、直人にも妙な居心地の悪さを与えていた。

 最初のゲームは、直人と由香のチームが勝った。
コーラを賭けの景品にしていたので、直人に秋彦が、由香に奈津子がコーラを買ってきた。この上に、まだ夕食を賭けて、もう1ゲームやろうと、秋彦が言い出したが、さっきのゲームの違和感がどうにも耐えられなかった直人は、それを断って帰ることにした。

6.空中浮遊

 前回と同様に、夕食を一緒に済ませて、アストロで奈津子を送って行く。
河口湖のインターを下りたところで、道路の脇にアストロを寄せた直人は、奈津子に聞いた。

「ねぇ、今日、奈津子、 ”抱いて” って言ったよね。」

「あ、うん」

「なぁ、それって、オレに決めたってこと?」

「ごめん、まだ決められない・・」

 また、直人の中で、何かが音をたてて崩れだした。

「あ、そう・・・」

 もうそれ以上、何を言う気力もない。

「・・・」

「・・・」

 直人の肚は、既に決まっているのに、奈津子はどうにも煮え切らない。
何処まで行っても、足が地に着かない。まるで、空中浮遊させられているような気分だ。
”いっそ、自分のことを嫌いになって、忘れてくれた方が、足も地に着くし、楽になれるのに・・” そんな思いが、この短い間に 何度、直人の頭を過ぎったか数知れない。 だからといって、奈津子のことを嫌いになれる訳もない。 それどころか、増す増す好きになる一方だった。

7.直人の価値観

 基本的に直人は、嘘を吐くのも、吐かれることも嫌いだった。特に、男女間のことについては絶対である。
勿論、それは誰にでもと云う訳ではなく、真面目に付き合いたいと思った相手に対してのことだ。

 男女の営みなんて、日常茶飯事、付き合ってようが結婚してようが、バレなきゃ良いし、皆、やってることなのだから、仕方がないとか、自分に絶対気づかせずにやってくれるなら良いとか、バレても、嘘つき通すのが優しさだとか・・、そんな風に騙し合いながら、カップルを続けることに何の意味があるのだろうか。
しかし、直人の周りの人達は、九割方そんな人達なのだ。
直人は、浮気の自慢話や、旦那や彼氏が居るのに、行きずりで どうこうしたとか云う話を聞かされる度に、気が重くなって来る。そんな人に限って、自分は誠実だとか、家族を大事にしているとか、平然と嘯いている。
直人には、それは只の言い訳にしか聞こえてこない。 ”果たして、おかしいのは、オレか、それとも他の多数なのか?” 誠実って云う言葉の意味は、いったい何処に行ってしまったのだろう。誠実というのは、表裏のない正直さでは、なかったのだろうか。

 例えば、結婚は、愛という名の下に約束を交わし、家族となる。
その約束を、相手に知られなければ破っても良いとするなら、その行為は誠実と呼べるのだろうか?
お互いが、正直に、誠実に生きる。
そんなこと、理想だ、現実はそんなに甘くない。確かに、現実は有象無象かも知れない。だけど、一対のパートナーが、お互いのことを思いやり、お互いに正直に、誠実に生きることは、そんなに難しいことなのだろうか。
複数の相手にそんなことを求めたところで、そこに矛盾が生じるのは当たり前のことだろう。
それが、たとえ理想だと言われたとしても、直人は、オーヘンリーの『賢者の贈り物』に在るようなパートナーを探し続けて来た。

 どんな人も、それぞれが生きてきた過程で色んな異性としての魅力を兼ね備えているものだ。だから、複数の人に惹かれることは、誰しも、ごく自然のことであろう。
だが、自分のパートナーとする場合、価値観が揃ってないと、そこには大きな食い違いが生じることになる。
無論、お互いが自由という名の下に、浮気や不倫を許容し合えるという価値観を共有できる者同士のカップルが居たとすれば、それはそれで、ベストパートナーだと云えるのかも知れない。

 だが、直人は違っていた。直人が持つ最も重要な価値観は、パートナーに対する正直さと誠実さだった。そして、何故か直人には、奈津子が、その二つの価値観を併せ持っているような気がしていた。
奈津子が、今もし、自分の気持ちと状態を正直に言ってくれているのだとすれば、それは、たとえ直人にとって酷な宣言であったとしても、直人に誠実に対応してくれていると云うことに他ならない。
まあ、していることは、不倫野郎と直人との二股なのだが、理由はともかく、その真偽のほども無視して考えれば、そいつは ”家族も捨てて一緒になる” と言い切ったのだから、奈津子はその不倫野郎に誠実さを見出したのだろう。そしてその不倫野郎が振りかざしていた偽物の誠実さに、信頼が崩れそうになっていた所へ、直人が現れたのなら、納得もゆく。
そんな奈津子が直人を選んだと云うのなら、直人が探し求めていた相手である可能性は高いのかも知れない。
そして、直人に気が揺らいだという時点で、潜在的には、その不倫野郎が、誠実でないことに気がつき始めているに違いない。 そう、直人は考えていた。

 だからと云って、直人は空中浮遊の儘、その不安も、やるせなさも何ひとつ解決しちゃあいない。 帰り道の中央道でのことは、読者の想像にお任せすることとしておこうか。

その12 「4thデート」に続く


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