『虐待児の詩』 新潮文庫の一冊
「深夜特急(1) 香港・マカオ」
第一巻の冒頭には次のような解説が一ページを占有して、単独で記されている。
「ミッドナイト・エクスプレスとは、トルコの刑務所に入れられた外国人受刑者たちの間の隠語である。脱獄することを、ミッドナイト・エクスプレスに乗る、と言ったのだ。」
著者が丁度この旅をしていた頃、同時期の実話をもとにしたアメリカの小説に、この隠語と同じ「ミッドナイト・エクスプレス」というものがある。
トルコで投獄された主人公ビリー・ヘイズ(「ミッドナイト・エクスプレス」の著者)が不当な扱いに耐え切れずに自力で脱獄するという物語なのであるが、「ミッドナイト・エクスプレス」という隠語はこの小説がベストセラーとなったことで広まったと思われる。そしてこの小説は後に同名のタイトル「ミッドナイト・エクスプレス」でアラン・パーカーによって映画化、公開されたのであるが、このときの邦題が「深夜特急」だったらしい。
映画「ミッドナイト・エクスプレス」では1970年10月にイスタンブール(トルコ)で事件を起こし、1975年10月までの数年間にわたって投獄されている。
そして著者が「深夜特急」として著した旅が1973年前後(著者26歳の時)の一年余りだというから、「深夜特急」の著者(沢木耕太郎)がこの著の五巻で到達したトルコを旅していた頃には「ミッドナイト・エクスプレス」の著者(ビリー・へイズ)は獄中でミッドナイト・エクスプレスの乗車券を手に入れようともがき続けていたことになる。
私はまだ五巻はおろか二巻すら読んでいないので、著者がこの先トルコでどんな体験をするのか知らないが、その時、同世代の彼らが同じ国で同じ時刻に生きていたことは間違いないのだ。
もしも、著者自身もトルコでの投獄経験があるのならこれ以上にドラマチックなことはないのだろうが、そんな話題は聞いたこともないし、宣伝にも使われていない。
冒頭の解説や本の題を「深夜特急」としていることなどから察するに、同じ時代を同じように旅をした同世代の著者としては、人事では済まされない感慨のようなものがあっただろうし、著者自身が旅の途中で同様の目にあったところを想像したのかもしれない。いやそれどころか、1973年ごろの一人旅を10年以上も発刊しなかったのに1986年になってやっと発刊したということは、この著書を発刊させるための強い動機付けを受けたのかもしれない。
いずれにしても、何がしかの影響を受けていることは間違いないだろうし、だからこそ自らの若さゆえの無謀な、この独り旅を「深夜特急」と命名したのではないだろうか。
実を言うと、かれこれ、10年以上前にも一度この書を手にしたことがあった。そのときは「ミッドナイト・エクスプレス」の訳本か手記のようなものかと思って手に取ってみたのだったが、本を開いてみると日本人の若者の放浪記のようだったので、その時は「なんだ、ただの旅行記か・・」と思って読む気になれなかったのである。
どの書店でも結構、話題の本となっていたから、これまで何度も手にしたことはあったが、結局ずっと買わずに来てしまった。この機会にとりあえず、一巻だけでも読んでおこうと買ってみることにしたというわけだ。
一見、とりとめもなく、脈絡もない文章が延々と続いている(放浪記なので当然か?)だけなのだが、まだ若かった著者の衝動的な行動や、そこから産み出されるエピソードには、なぜか引き込まれてしまうものがある。
若さゆえの無謀、好奇心が異国の風土をかき混ぜている。
何も無いようで、そこには何かがある。
なんだかとても懐かしい何かがあるような気がするのである。
一巻だけ読んでおこうと思って買ったはずが、その何かが突き止めたいという衝動に負けて、二巻目も読むことに決めてしまった。
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