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西野拓也勉強会にて

今日は西野拓也雪華王が主宰する公式ルールの勉強会でした。
そして、新年一発目は第28期マスターズチャンプの真光祐尚プロがゲスト。
今日も熱心な公式ルールファンが集まっていました。

冒頭、現役の僧侶である真光プロからご挨拶がありました。

「お釈迦様は、悩みの原因となる人間との関係を断ち切り、優れた人との交わりを勧め、犀の角のようにただ独り歩めという言葉を残されています。
犀の角のようにとは文字通り、犀の頭にある1本の角のように、誰に左右されるでもなく唯一無二の存在であろうとすること。
自分の脚でしっかりと地を踏みしめて、進むべき道を歩みなさいという意味です。
この勉強会がそういうものの助けになるよう、末永く続いていくことを祈念します。」

昨年の夏あたりから、私は自分の麻雀がどういうものだったのか、見失っています。
北海道最強位になるために=結果を出すためにどうしたらよいのか?という、本来ならば目標であったはずのものが、そのことに心を捕らわれるばかりにそれが「悩み」となり、

結果が出ない→何かを変えなくては→さらに基本から外れていく

という悪循環に陥っています。

それではいけないと勝ち負けにこだわらないように心がけてみるのですが、結果が出ないときは点棒という「数」に心を支配されて思うとおりに麻雀を謳歌できなくなり、牌理の本質から離れた打ち方しかできなくなっているように思います。

真光プロの言葉は、「悩みの原因となる人間から離れて」という言葉ではありますが、我がことに置き換えれば「結果から離れて」ということに繋がります。

結果に振り回されず、自分の思う麻雀を打とうという心意気までは良いんだな、と。
後は、結果が出るまでひたむきにそれを貫くことが出来るのか。
今日の勉強会では、この一年の方針を確認することが出来て、非常に有意義な時間を過ごすことが出来ました。

麻雀というゲームは人によって内容も結末も大きく変わる不思議なゲームです。
そして、打ち手の性格や個性が強烈に表現されるゲームでもあります。
手つきが覚束ない初心者は除きますが、牌の扱い方や点棒の扱い方、壁牌の扱い方に性格が出ます。
雑に扱うのは論外ですが、「相手に気持ちよくゲームをしてもらうことで、自分も気持ちよくゲームをする」という意識のない打ち手は、本性が所作の端々に現れます。

私は何よりこの種の打ち手が嫌い。
そういう打ち手に目が行って自らの成長の機会を逸するのではなく、そういう打ち手との関係を断ち切るイメージ(相手にしない)で麻雀に専念したら良いのでは?というヒントも得られました。

振り返ると、ここ数年は悩みの原因となる人間関係を断ち切る作業が多かったように思います。
しかし、そういったものを断ち切ってシンプルに麻雀に取り組むようになってからは、波長が合う人が自分の周りに多くなり、素晴らしい人たちとの出会いも増えました。
不思議なものです。

と、そんなことも振り返りつつ。

今日の勉強会、東海から熱心な方がお見えになりました。

詳細はツイートからnoteをご覧ください。

まさかの東海から日帰りw
そんな追っかけ方してもらったら、プロ冥利に尽きますね、真光プロ!
一緒に静岡、行きましょうよ。

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