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かんのふぁーむ(かみふらのちょう)
油絵 F8 ベニヤ 横455×縦380 2014制作
(絵は一部です)



富良野と名前の付く自治体は4つあります。

旭川から国道237号を南下すると最初に美瑛町があり、上富良野町・中富良野町・富良野市・南富良野町となります。何度も訪ねているのですが、それぞれの町の境界がどこなのかが気になっていました。
というのは、富良野といえばラベンダー=富田ファームなのですが、富田ファームはどの町にあるのかということです。

絵に描いた菅野ファームのあるところは美瑛町と上富良野町の境界となります。また、ラベンダー発祥の地は上富良野町で、富田ファームは後発で中富良野でした。
倉本聰の「北の国から」は富良野市、高倉健の「ぽっぽや」のロケ地は南富良野なのです。

上富良野町の旅 (はじまり)

上フラヌ原野の開拓は交通の不便から遅れていました。
ところが、三重団体が225万坪の貸し下げを受けて明治30年に50戸ほど移住しました。
団長の田中常次郎は既に渡道していた板垣義夫を頼りに団体を上富良野にまで進展させた人物で、その後村会議員などを歴任しました。


上富良野町

その後、島津富次郎名義で管理人江田信哉が富山・石川県人を25戸募集し開墾を始め、明治30年に開かれた田中農場は約30戸小規模ならが島津に次ぐ優良農場で、開墾に熱心なフラヌ原野の草分け的農場となり当初は弟米八が経営し、後に亀八も移住しました。
いずれも自然環境にとまどいながらも開拓を進め、明治39年のエホロ植民区画地の開放もあり、耕作地は着々と拡大していきました。
明治33年(1900年)には富良野線が開通、上富良野駅も開業しため市街地が発展していきました。
明治36年に富良野村が上富良野村と下富良野村に分立したため、役場から遠い中富良野地区に分村の動きあり、大正6年に分村しました。
大正15年十勝岳の噴火で死傷者を出し田畑・牧場も大きな被害を受けましたが、義損金などにより復興、昭和26年に町制施行となりました。

ラベンダー発祥の地

ラベンダー

昭和23年に曽田香料(株)の委託栽培で始まったラベンダーもピーク時には全国生産の80%を占めていました。
その後、合成香料の台頭で減反が進みましたが、昭和50年代からは観光資源として注目を浴びるようになり、今では加工品も作られています


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