会いたくても会えない人
今回の旅で、たくさんの会いたかった人と再会を果たすことができました。
でも、会いたくても会えない人もいたんです。
その人は、とあるコーヒーショップで店長をされていた方。
僕の二十代の頃のことを知る、数少ない人です。
彼女はがんの苦痛に苦しみながらも必死に闘病していましたが、治療の甲斐もなく三十代の若さでこの世を去りました。
今朝早く、彼女の菩提寺を訪れました。
花を手向けに行ったんです。
小さなお寺で、お墓には水道が引かれていません。
住職にお声がけをしてお水を分けていただくんです。
住職のところへご挨拶に伺うと、4年前に一度伺っただけなのに、私のことを覚えていてくださいました。
「お久しぶりですね。ようこそおいでくださいました。」
住職は冷たいお茶を出してくださって、少しお話をさせてもらったんです。
「北海道も最近はお暑いそうですね。でも、こちらはそれ以上でしょう。私も時々辛くなる日がありますよ。」
相手との距離感を測るには、天気のお話が便利です。
ですが、住職はそんなことで天気のお話をなさったわけではなさそうです。
「…お葬式の日のこと、覚えておいでですか?」
あの日はとても暑い日でした。
喪服の上着が辛かったことを覚えています。
「私ね、あなたが告別式の日に片時も棺から離れなかった光景が忘れられないんですよ。故人が若かったということもあったのかもしれませんが、切ないなぁと思ったんです。」
住職は続けます。
「出棺の時、あなたは棺を抱えながら、ずっと故人の名前を叫んでいらしたでしょう。後で、あなたが彼氏だとか旦那さんではないと聞いて驚いたんです。そういう間柄の方にこんなに愛されたなんて、さぞお幸せな時間を過ごされたのではないかと…。」
「住職。彼女は幸せだったんでしょうか?」
僕は尋ねました。
「それはどうだったでしょうか。無責任なことは言えませんが…。」
住職はお茶を一口飲み込みました。
「私ら宗教家ができることは、故人の冥福を祈ることと現世を生きる人の苦痛を和らげて差し上げることだけです。そのためにお話をしましょう。
彼女は幸せだったと思います。
ディズニーの「リメンバーミー」という映画をご存知ですか?あの映画は、あの世に渡った人は、現世の人に忘れられてしまうと消えてしまう、というものだったでしょう。あの世がそういうところだとは私は思いませんが、一方であの映画は大事なことを示唆しているとも思うんです。
大切な人がこの世で必死に生きたということを、いつまでも忘れないで差し上げること。これは間違いなくご本人への供養です。
でも、あの世へ渡ってしまわれた方にいつまでも未練を繋いでしまうのはおやめになられたほうが良いかと思うのです。
手が届かない場所へ旅立たれた。ならば、せめてお相手の幸せをただただ祈り続ける。それが供養であり、人のあるべき姿ではないかと。
また再び会いたいと思われることもあるでしょう。夢に出ていらっしゃることもあるでしょう。でも、私たちはただただ彼の方の冥福を祈るだけ。でないと、過去に囚われて今の世を生きられなくなりますよ。」
ご住職のお説教は、次の言葉で締めくくられました。
「確か、お二人は麻雀がお好きでしたな。あなたはお続けでいらっしゃるのですか?」
私は、麻雀の大会で東京にやってきたことを話しました。
「それは…きっと呼ばれましたな。不思議な勝ち方をなさりませんでしたか?」
確かに、予選は早い時間に不思議なほどあっさりとポイントを叩き出しました。
「導かれたんですよ。あなたは一人ではない。」
住職の言葉を聞いているうちに、サーっと涙が流れました。
「さぁ、お花をたむけて差し上げてください。そのままで結構ですよ。良き頃合いで下げに参りますから。」
墓前に花を手向けているとご住職がやってきて、おつとめをして下さいました。
「気をつけてお帰りくださいよ。夏はまだ長いですからな。」
僕と彼女は、お付き合いをするとかそういうのではなかったんです。
でも、心の深いところで繋がっているような信頼感がありました。
僕がいまだに麻雀にしがみついているのは…いつか、彼女のいる場所へ飛んで行った時に、みっともない負け方をしないためのような気がします。
会いたくても会えない。
なんだか辛いものですね。