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麻雀とは~麻雀最強戦ファイナルを観戦して

麻雀とは。

これまでにたくさんの人が様々に形容してきたこのテーマ。

まさに、その答えを見たような戦いだった。

1年を通じて行われた今年の麻雀最強戦が終了。
新型コロナウイルスの影響があったものの、アマチュア予選も各地で開催され、昨日新たな最強位が誕生した。

麻雀最強戦は、第10期に読者最強戦の北海道代表になり、それから十数年たった今年、縁があって北海道最強位として東京に行くことが出来た。それだけに、特別の思いがあるタイトル戦。
北海道最強位になる前からも熱視線を送り続けてきたが、毎年この最強位が決するファイナルは特に思い入れが深い。

所用があったため、アベマプレミアムでゆっくり観ようかとも思ったのだが、むらさわなつみ様(@3yayoi33)からお声がけいただき、札幌にオープンしたばかりの麻雀barなる場所へ。

ちなみに、雇われママと称する「おみ」さんという女性、私好みの超美人。うっかり近所にお店があったら毎日通ってしまうところ。
あまりに美人、あまりに好みすぎて、全然目を見てお話をしていないのは内緒。

良かった。片道40キロの距離があるからあきらめがつく。
大散財する前にあきらめがついて良かった。

さてさて。
16人のファイナリストの中で、最終便でファイナルに滑り込んだ多井プロの優勝で幕を閉じた最強戦。
顔ぶれがどうの、ということよりも、最後のチケットを手にした時点で追い風ポールポジションだった多井プロの勝利が戦前からささやかれていたところ、言わば「1番人気」が優勝したというのは、まさに今年の流れそのもの。
個人的には大番狂わせがないものかという視点で眺めていたけれど、初日の1stステージからその歩みは盤石で、そのまま勝ち切ってしまった。

今年は、なんといっても新型コロナウイルスの影響なくしては語れない年になってしまった。

何をするにも密になるな、大声を出すな、換気しろ、手指の消毒をしろ、熱がある者は出歩くな。

おかげで毎年この時期に猛威を振るっているインフルエンザは見る影もなく、おそらく市中に蔓延することなく春を迎えるだろう。
と、言うことは、毎年ばらまいている大バカ者が街の中に山ほどいたということなんだな。

多井プロがいつか話していたが、「毎年病気をうつされてひどい目にあっていたけれど、今年はマスクをお互いにしているおかげでものすごく体調が良い」とのこと。
少なくとも、そういう意味で、今年という年は多井プロにはアドバンテージがあったという事なのかも知れない。

そして、唐突かもしれないが。
今年はそのコロナの影響で、中央競馬は無観客開催が長く続き、現在も場内への立ち入りには抽選で事前に入場券を手にしなくてはならず、気難しい競走馬にとっては静かな環境で走ることが出来、結果として不慮のアクシデントがないことから、今年秋のG1戦線はダートのチャンピオンズカップの1レースを除いて全て1番人気が1着という結果。

冷静な戦力分析で優位に立った実力者が結果を出しやすい年?
はたまた、人々の祈りの強さがストレートに作用する何かがあるのか?

私は後者のように思う。
これまで、人は思いを伝えようとするときに、実際に会って、相手の目を見て、自分の考えや思いを伝えていた。電話やメールといった手段もあるにはあったが、最終的には会って打ち合わせ。これに勝るコミュニケーションはなかったはずだ。

しかし、今年は様子が変わった。
満員電車に揺られることで生じるリスクを軽減するために、リモートワークなる手段が編み出され、zoomで会議や打ち合わせを行ってコミュニケーションを図ることが活発に行われるようになった。仕舞いにはリモート飲み会なる、私のようなおじさんには何が楽しいのかよくわからないことまで行われるようになった。

人は、相手に会わずとも、自らの思いを伝えようとすることを始めた。
それは、今まで過去の時代に置き忘れてきた特殊な能力を取り戻すきっかけになるのかもしれない、と、私は思う。

太古の昔、人がまだ狩猟民族だった頃。
もしかしたら、人はナウマン象を追いかける際に、テレパシーでチームワークを発揮して獲物を追い込んでいたのではないか?
あるいは、狩猟民族故に獲物を追いかけて生活している中で、家族や友人と遠く離れ離れになっても、その特殊な能力でつながっていたのではないか?

農耕民族になり、生活が豊かになると同時にその能力は退化した。
と、いうのが、不思議大好きっ子の私の仮説。

そう、人間を含めて生きとし生けるものはすべて、ある便利を手に入れると、それまでの能力をどこかに置き忘れてきた。
と、すれば、人はこの度の不便により、それとは気が付かずに過去に置き忘れてきた能力を呼び覚まし始めているのではないだろうか。

今年の1番人気高確率で優勝問題の答えは、もしかしたらこんなことかも。

んなわけ、ないか。

閑話休題。

冒頭、私は、昨日の最強戦を観て、「麻雀とは」との問いに対する答えを垣間見たような気がした、と述べた。
プロの戦いにアマチュアの私が私見を述べるのは大変に失礼とは存じながら、我がことのような気がしてならなかった1局があったので、ここにそれを書き留めておきたいと思う。

場面はファイナル決勝戦の大詰めである南3局2本場。

(牌譜は 田中 航/北越せっぷ 様より拝借。)

そう、多井プロが決勝点となる8,000点を本田プロから直撃した局である。

本田プロは、自団体のプロ連盟の十段戦ではファイナルまで進出している実力者。
この場に勝ち上がってくるのも納得の打ち手であることは間違いないことを先に述べておく。決して、勢いだけでのし上がってきた若手ではない。

ここまで、ゆっくりと打牌を吟味してしっかりとした足取りで高みまで登ってきた。

私は、タイトル戦は登山に似ていると考えている。

そして、この麻雀最強戦ファイナルは、例えるならば地球上の最高峰であるエベレストの9合目。酸素も薄く、天候も変わりやすい。これまで死屍累々をそのクレバスに飲み込んできた山頂付近であると言っていい。

(正確には、山頂付近にはクレバスはなさそうだけれど、まぁ、雰囲気だけでも)

ちなみに、私が倒れたアマチュア最強位決定戦は、おそらくその5合目辺り。荷物を持ってくれる地元の山岳ガイドが伴走してくれて、遠くに剣が峰を望むファーストキャンプといった具合。私は情けなくも、その4,000メートル付近で高山病にかかり、脳に酸素が回らずにギブアップしてしまったようなもの。

しかしながら、本田プロは薄い酸素を必死に取り入れながらも、あと一歩のところまでその歩を進めてきた。

まさに極限状態。
その中にあって、酸欠が彼に見せた幻が「白」だったのだろうと思う。

あの白の打ち込みに対して、初牌であること、他に現物があることから甘い打牌であるという批判があることは容易に想像がつく。ご本人も、あの白が失着であることをお認めになっていらっしゃるようだが。

私は、それを打たせてしまった本田プロの心情に思いを馳せていた。
放送をリアルタイムで見ていた時にすでに思っていた。
きっと、あとで後悔する一手になってしまったな、と。
明らかに通常の思考や状況ではあり得ないのだから。

ただ、個人的には、そこまで自分を責めなくてもいいのにな、と思う。

近年、AIの進化によって、将棋の世界ではソフトによる手筋の検証が行われるようになり、「評価値」なる数値にて局面の優劣を語られることが多くなった。
それはそれで、手筋の正確性や新たな定石の開発など、これまでに叶わなかったことが出来るようになり、また、それらを使いこなすことによってプレイヤーの実力向上に一役買っていることは事実としてあるのだろうと思う。

麻雀においてもAIによるソフト開発が行われており、今年に入ってから天鳳でAIによる対局が実際に行われたこともあって、その波はすぐそこまで来ているように思う。

しかし。
その評価値だけで麻雀を語って良いのか。
客観的な優劣だけで「勝負」を語って良いのか。
私は、今年のファイナル決勝を観て、その疑問に明確に答えが出たような思いでいる。

さしもの名手である多井プロがこれ以上ないほどの心血を注ぎ、
同じく実力者の新井プロが身を悶えながら敗戦にうめき声をあげ、
テレビ対局の経験が豊富な井上プロが涙をこらえきれず、
そして、本田プロにあの局面で白を切らせてしまう。

それが「勝負」だろうし、それが「麻雀」なのだろう、と。

白を切ったとか切らないとか、そういうことは些末なこと。
彼をその失着に追い込んでいったものは果たして何なのか。

それが、人であるが故。
麻雀が、対人ゲームであるからに他ならない。

技術論はこの際どうでもいい。
誰がどう見ても、勝負するのであれば白は切らないし、フォールドするにしても1ピンを切ればよいことははっきりしている。
1年前の私であれば、その白を切ったことを短絡的に批判するようなものの見方をしていたと思うが、今はそういう見方ではいられなくなった。

多井プロのタイトルに対する飽くなき欲求が、本田プロに白を切らせた。
その毒気に障った本田プロがブラックアウトして、高山のクレバスにその身を放ってしまった。

きっと、勝負の本質はここにあるのだと私は思うのだが。
まぁ、勝手な思い込みか、とも思うけど。

人は、極限状態になるとその人の本質が見えてくる、という。

私は、北海道最強位決定戦において実際にその局面に遭遇した。
プロ連盟の喜多本部長が本当に良く見てくれていて、私の弱さをしっかりとあぶりだしてくれた。
ことあるごとに「相手が何を思っているのか、その心情をしっかりとくみ取れるようにならないといけないよ」と話してくれていたが、まさにその通りだと思う。

目指した高みやステージは違っても(一緒にするなと怒られるかもしれないけれど)、本田プロの心情たるや察するに余りあるもの。
むしろ、こういう人間味のある決着は、電脳空間での麻雀が主流になり、無機質へと向かおうとする現代に一石を投じるもので、個人的には「勝負」の結末としては、非常に優れたものだったと思う。


来年も最強戦の夏がやってきて、きっと私はあの山頂をまた目指して卓につく。

私が目にしたファーストキャンプは、それはそれは華やかだった。

その場に立ったことの無い人にはわからない。

二言目にはその言葉が口をついて出てくるが、厳しくも甘く、儚くて尊い場所だった。だから、もう一度、という思いは日を増すごとに強くなっている。

どんな実力であるにせよ、最強戦の店舗予選にはお出になられた方が良い。
チャンスがあるのであれば、時間が許すのであれば、数千円のエントリーフィーを握りしめて、あの雰囲気を体験された方が良い。
きっと、麻雀がより魅力的に感じられるようになるだろうし、強くなりたいとも思うようになると思う。

ありがたいことに、私は1段上からスタートすることが出来るようだが、なんといっても最初の店舗予選が一番の壁であり、そこが一番魅力的な場所。
そして、その店舗予選に出たくても色々な事情で出られない方の存在も私は知っている。だから、その方の思いも背負って、私は来年も戦うつもりだ。

エベレストの麓は、たくさんの観光客でにぎわう華やかなところと聞く。
物見遊山上等!
ぜひ、この祭りで一緒に踊っていただきたい。


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