しおかりとうげ(わっさむちょう)
油絵 SM キャンバス 横227×縦158 2015制作
明治2年、蝦夷を北海道と命名した時に松浦武四郎の提案で北海道を11の国名に分けました。
その時に、国境となる峠に、国名の一字ずつがとられて付けられています。塩狩峠とは天塩の国と石狩の国の国境でした。この峠を越えると天塩の国に入るということです。
宗谷本線は旭川から最北の稚内までの鉄道で、途中に士別駅があります。
士別市が私の「ふるさと」です。
士別駅から旭川駅まで約1時間ですが中間地点に塩狩駅があります。
駅は峠にあるので上って下る必要がありました。
私が小学校低学のころ鉄道は蒸気機関車でした。
夏場は問題ないのですが、冬場になるとこの塩狩峠を越えるには峠下の和寒駅で蒸気機関車を二連結にする必要がありました。
峠にさしかかるとゆっくりと上っていきます。徐々に蒸気のはじける音がすさまじくなります。そうして機関車がイキを切らすようにして傾斜を上ってくのです。
その音と光景を今でも思い出します。
この「塩狩峠」の絵は、しおかり駅の手前で丘を見上げて描いたものです。
丘の上に見える赤い屋根の家は、作家三浦綾子が「氷点」の作品を書いた当時の雑貨屋です。
「氷点」とは朝日新聞一千万円懸賞小説当選作として、昭和39年7月10日に朝日新聞社が発表しました。作者紹介記事には「旭川市豊岡町2条4丁目1の3。大正11年4月25日旭川市生まれで42歳。同市立高女卒。小学校教員を退職後、昭和21年から34年までカリエスのため13年間の闘病生活を送ったが、現在全快、昭和34年三浦光世と結婚して雑貨店経営」とありました。
三浦綾子が後に古くなった家の廃棄に困っていたところ、和寒町が旭川から移築して管理しています。
三浦綾子の代表作でもある「塩狩峠」の舞台となった峠には、主人公で列車を止めるために殉職した長野政雄の碑が立てられています。
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