「北海道の最高峰」に寄せて
北の大山、それが「雪華王」
日本プロ麻雀連盟の各地方チャンピオンを決める戦いが始まった。
その皮切りは北海道の「雪華王戦」。
昨年は北海道本部副本部長の西野拓也プロが、緻密に練り上げた攻守プランを遺憾なく発揮して北の大山を制覇した。
特に、「安い手はリーチで圧力をかけ、高い手はヤミテンでしっかりと仕留める」という作戦が奏功し、事前の稽古量がどれほどだったのかということを背中で示したのは記憶に新しい。
(よろしければ、昨年の観戦記は私が書きましたので、ぜひ。)
強烈な個性を放つ今年の役者たち
私事で恐縮だが、私が麻雀を覚えたのは、幼い頃に自宅で父が興じていたのを後ろで眺めていたのがきっかけだった。
大人になってから父と卓を囲むことが何度かあったが、何度打っても私の方が成績は上。
「若い頃はもう少し打てたんだけどな。」
打つたびに負け惜しみのようにつぶやくその言葉のとおり、勝負事から離れた父は明らかに若い頃のそれではなかった。
刀は磨かねば錆びる。
腕もまたしかり。
そして、打ち盛りの四十代~五十代を過ぎると、それに「老い」が加わり、抵抗しなければ加速度的に力は落ちていく、と、私は考える。
その宿命に抗うように、三盃志プロは北の大山の九合目まで駆け上がってきた。
西野拓也プロ、加藤晋平プロ、中村瞬プロ、山屋洋平プロなど、中堅~次世代が起こす強烈な世代交代のうねりの中、永くトップリーガーとして君臨し、夏目坂までたどり着いたのは誠に尊敬の念を禁じ得ない。
そして、その同じ舞台に駆け上がってきた三盃貴之プロ。
親子であるというくくりで注目されることに一人の打ち手としてどのようにお考えなのかはわからないが、私だったら父とこんな素晴らしい舞台で卓を囲むことが出来るなんて、こんなに幸せなことはないと思う。
ただ。
この舞台だからこそ、父を超えてみたいと思うだろう。
幼い頃から見知った親の姿は卓の向こうにはいない。
ただ向こうには、三盃志という一人の打ち手が座っているだけ。
本人の心の有りようはそのような感じかと思う。
いずれにしても、父にしても子にしても、この上ない幸せな時間となったはずだ。
誠にうらやましいの一言だ。
そして、決勝を彩る「ミスターオーソドックス」。
須賀智博プロ。
決勝戦という舞台において、ゲームを締める役割を果たす最も重要なプレイヤーと私は感じている。
持ち味の「必死に最善を目指す麻雀」は、卓上を緊張感で縛り付ける効果がある。
短期決戦が故、大味になりやすいゲーム環境にあって、そういったスタイルで戦うプレイヤーがいるのといないのとでは、戦いの質が大きく変わってくる。
戦前の予想では、昨年のように西野プロの独壇場にはなりえないだろうし、あるいは4回戦の南場まで四者横一線…という画が私の脳裏に思い浮かんでいたが、さて。
痺れる接戦の末に、劇的な幕切れ。
これから戦いを振り返ろうという方がたくさんいると思うので、その内容に触れることは今の時点ではやめておこうと思う。
ただ、一つだけ。
己の人生を決めるような1牌を河に放たねばならない時、人は何を思うのだろうか。
必死に卓上から情報を集めるのだろうか。
あるいは、相手の気配から何かを感じようとするのだろうか。
それとも、指に運を任せるのだろうか。
この時の西野拓也という男が、何をよりどころに7ピンを河に放ち、4ピンをその手に躍らせたのか。
昨年の数倍も苦しんだだろう、連覇を飾った今年の雪華王戦。
週末に取材にいこうかな…。