北海道人のルーツ45 明治8年・ロシアと交渉・榎本武揚
写真は、江別市に建つ榎本の銅像です。
ロシアと樺太・千島交換条約調印を実現させたのは榎本武揚です。
海津全書
榎本のスケールの大きさは「海津全書」にあります。
箱館戦争における新政府軍の司令官は、後の開拓使長官になる黒田清隆でした。黒田は尊敬する西郷隆盛から、榎本の偉大さを聞いており五稜郭に再三降伏を呼びかけていました。
降伏する時に、黒田に渡したのが一冊の本でした。
黒田は翻訳を福沢諭吉に依頼しますが、福沢は1ページを開いただけで、これは教科書で教育を受けたものでなければ理解できないと突き返されます。
黒田は、牢獄に監禁され死刑を免れない榎本を解放させるために、丸坊主になって嘆願し、明治5年に大鳥圭介とともに釈放され開拓使に雇用されます。
北海道はお雇い外国人73名の力であらゆる開拓が進みますが、榎本の力が大きかったと思います。何故ならば、榎本は5か国語を話すことができ世界に人脈を持っていました。
この「海津全書」は世界の海洋法律で、海の国境を取り決めたものでした。
幕末に軍艦開陽丸の技術指導でオランダに渡った時に、すべてを学んでいました。
新政府は、明治7年に榎本武揚を特命全権大使としてロシアに派遣し、明治8年5月7日、ロシア全権ゴルチャコフ首相との間で「樺太千島交換条約」を締結します。
この条約によって、1855年の「日魯通好条約」で両国民混住の地とされていた樺太全島はロシア領となり、その代りに、ロシア領であったクリル諸島(得撫島から占守島までの18島)が日本の領土となったのです。
現在も北方領土問題はロシアと交渉していますが、榎本のような人材がいなので一向に進展しません。