なぜ小樽生まれの私がこうなったか その1 高校生だった私にそんな提案をしてくれたのは昭和5年生まれの母でした。 グレースケリーやバーグマンに憧れていた、かつての「モダンガール」からの素敵な提案を受けた私は、その頃小樽にあった名画座を中心に、時には学校サボって映画を観まくりました。 多感な年頃に観た多くの映画は間違いなく私の教科書となり、そのうち映像を作る仕事をしたいと思うようになりました。札幌のローカルCMプロダクションでいわゆるADの仕事に就き、照明、特機、美術、モデル、
note、初めてみました。 子供の頃から文章を書くのが苦手なワタクシ、どこからどう書き出して良いかと悩みながらのスタートです。 現在の主な仕事は、 「海外から北海道の風景写真を撮りに来るフォトグラファー向けガイド業」 と、 「海外から北海道に観光でやって来るご家族、小グループ向けの観光ドライバー」 の二つが生業です。 そう、新型コロナウィルスの影響で見事に仕事が無くなってしまった業界です。 とはいえ、黙ってこのままフェードアウトするのも悔しいので、なんとか国内需要を掘り起