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『白虎の路』 甲州街道とうりゃんせ 13

その13 「翻弄されて」



翻弄されて

1.宅配ビデオ

 奈津子と別れてから、実家の近所に在った喫茶店で働きながら、音楽の勉強を続けることにした。半年ほど時は経ち、季節は夏を過ぎ、また奈津子と出逢った あの秋が、また訪れようとしていた。
そんな時、喫茶店のマスターが直人を呼び出して、こんな話を始めた。

「浅川くん、僕、あと三年で、四十歳になるんだけど、それまでに、なんかこう、事業みたいなこと、やりたいんだよね。」

「あ、はい・・」

「だけど、何すれば良いのか見当もつかない訳よ」

「はぁ・・」

「浅川くん、なんか一緒に考えてくれないかなぁ?」

 少し考えてから、何かを思いついた直人は・・

「あ、分かりました。良いですよ」

 そう、マスターに返事をした。
喫茶店のマスターとは云え、地元の土地持ちでかなりの資産家である。

 それから直人は、業種の違う友人を集めて、どんな事業をすれば良いのかを考えるための、ミーティングを幾度か開いた。その中に、秋彦も居た。秋彦は、外回りの営業マンだった。
最後に残ったのは、結局、直人、秋彦、マスターの三人だけだったが、その三人が最後に思いついたのが、ビデオの宅配だった。
ビデオの宅配と云っても、郵送返却が出来るとか、そういう類いのものではない。
考えついたシステムは、こうだ。
先ず、ビデオを新品同様にビニールパックで包み直す。これをシュリンクパックというのだが、その状態のビデオを数本ずつ、各家庭に置かせて貰う。
お客さんは、もし置いてあるビデオが観たくなったら、シュリンクパックを破って観れば良い。
一週間毎にビデオを回収して回り、回収時に開封されているビデオの数だけレンタル料を頂戴する。
基本的なシステムはこれだけだ。

 出資者であるマスターは、これを称して、”富山の置き薬方式” と呼んでいた。
富山の置き薬とは、その昔、富山の方から行商で来て、各家庭に常備薬として、薬箱を置いて貰い次に寄った際に、使った薬の分だけ料金が発生すると云う仕組みであった。
まさに、その通りである。ただ、富山の置き薬と大きく違っていたのは、ビデオを観て貰うことが主体では無いと云う点だった。
ビデオは、観て貰うに越したことはないのだが、各家庭には、直接こちらの者が出入りすることになる。おまけに、家族構成から、家族各人の趣味趣向までの情報が、観たい映画をなるべく優先的に回すためのアンケートと、蓄積されるビデオの開封情報によって、細部まで正確に知ることが出来る。要するに、ビデオを持って廻るついでに、収集済みの情報を元に各家庭が欲していそうな商品や商品カタログを持って廻るのだ。
商品は、買って貰えれば売上になるし、カタログチラシの類いは、業者からの広告宣伝料が徴収できる。しかも、通常なら、仮に、千枚ほどチラシを配布しても、三枚もヒットすれば良いところを、趣味趣向、年齢、男女に合わせて配布できるため、かなりの確率でチラシを手にして貰えるという寸法だ。
つまり、人のネットワークを創り上げることが、この事業の本質だった。
問題は、在庫と照らし合わせながら、各家庭に配送するビデオは、コンピュータで選出するソフトを開発しなければならなかったのだが、直人は独学でソフトの開発技術を習得していた。
とりあえず、試験的に廻るにしても、ある程度まとまった本数のビデオが必要だし、そうなると置き場所も問題になってくる。そこで、ひとまず在庫倉庫も兼ねて、小さなビデオショップを開店することになった。

 こうして、ビデオ宅配事業は、スタートを切った。

2.谷本香織

 ビデオショップを開店するにあたって、常駐のアルバイトを一人雇うことになった。喫茶のアルバイト募集に応募してきた女の子、谷本香織、十八歳がそうだった。

 直人は、普段、店にはあまり顔を出さずに、実家でソフトを開発していた。 ある時、用があって、ビデオショップに顔を出したら、見知らぬ女の子が、秋彦と一緒に受付に座っていた。

「いらっしゃいませぇ!」

 谷本香織が言うと、それを制して、秋彦が言った。

「こいつは良いから・・ 自己紹介しといてくれる」

「あ、はい・・ 谷本香織といいます。」

「俺、浅川直人、宜しく!」

「宜しくお願いしまぁーす!」

「直人はシステム開発と経理・・ で、オレが営業」

 秋彦が言うのを受けて、直人が言った。

「あ、経理は、今んとこ簿記、分かんの俺しか居ないから、・・儲かったら、ちゃんとした税理士に任せたいから、香織ちゃん、それまで、頑張ってねぇ(笑)」

「はぁーい(笑)」

 数日後、マスターがビデオショップにワープロを入れると、直人が谷本香織に教えることになった。手取り足取り丁寧に教えたことが、そうさせたのだろうか、いつしか谷本香織は、直人を意識するようになっていた。

 谷本香織は、屈託なく笑顔を絶やさず、いつも皆を和ませてくれる。直人も谷本香織のことを可愛く思っていたし、好かれていることも感じていたが、奈津子とのことが尾を引いていて、谷本香織の誘いは、ずっと避けていた。

 ある日、ブラインドタッチが出来るように教えていた時、不意に谷本香織が言い出した。

「ねぇ、ブラインドタッチ、今度、浅川さんが来るまでに、完璧に覚えてたら、食事、誘ってくれる?」

「良いよぉ、だけど、俺、明日も来るぜ!(笑)」

「んもうっ!」

 だが次の日、直人が来た時、谷本香織は、ブラインドタッチを完璧にマスターしていた。 結局、三日後、食事を共にすることになった。

 イタリアンが食べたいと言うので、七里ヶ浜のイタリアンカフェに行くことになった。奈津子と行ったイタリアンカフェだ。別に、直人が選んだ訳じゃないが、偶然とは恐ろしいもので、何処から探して来たのか、谷本香織が、そこへ行きたいと言い出したのだった。走る距離は随分と短かったが、去年のようにアストロを出した直人は、谷本香織を乗せて七里ヶ浜へと向かった。

 直人が無言で食べていると、谷本香織が話を始めた。

「ねぇ、ねぇ、浅川さんのこと、直人さんって呼んでも良い?」

「良いけどさぁ、店の外だけにしろよな」

「はぁーい、直人さぁーん!(笑) 直人さんに、聞きたいことがありまぁーす!」

「はぁーい、なんですかぁー・・って、なんだよぉ、聞きたいことって(笑)」

「あのね、山西さんから聞いたんだけどぉ、直人さんって、彼女とか居ないんですよねぇ?」

「ああ、居ないよ。 作る気も無いけどね。」

「どうして?」

「どうしてもっ! ・・誰とも付き合う気になれないんだよね」

「あたしじゃ、ダメ?」

「ダメとか、そゆんじゃ、ないよ・・」

 実は直人も香織のことが好きだった。ただ、どうしても奈津子のことが忘れられなくて、このまま香織と付き合ったとしても、また奈津子が眼の前に現れた時、まだ、香織を選べるだけの自信が無かった。

 食事を済ませると、直ぐに会計を済ませ、アストロに香織を乗せると帰路に就いた。
カフェを出ると直ぐに、香織が直人の太股の辺りをまさぐり出した。衝動と欲求を抑えきれなくなった直人は、路肩にアストロを停めて、香織を抱きしめ、唇を重ねた。舌と舌が絡み合ったとき、直人は全身が熱くなるのを感じた。その瞬間、アストロを発車させ、Uターンさせた直人は、江ノ島辺りに在るラブホへと向かった。
ベッドの上で、ひとつに成った時、香織が何か呟いた。

「熱いの・・」

そう言ったように聞こえた。
本当は、香織がなんと言っていたのか定かでは無いが、二人とも満足した後、燃え尽きたように睡ってしまった。

 香織とは、関係を持ってしまったものの、やはり、付き合えない。悪いとは思ったが、直人はもう、ビデオショップに顔は出さずに、実家の家に隠ることに決めた。
そう決めて隠り始めると、どうしたものか、次の日から香織が、毎日実家に直人を訊ねてくるようになってしまった。
こうして、二人のおかしな関係は始まった。
直人は、香織に付き合う気は無いと言いながら、求められると応じてしまうし、時には直人から求めることもあった。

 その後、少しでも奈津子を忘れようと、想い出の染みついたアストロを売って、MR2 G−Limitedを買った。
この車は、背後にエンジンが在るミッドシップレイアウトのスポーツカーで、運転席と助手席の二座席しか無く、実用的では無かったが、Tバールーフタイプのオープン仕様だったので、天井を外せば、開放感満載で、背後のエンジン音は心地好く、地を這うように走ってくれる。

 その頃から、直人の女癖は、悪くなる一方だった。奈津子のことを忘れたい一心で、来る者は拒まず、手当たり次第にベッドを共にした。
だが、直人にすれば、奈津子を一瞬でも忘れていたい気持ちとは裏腹に、忘れさせてくれるような女を見つけたい気持ちも残っていて、そんな女が居るなら、ちゃんと付き合いたいとも考えていた。
ただ、後者の方は、そんな女いるハズ無いと、殆ど期待などしていなかった。

 奈津子と別れて二年が過ぎ、三年目を迎えようとしていた。
相変わらず、香織とは、毎日のように逢っていて、それでも香織には、 ”お前とは付き合うつもりも、付き合ってるつもりも無い” と言い続けてきた自分に、嫌気が差していた。
当時、何人か居た女の、中のひとり、デザイナーの陽子とラブホに行った明くる日のことだった。 香織をMR2に乗せて、食事に出かけようとしていた時、サイドブレーキの辺りに在るトレーに眼をやると、最後に行ったラブホの割引カードとネーム入りの使い捨てライターが置いてあるのに気付いた。
香織とは、ラブホなど、ここ1年以上行ったことは無いし、直人は、そんなもの絶対に持って帰らない。ラブホの名前で直ぐに、陽子の仕業であると云うことが分かった。香織は、気付いていたが、知らぬ振りをしてくれていたようだ。
香織に、そんな思いばかりさせて来た自分に愛想が尽きて来た。そして、もう、ちゃんと香織と付き合おうと考え出した。

3.不倫野郎

 明くる日、利紗世から突然、電話があった。

「直くん、ごめん、あたし、もう、いいかげん煮え切らない奈津子に腹たってきちゃって、奈津子の不倫相手にモンク言ってたら、つい直くんの携帯番号、教えちゃった。そいつから、もし電話あったら、ホント、ごめんね」

「えーっ、まったく音沙汰なくて、とつぜん電話してきたかと思えば、なにそれっ!」

「奈津子のこと、ちゃんとできんの、あんたしか居ないんだからねっ!」

「んな、勝手なこと言われたって、オレ、奈津子に振られたんだっつうにぃ!」

「あんたは、振られたって思ってるかも知んないけど、奈津子には、あんたが必要なんだよっ!」

「利紗世、おめ、なに言ってっか、わかってんの?」

「わかってるわよぉ・・あっ、それから、来週の土曜日、あたしんち来なよ。 奈津子も呼んでるし、あたしの旦那にも会わせたいからさ!」

「ホント、あいかわらず強引だな・・ ま、土曜日なら空いてるし、寄るわ。」

「あっ、旦那がサーファーで、茅ヶ崎にマンション借りてるから、直くんちから、近いよ!」

「オッケー、わかった」

 その翌日、不倫野郎からの電話があった。

「もしもし、浅川さんですか?」

「はい、そうですけど・・」

「わたし、奈津子と・・」

 話し出すのを遮って、直人が言った。

「あぁ、あんたが奈津子の不倫相手?」

「わたし、桐嶋奈津子とは、泊まりで遊びに行ったことも、寝たこともありますけど・・」

 何が言いたいのか意味不明だ。不倫野郎は、直人が予想していた以上に、あきれ果てた馬鹿野郎だった。

「なに言ってんの? オレだって、奈津子と何度もやったさ・・」

「そ、そうなんですか?」

「あんた、嫁さんも子供も居るんだろっ!・・ バカなことやってないで、いい加減、奈津子から はなれろよ・・」

「いや、それは・・とにかく、奈津子ちゃんをわたしに・・・」

「つぅーか、わけわかんない電話かけてくんなよなって、もう・・」

 プチっ! どっちから、電話を切ったのかすら分からなかったが、それから二度と不倫野郎からの電話は、無かった。

4.奈津子との再会

 土曜日になって、言われたとおり聞いていた住所に、利紗世の新居を訪ねていったら、呼び鈴に答えて玄関先に姿を現したのは、奈津子だった。

「よ、よぉ、ひ、久しぶり!」

「ホント、久しぶりぃ!」

「早く上がっておいでよぉ!」

 奥から、利紗世の声が聞こえて来た。

「おじゃましまぁーす!」

「はぁーい、直くん、元気してた?」

「お、おうっ!」

「これっ、うちの旦那、杉本力也・・」

「あ、どうも、えっ、杉本、り・き・や・?・・・・ あーっ、リキーっ、リキじゃん!」

「えっ、あーっ、な、直人さぁーん!」

「あれっ、もしかして、あんた達ふたり、知り合い?」

「おぅ、オレが18ん時だったかなぁ・・、こいつ、中三でさ、バイト禁止されてんのに、プールに監視員のバイトしに来てたんだよな」

「ほぉーんと、なっつかしぃーっすねえ!」

「てか、まずいとこで会っちゃったな(笑)」

「じゃ、今日は、お互いプール時代の話は抜きってことで・・(笑)」

「なによっ、あんた達、やらしぃわねぇ!」

「ふぁあー、どうせまた、女でしょっ!」

「ま、そうなんだけどね(笑)」

「なに開き直ってんのよ。 もうっ!」

 紛れもない、女の話だが、夏場、屋外プールの監視員なんて、濡れ手に粟のように女の子が群がってくるわけで、そんな時代にあった話なんて、自ら話したくもない。
それこそ、毎日のようにプール横の何軒か在った喫茶店に、後で、顔も思い出せないくらい多くの女の子達を待たせていたのだ。男同士なら、ナンパ話のネタには事欠かないが、せっかく再開したのに奈津子には、これ以上呆れられたくなかった。
多分、追求されれば、話し始めていたろうが、幸いにもこの時は、それ以上追求されなかった。

 そして、利紗世が助け船を出すように言った。

「ご飯、出来たよっ、レトルトのカレーだけどね(笑)」

「さあ、直人さんも、なっちゃんも食べて、たべて」

「わっ、さんきゅっ! いっただきまぁーす!」

 直人がカレーを頬張っていたら、東野から携帯の着信があったので、かけ直した。江ノ島に居るから来いという・・奈津子に話したら、行きたいと言うので、カレーをご馳走になった後、利紗世たちに別れを告げて、江ノ島へと向かった。

 江ノ島に着いて、防波堤まで行くと東野博士が、彼女の川村多香子としゃがんで、何やらごそごそしていた。近づいてみると、ランタンを灯して携帯コンロで湯を沸かしている。

「おぅ、なにしてんの?」

「珈琲、飲もうぜっ!」

「良いじゃん、いいじゃん(笑)」

「すっごぉーい、なっちゃん、こんなの初めて見たよ」

 奈津子が、ホワイトガソリンで煌々と灯っているランタンを指さして興奮していた。
お湯が沸くと、東野がドリップで抽出した珈琲を、マグカップに入れて渡してくれた。実のところ、どのくらい美味かったのかは、定かではないが、夜景を眺めながら、野外で沸かして飲んでいるというだけで、美味く感じていた。
珈琲を飲み干したら、東野達も帰ると言うので、直人も、奈津子と一緒に江ノ島を後にした。

 この前の、支離滅裂な不倫野郎の電話と利紗世の言葉とで、流石にもう、不倫野郎とは別れただろうと、勝手に決めつけていた直人は、そのまま半ば強引に、近くのラブホへと、MR2を突っ込んだ。とはいうものの、特に何をしたいというのでもなく、一夜を同じベッドで共に過ごしたかっただけの直人は、奈津子を抱きしめて、そのまま寝入ろうとしていた。 ”やっぱり、こいつしか居ない” そう思った時、奈津子とひとつに成りたい欲望が、頭を擡げてきた。抑えきれなくなった直人は、奈津子の中に入ろうとした。
そして、 ”また、ひとつに成れた・・” そう思った瞬間、奈津子が耳元で呟いた。

「なっちゃん、また、鬼になっちゃうよぉ・・・」

 それを聞いたとき直人は、やっと、奈津子が、未だ、不倫野郎と別れていないという事実を認識した。
奈津子から、身体を離した直人が聞いた。

「奈津子、お前さぁ、まだ不倫野郎と別れてないんだよね・・」

 深く頷いた後、奈津子は言った。

「ごめんね、直人・・・」

「・・ オレ、送ってくわ・・」

 支度を済ませた二人は、湘南を後にした。
中央道に入って、大月を過ぎ、河口湖のインターを下りた時、雷鳴が響き、雨が降り出した。それは、まるで直人の怒りと涙のようだった。いや、そう感じたのは、直人ではなく、奈津子だった。
ホテルを出てから、無言の儘、奈津子の実家に到着した。
奈津子を降ろした直人は、そのまま、奈津子には、何も告げず走り去った。

 中央道へと戻った時、雨はいつの間にか、土砂降りの豪雨へと変わっていた。
大月を抜けた辺りから、大声で泣き叫びながら、豪雨と雷鳴の中を走っているところまでは覚えていたが、気付いた時には、何ごとも無かったかのように、部屋のベッドで朝日を顔に受けながら、横たわっていた。

 この中央道での出来事は、プロローグでも述べた通りである。
やはり、奈津子のことは、忘れられない。ただ、もう奈津子と会うことも無いだろう。

 そして、その日、訪ねて来た香織に、別れを告げた。

5.病院

 香織は辞めてしまったが、今度こそ、奈津子のことを忘れようと、直人は仕事に没頭した。

 それから、五年の歳月が流れた。宅配ビデオの事業は、順調に発展し、業界最大手となった。また、広告宣伝業務も順調に拡大し、自社のカタログ販売事業も順調に伸びている。システム開発業務は縮小して、自社のシステム開発と、管理業務のみとなった。そして、配送業務も、いつの間にか全国展開することになり、流通業者としても、中堅企業と成っている。

 今では、投資物件としての不動産収益と、株の配当だけで、悠悠自適だ。
車は新旧の名車ばかり、十数台を所有しているが、現在、最も良く乗り回しているのは、フェラーリ550バルケッタだ。
フェラーリ550バルケッタは、前方にエンジンを積むFRというタイプで、本来、直人が好きなミッドシップでは無いのだが、その形とオープンエアが気に入って、ここ1年はバルケッタばかり乗り回している。

 鎌倉の実家近くに家を新築してから、縁側で、春の日差しを感じながら、よく日向ぼっこをするようになった。
ある日、縁側で日向ぼっこをしていると、生温い春風が足裏を擽って、裸の胸を擦り抜けていった。檜の床は、春の日差しで程よく温かい。
今でも、奈津子のことをたまに思い出すと、胸掻きむしられる切ない思いに、襲われる。

 春風を足裏に感じながら、まだ、胸の奥に居る奈津子が、何処かに消えてくれれば良いのに・・・そんなことを考えながら、ぼぉーっとしていたら、突然、携帯が鳴り出した。

「もしもし、直人?」

「え、な、奈津子?」

「うん、直人、元気?」

「はは、元気なわきゃねぇだろっ!(笑)」

 突然の襲撃で、流石に、直人の笑いも引き攣っている

「なっちゃん、今、病院、入院してる(笑)」

 奈津子が、携帯の向こうで笑っているのが分かった。

「えっ、またぁ、相変わらず、悪い冗談言うぜぇー!」

「なっちゃん、そんな冗談、言ったことないもん」

「んじゃ、マジ入院してんのか?」

「うん、直人が悪いっ!」

「なんで、オレが悪いんだよっ!」

「だって、直人、なっちゃんのこと、居なくなれば良いって思ってたでしょっ!」

「・・・」

 確かに、しょっちゅう似たようなことは思っていたから、否定も出来なかった。

「てか、何処の病院だよ?」

「渋谷の○×病院、△□病棟だよ」

「んで、不倫野郎とは、どうなったの?」

「そんなの、とっくに別れちゃったよ・・・ごめんね、直人の言う通りだったよ・・・ 結局、遊ばれて、捨てられちゃった・・へへっ(笑)」

「ばぁーか、へへっじゃねえよっ!」

 それを聞いて、少し、安心した直人だった。 ”んじゃ、これでやっと奈津子と、ちゃんと付き合える” そんな、馬鹿げた考えがまた頭を擡げてきた。だけど、次に奈津子が放った一言で、そんなもの、微塵に吹き飛ばされてしまった。

「そんでね、なっちゃん、去年、結婚したんだぁ・・んだから、今、なっちゃんの名字、青木って云うんだよ(笑)」

 結婚、それは、一番聞きたくない言葉だった。 頭の中を整理する間もない儘に・・

「んで、奈津子、お前、今、幸せなのか?」

「えっ、あぁ、幸せだよっ!」

「だったら、なんで、オレんとこなんか連絡してくんだよ・・ざけんなよなぁ」

「なっちゃん、ふざけてないもん・・」

「ばかっ!」

 プチっ! 直人は、電話を切った後、急いで支度をした。奈津子が好きだった曲を詰め込んだCDと、元気づけるために書いた詩、それに少しくすんだ優しいピンク色の薔薇に霞草の花束を持ち、バルケッタを飛ばして、病院まで直行した。

 病院に着いて、病棟まで来たものの、流石に今回ばかりは奈津子と顔を合わせる気力が湧いてこない。看護師さんを呼んで、持ってきたものを全て預けて、奈津子に渡して貰えるように頼んだ。

「まだ、面会できますけど、本当に、会って行かれなくて良いんですか?」

 そう聞かれたが、直ぐに

「はい、大丈夫です。 宜しくお伝え下さい」

 そう言うと、さっさと病院から飛び出した。

 明くる日、家に居ると、奈津子から電話が掛かってきた。

「もしもし、直人?」

「あぁ・・」

「昨日、来てくれて、ありがとう・・ 霞草、覚えててくれたんだね」

「おぅ、まあ、流石に、霞草だけで花束にすんのは、よしたけどな(笑)」

「なっちゃん、すっごい嬉しかったよ・・んとねぇ、生まれてから、今日までで、一番、幸せだった」

「のさぁ、大層なこと言ってんじゃねえよっ・・そゆこたぁ、旦那に言ってやれよな」

「・・・」

「じゃな・・・」

 プチっ! 奈津子の声を聞くのは、これが、もう限界だった。

その14 「エピローグ」に続く


#創作大賞2024 #恋愛小説部門

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