北海道ゆかりの人たち 第十五位 大鵬幸喜
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1940年(昭和15年)5月29日 – 2013年(平成25年)1月19日)
出生地は樺太敷香郡敷香町。
現在のロシア極東連邦管区サハリン州ポロナイスク市出身。
第48代横綱。本名は(なや こうき)。
大鵬の母・納谷キヨは、北海道神恵内村から女一人で身を立てるため樺太に渡りました。父はウクライナ人のコサック騎兵隊将校ポリシコ・マリキュンで、ロシア革命後に樺太へ亡命。その三男として生まれます。
当時、敷香町は日本領の南樺太に位置するため、大鵬は外国出身横綱になりません。
昭和20年8月、終戦と同時にソ連軍が突然樺太に侵入してきました。
母親キヨ、17歳の兄幸治に手を引かれて逃げてきた幸喜は5歳でした。
1956年(昭和31年)、二所ノ関一行が訓子府町(くんねっぷ)へ巡業に来た時に紹介され、高校を中途退学して入門。
幸喜は親方にノルマを課せられます。
「一日に四股500回、鉄砲5千回。お前の日課だ」幸喜は体格に恵まれていましたが、決して天才肌ではなく、一番の武器は素直さでした。
命じられたことを出来るまで黙々とやる努力が、一歩一歩、階段を上らせていったのです。