観光客が行かない伊達巡り・後編
有珠善光寺(うすぜんこうじ)
伊達市の隣町は洞爺湖町になります。
2006年(平成18年)に虻田町と洞爺村が合併し洞爺湖町となりました。
道内で最も短い国道37号で室蘭駅前から伊達市⇒旧虻田を抜ける時に旧国道があります。この道に入り内浦湾に出ると有珠善光寺があります。
長野の善光寺とは何の関係もありません。有珠善光寺の開基は、いかにも古い話で826年に比叡山の僧、慈覚(じかく)大師が阿弥陀仏を安置した時とされています。しかし、1613年に松前藩の祖・松前慶広(よしひろ)が有珠に至り祈祷所として如来堂を建てたことに始まります。
(松前藩の始祖は武田信広です)
その後、蝦夷地に江戸幕府が介入してくる1804年に現在の伊達市・様似に町・厚岸町に3つの寺を建てます。この「蝦夷三官寺」の一つに有珠の善光寺が当てられました。
有珠とは有珠山のことですが、大爆発の絶えない山で、善光寺境内に有珠山から飛んできた背丈より大きな石がいたる所にあり存在感を示しています。伊達(有珠)は蝦夷のころから知られた地域でした。
四季を通して、何度もでかけていますが境内には桜から始まりツツジや牡丹、アジサイが色鮮やかに咲き行くたびに新しい発見をさせてくれるお寺です。
本願寺街道(ほんがんじかいどう)
札幌から伊達市に行くには二通りの国道があります。
一つは千歳から国道36号⇒東室蘭から37号のコース。
もう一つは中山峠を通る国道230号で、昭和新山から国道453号に入るコースです。453号は国道230号の基礎になっている道路です。
このコースは松浦武四郎の助言を得て東本願寺の僧が開削した道内で最も古い幹線道路です。有珠の尾去別<おさるべつ>(現在の長和<ながわ>地区)を始点として有珠山、洞爺湖の東側を迂回して留寿都・喜茂別・定山渓・簾舞(みすまい)・そうして札幌市豊平区平岸が終点となる約103キロです。
明治3年7月に伊達(有珠)の尾去別から起工し、翌4年10月に札幌の平岸天神山南麓まで1年3か月で完成しました。
明治維新で地位が揺らいでいた京都東本願寺が建設に名乗りを上げ、大谷光瑩(おおたにこうえい)率いる僧は北上途中に寄付を集め、海を渡った士族・アイヌ民族を加えて突貫工事で開削したものです。(中山峠に大谷光瑩の像があります)
現在の国道453号は平岸⇒真駒内まこまない⇒支笏湖しこつこ⇒大滝村⇒壮瞥町⇒昭和新山と通る国道で、山あり湖ありの絶景コースです。
終点が37号の交差点となり、ここを右折すると有珠善光寺は近く善光寺の内浦湾を過ぎると旧虻田町で「道の駅あぶた」では名物のうに丼があります。ここからの内浦湾の眺めも絶景となります。
伊達市開拓記念館
伊逹市開拓記念館は、伊達家から市に寄付された多くの資料を展示するために、旧伊達氏邸宅跡の七千坪の敷地内に昭和33年に開設されたものです。
亘理伊達家の歴史は、仙台藩一門伊達実元、成実の親子を祖として始まります。
伊達政宗のいとこにあたる成実は片倉小十郎とともに政宗を助け、仙台藩を築くのに活躍した人物で、仙台藩の重鎮で現在の宮城県亘理町一帯を所領していました。(テーマパークの登別伊達時代村は亘理藩伊達家のことです)
美術品や家宝の多くは開拓資金として売り払われましたが、次代に伝えるべき貴重な品は残され、1958年(昭和33年)に開拓記念館として開館し、現在に至っています。記念館を含む広い庭園には約60種もの樹木があり、四季折々の市民の憩いの場として、また観光名所として多くの人が訪れています。
庭園内には重要文化財「旧三戸部家住宅」「迎賓館」などがあるのですが、この迎賓館で配布されていた「伊達氏略系図」が気になり、その後津軽海峡を渡った伊達一族のことを調べることになりました。
仙台藩と言われても伊達政宗しか知らない私でしたが、調べるうちに伊達一族が開拓に大きく貢献していることを知りました。
大滝村(おおたきむら)
大滝村は、2006年3月1日に伊達市へ編入され、伊達市の地域自治区「大滝区」となりまし た。壮瞥町を間に挟むため、飛地になっています。
村名は、村の名所である三階滝に由来しています。札幌から国道432号を走ると、この大滝村を通って壮瞥町に入り昭和新山から伊達市の長和地区に到着となります。
トマムリゾートは当初「大滝村」に計画をしていました。
交通の便が悪いため千歳からの石勝線に「トマム駅」を設置して開業という経緯があります。
明治10年代に発見された横山温泉。明治30年代から営業している北湯沢温泉・ホロホロ山(1,322m)・徳舜瞥山(1,309m)周辺は、支笏洞爺国立公園に指定されており、今は野口観光の「緑の風リゾートきたゆざわ」となっています。山の中でコンビニのセイコーマートが一軒ありますが、三階(さんかい)滝(たき)などの景勝地にも恵まれ自然美豊かな村です。