【新刊試し読み】『ロシアにおける金融と経済成長』まえがき/大野成樹
筆者はこれまで、計画経済から市場経済への移行がどのように達成されるのかに興味を抱き、ロシア経済を研究してきた。計画経済のもとでは、銀行は貯蓄者と投資者を自由意思で仲介する役割を果たしておらず、計画で定められた通り資金を配分するに過ぎなかった。このような計画経済下の金融制度は、モノバンクもしくは一層銀行制と呼ばれていた。計画経済には資本市場や金融市場が存在しなかったため、金利は当局により固定されていた。計画経済から市場経済への移行に際しては、この一層銀行制を、中央銀行を第一層、商業銀行を第二層とする二層銀行制に転換することが求められた。ソ連では、二層銀行制の構築の動きは1987年に始まり、1989年に同制度が確立したと考えられる。
ロシア経済が発展するには、市場経済に適合した金融制度が不可欠であると考え、筆者は大学院でまず銀行活動に関する研究に取り組むことにした。ここで、筆者が大学院で分析対象とした、市場経済移行期におけるロシアの銀行活動動向をまとめておきたい。この内容は本書には含まれていないが、ロシアの金融制度を理解する一助となり得るため、少々詳細な内容となることをお許しいただきたい。
1992年にロシアにおいて価格自由化が実施されたことにより、ハイパーインフレーションが引き起こされた。大部分の銀行はルーブルレート急落の下で外貨を保有することにより、自動的に為替差益を獲得することができた。ルーブルの対米ドルレートにおける目標相場圏が1995年に設定されるまでは、規模および収益の面から見て外貨取引が銀行の主要業務の1つであった。
また、ソ連時代さながらの中央集中融資も蔓延していた。中央集中融資は、中央銀行から市中銀行経由で供与される企業への貸出、および中央銀行から企業に直接供与される貸出である。市中銀行は指定された企業に対し優遇金利に3%の利ざやを付与して融資を供与した(優遇金利は、個別具体的に定められた)。1993年下半期には、旧国有銀行の73%が中央集中融資は主要な資金調達源であると回答していた。なお、中央集中融資はインフレ圧力になっているという批判もあり、1995年1月1日より正式に供与されなくなった。
1995年頃から為替レートの安定化により為替差益が減少したため、銀行は新たな資金運用先を求めるべく、銀行間取引市場での取引を活発化させた。銀行間取引市場で調達された資金は、順イールドのもとで調達資金よりも長い期間のコールローンを供与することにより収益を得ることができた。このため、銀行間取引市場の資金の3分の2が当該市場内で回転しているだけであったという。ロシア中央銀行は通貨供給量を抑制する政策を採り始めたほか、財政赤字を中央銀行貸出で賄うことが禁止された。このことに伴いロシア政府は国債発行額を急増させたため、銀行間取引市場への資金流入額が減少した。結果として、1995年半ばには連鎖的に銀行がデフォルトに陥り、モスクワに拠点を置くほとんどの銀行が何らかの損失を被った。
銀行間取引市場危機後、そこから引き揚げられた資金は、国債市場などに向かうことになった。ロシアの短期国債の年利回りは1994年12月で約250%に達していたこともあり(同年同月の前年同月比消費者物価上昇率は約215%)、非居住者が保有する国債の割合は約3割に達した。また、ロシアの銀行は資金調達に際して対外借入を活発化させた。
1997年後半より、国債の償還および利払いのための支出が国債発行による資金調達額を上回るようになった。1998年5月には連邦政府支出の40%以上が債務の元利支払いに充てられたため、国債価格は大幅に下落した。銀行は対外債務の返済資金を調達するために国債を売り急ぎ、また為替リスクを回避するために外貨購入に向かったため、国債価格および為替相場の下落に拍車がかかった。こうして、為替市場では目標相場圏を維持できなくなった。
結局1998年8月にロシア政府はデフォルトに陥り、ロシアの通貨ルーブルの価値は1998年末には3分の1以下に下落した。対外債務比率が高い銀行や、国債保有額が総資産に占める比率が高い銀行の中には、ロシア金融危機により破綻するところもあった。しかし大幅なルーブル安の結果、ロシアの企業に輸出競争力が生じたほか、輸入品価格上昇による輸入代替がロシアの企業に有利に働いた。このほか原油価格が1998年12月に底打ちし、上昇基調に転じた。ロシアの鉱工業生産は1999年5月に早くもプラスに転じた。
筆者は、この時期までのロシア経済の状況を博士論文において分析した。ソ連崩壊後、ロシアのGDP成長率は一貫してマイナスであったが、1997年には初めてプラスを記録した。しかし1998年にはロシア金融危機で再び大幅なマイナス成長に陥った。そこから回復し始めた時期までが分析期間であった。当初は統計が整備されておらず、通貨供給量M2の統計すら入手できないなど、論文執筆には多大なる苦難を伴った。また、企業間決済にバーター取引が横行したり、手形の支払いがモノでなされたりするなど、通常の経済理論をそのまま適用するだけでは把握できない事象に溢れていた。このため、筆者はできるだけ事実を丁寧に積み重ねる形でロシアの経済情勢を分析することに努め、モデルを利用した分析は行わないようにした。
その後、状況は大きく変化した。1999年以降、ロシア経済は2008年の米国発世界金融危機の勃発まで比較的高い成長率を達成し、バーター取引は姿を消した。また、経済統計の整備も進んだ。こうした状況を受け、筆者は主に2000年頃以降の金融と成長との関係や為替・金融政策を計量経済的手法により分析し始めた。本書はその成果をまとめたものである。
(本書 まえがきより)