一握の砂
先ほど、北海道最強位決定戦の予選ラウンドが終了しました。
私は3位、2位、3位で予選落ち。
2回戦目でトップを取りきれなかったのが痛かったですね。
ポイントを浮かせて3回戦目に入っていれば、できることも心持ちも違うので、あるいは予選通過が叶ったやもしれません。
しかし、タラレバは勝負事においては禁物。
その場でできなかったこと、その場で起こらなかったことは、結局起こらなかったことに違いありません。
「勝負は時の運」
その運を手繰り寄せられなかったことに、今は憔悴しています。
思えば、この一年間はまさに夢のような時間でした。
北海道最強位というタイトルを預からせていただいて、必死に自分の麻雀を追求し、強さとは何か、また、格好いい麻雀とは何かを探求してきました。
どこで麻雀をしても、いつ麻雀をしていても、私の心の中には北海道最強位なんだということが支えになっていましたし、北海道最強位だからこそ、見ることができる光景が眼前に広がっていました。
悔いが残る戦い方をしてしまったらどうしようか。
負けることよりも、そのことの方が大きな罪であり、心置きなく戦うことができたなら、それはまた素敵な時間になるんです。
今回はどうだったか・・・?
まだ、私の姿がどうだったのか、客観的に見ることはできません。
きっと、喜多プロをはじめ、北海道の志を同じくする皆さんが評価してくださることと思います。
個人的な思いとしては・・・。
必死にしがみついたかな。
ただそれだけです。
僕にとって、このタイトルはかけがえのないもの。
この一年間、生活のほとんどをこのタイトルを防衛するためにかけてきました。
たくさんの時間を麻雀に捧げ、たくさんのリソースを麻雀のために振り向けてきました。
言ってみれば、僕のたったひとつのアイデンティティーです。
その玉座から追われた今、私の手元には何が残っただろうか。
それを噛み締めるように見つめています。
私は小樽の出身なのですが、ゆかりの詩人に石川啄木という方がいらっしゃいます。
詩集、「一握の砂」の一節に
いのちなき砂のかなしさよ
さらさらと握れば
指のあひだより落つ
しっとりとなみだを吸へる砂の玉
なみだは重きものにしあるかな
とありまして、大事なものをしっかりと手に握っていたとしても、指の間からさらさらと溢れて行ってしまう。
ただ、悲しいもの=涙は玉になって残ってしまう、と、石川啄木は歌っています。
負けたことは悲しいし、自分の手からタイトルが溢れて行ったことは本当に悲しいこと。
追いかけても追いかけても、いくら大切に思っても、離れていくものはいくらでもあります。
ただ、それにいつまでも浸って、自分を悲劇のヒーローに仕立て上げることにはなんの意味もありません。
僕ら、麻雀という「道」を志すものにとっては、どんなに辛くても、どんなに悲しくても、次に戦いの場があるのならば、戦い続けなければいけません。
どんなにキツく拳を握っても、さらさらと溢れていく悲しい砂を見つめながら、それでも掌に残る砂を愛おしく感じて、大切に歩みを進めること、それが人の道なんだと思います。
人はいずれ死に行く運命の生き物。
一人で生まれてきて、一人で死んでいくことが生まれながらにして決まっています。
たくさんの出会いを経験し、同じ数だけの別れを味わい。
ほら、1牌自摸っては1牌切る。
人生は麻雀みたいなものじゃありませんか?
全ての出会いが別れになっても。
手元には、人との縁が残るし、愛が残るし、温かさが残る。
それが、悲しさを癒して、人は前を向くことができるんだと思います。
?
何を言っているんだ、俺はw
今日の悲しさは、明日の成長のための良薬として。
こんなに苦い水はできるならばもう飲みたくありませんが。
こうやって、自分の考えをまとめていて、気がついたことがあります。
できることはほとんどやったし、失敗した手順も、今の自分の実力とすれば納得できます。
今、決勝戦を見ていますが、私には対応できないようなスピードで場が進行していて、少なくとも今日は出番ではありませんでしたね。
皆さん、本当に強いし、本当に早い。
悔しさはほんの少しだけありますが、今日のところは気持ち良く場を譲るのが良さそうです。
ぜひ、新たな北海道最強位には、私が味わったような素晴らしい出会いに恵まれて欲しいと思います。
新たな勝者に、輝かしい1年が在らんことを。
最後に。
応援いただいた方。仲間のみんな。
負けてしまってごめんなさい。
そして、これまで出会えた方に、また、この大会を開いてくださった全ての方に感謝申し上げます。
ありがとうございました。