
北海道のむかし話8 積丹岬の女郎岩

積丹半島は日本海に突き出しているので岬の多い景勝地です。
蝦夷の時代には松前藩が和人に対して「神威岬を越えては行かせない」政策を取っていました。江差から北上する鰊を追って「ヤン衆」たちも半島の付け根である岩内止まりでした。そのために伝説が多く残っています。
積丹半島の積丹岬突端にある女郎岩は、アイヌの人たちはシケオショラウシと呼んでいました。シケオショラウシとは、神様が荷物を棄てたところという意味です。
この岩を女郎岩と呼ぶようになったのは、昔、義経が、兄の源頼朝に追われて、この地まで落ちのびて来て、酋長の家に隠れ住んでいるうちに、酋長の娘シララ姫と恋仲になったが、追手がせまって来たので、ある夜、義経はシララ姫に知らせず、こっそりとと舟をだしのがれていった。
これを知ったシララ姫は、義経を恨みながら身を投げ命をたった。
それがこの女郎岩になったという。

積丹ブルーと言われる島武意海岸の青い海を眼下に眺めながら「積丹岬自然遊歩道」を東へ足を進むと「女郎子岩」が現れます。
この芸術的な景観は長年の波浪が作り出したもので、これをアイヌの首長の娘 シララ姫が,義経の船出を見て立ち尽くし・・・そのまま岩になったという伝説です。
北海道に「義経伝説」はたくさん残っています。それもアイヌの人たちに語り継がれているのが特徴です。