北海道ゆかりの人たち 五島軒
函館・五島軒(ごとうけん)
1879年~
明治12年、パンとロシア料理の店としてスタート
函館五島軒。130年経った今日まで函館の顔として残り、スーパーの棚にも「函館港カレー」が並んでいます。
屋号の五島(ごとう)は、創業者の名なのかと思いましたが違いました。
創業時の初代シェフの名前で、自称五島英吉(ごしまえいきち)、出身は長崎県五島列島。本名は「宗近治」といいますが定かではありません。
創業者だけが知っている隠された理由があるようです。
五島英吉(生没年不詳)は長崎奉行所で通訳官をしていました。
どのような経緯か分かりませんが旧幕府軍(榎本武揚)に入隊し、幕軍側の通詞として箱館戦争に参戦。戦争終焉時、五島はロシア教会(ハリスト正教会)に逃げ込みました。
捕らえられたら、間違いなく斬首の宿命。
神父に巡りあい、天に救われた身となります。
教会信者の納骨堂に寝泊まりして危機を脱し、その後も教会に残り下僕として働きながらロシア料理を習いました。
箱館は幕府直轄の奉行所がフランスに支援されていたこともあり、早くから西洋化が進んでいました。ハリスト正教会は観光名勝で人気がありますが、明治維新前後に多くの日本人を匿いました。
新島襄(後の同志社大学創設)も神父がいなければ日本脱出は無理でした。
五島軒創業者 若山惣太郎
安政2(1856)年、埼玉県鴻の巣の六代目孫八の弟として生まれます。家業を相続した後、大がかりな米相場に手を出して失敗。
その責任を一身に負い再起を期して明治11年に函館に来ました。
富岡町(現・大町)でパン屋を創業。
パンの作り方を何処で教わったかは定かではありませんが、独特の秘訣を会得していたようです。自ら採取した函館周辺の野生のホップのほか2種頴の材料とジャガイモでパン種をつくり、床下の一定の温度と湿度を保持した箱で育てていたといいます。パンは、当時非常に好評で、特に外国船から大量の注文がありました。
ハリスト正教会に縁のあった若山は五島の料理の腕に惚れこみスカウト。
10年の歳月で鍛えられた外国人仕込みは一流のものでした。
釈放された幕軍出身者が謎の死を遂げる時代でした。若山は記録を残さず、身内にも出自を語りませんでした。本名と言われる「宗近治」は清国人だったとしても、真実の本名(旧名)は全く謎のままといいます。
「函館カレー」は、五島英吉が作り出したカレーを帝国ホテルで学んだ二代目若山徳次郎が完成させたものです。
明治12年、五島英吉の協力を得て「五島軒」でロシア料理の店を旧桟橋前に開業しました。ロシア料理とパンの店は評判がよく繁盛しましたが、明治19年の火災で店が焼けました。
これを機に五島は横浜に引っ越してしまいます。再建にあたって函館はフランス料理の嗜好のため、料理の転換が原因ではないかと思います。
明治19年7月、輸入商や宮内庁御用達などの援助により、旧八幡坂下(末広町)に西洋料理店を開きます。この時、フランスで修行したコックを横浜から雇い入れ、フランス料理の店としてスタートさせました。ロシア料理店開業から7年後でした。
五島は、横浜に転居してからも夏になると避暑に来函して、若山の長男・若山徳次郎(後の五島軒二代目)に東京や横浜の料理情報を教え、帝国ホテルへの修行にも協力しました。
英国領事館の催事や函館船渠会社の出張出前を始めるなど順風満帆でしたが、明治40年8月25日、函館火災に罹災し全焼します。現在の場所に新店舗を移転したのはこの時です。
若山徳次郎(二代目)
創業者は大正6年に病没(63年の生涯)長男徳次郎に二代目を相続します。
昭和9年、歴史に残る函館大火で五島軒も灰になりました。
徳次郎(56歳)は再建に乗り出します。
二代目の長男勇が三代目を継ぐのが当り前の時代でしたが、勇は意思がなく大学生活を送っていました。ところが、昭和13年二代目の急逝で引き継ぐことになります。若山勇(三代目徳次郎)20歳でした。経営は函館大火以降再建のため莫大な借金がありました。
倒産の危機を救ったのは従業員でした。
若山 勇(三代目)
「生前、料理人だった父が考え出したカレーライスを五島軒の代表するメニューとして確立させる」これが三代目の目標でした。
災難は更に続きます。三代目にも召集令状が届きます。昭和19年に帰還すると「洋風であることで営業停止」の事態となっていました。抗議をして一年間の停止は解かれましたが、戦局が悪化すると今度は海軍に呼ばれ、物資の輸送する会社に建物を売れと言われます。
戦争が終わると、またもや災難が降りかかります。
アメリカ占領軍に五島軒は接収されます。
店が再開するのは昭和25年。
三代目が果たした役割は、歴史を重ねるうちに高級フランス料理と位置付けられていました。これを創業当時の庶民のレストランに戻すことでした。
現在は四代目若山直、総料理長は14代目山本庸子です。
二層式になっているカレー
初代若山惣太郎が和風にアレンジした明治カレーと二代目徳次郎が完成させた大正カレーの2種類が一度に味わえる親子共演カレー。(トップの写真です)
コロッケやエビフライなどを盛り合わせた明治時代の洋食セット風。
「メモリアルリッチ鴨カレー」は平成元年に天皇・皇后両陛下が函館に行幸啓された際、昼食として召し上がったもの。鴨肉を何枚も並べたカレー。