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【試し読み】陳勝『当事者が語る「貧困とはなにか」:参加型貧困調査の可能性』

本書は、日本国内で実施した参加型貧困調査について、その記録と分析をまとめたものです。貧困当事者たちが主体となってグループディスカッションを行い、「貧困」をどのように理解しているのか、何に心配し困っているのか、それにどのように対応したのかを議論していく過程を記述します。
今回は特別に本書の「序章」と、参加型貧困調査に参加した当事者の語り(一部)を抜粋し紹介いたします。

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当事者が語る「貧困とはなにか」 ― 参加型貧困調査の可能性 | 北海道大学出版会 (hup.gr.jp)


■ 序章 貧困理解におけるもう一つの視点

*脚注は省略しています

1  研究の目的とその背景

本研究の目的は、貧困当事者を包摂する参加型貧困調査(以下、参加型貧困調査)を通じて、貧困当事者の主体側から貧困を理解することである。本研究は、貧困当事者が受動的な客体として調査されるような従来の貧困調査と異なり、日本ではまだ前例が少ない参加型貧困調査を実施し、多様な貧困経験を持つ当事者たちが調査研究の主体となり、グループディスカッションを通して、「貧困」をどのように理解しているのか、何に心配し困っているのか、それに対してどのように対応したのかを議論していく過程を記述する。このような調査を実施することによって、貧困当事者自身による貧困分析を提供し、より民主的な貧困議論の実現に寄与する。

1.1  貧困当事者の「排除」と「他者化」
1990 年代に入ってから、貧困理解をめぐって従来の貧困研究に対して以下
のような批判がなされている。Hartley Dean(1992)はこれまでの貧困研究について、次のように指摘している。これまでの貧困研究者は、肉体的能率の維持(B. Seebohm Rowntree 1901)、相対的剝奪(Peter Townsend 1979)、社会的に認識された必需品の欠如(Joanna Mack & Stewart Lansley 1985)、そして、社会的参加からの排除(David Donnison 1982)などの観点から貧困を定義しようとしてきた。使用された基準は多かれ少なかれ厳格(絶対的)または寛大(相対的)であるが、定義のプロセスは本質的に技術官僚的なものである(Dean 1992: 80)。
このような貧困論述は、貧困の構造的側面に焦点化し、貧困は構造のせいであると指摘するが、実在の人間への配慮が少なく、そこでの貧困当事者「社会的排除」された可哀そうな「被害者」であるとしばしば描かれている(Dean 1992: 81)。その結果として、第1 に、保守的な貧困議論─貧困は個人のせいであり、貧困当事者が「アンダークラス」と名づけられて、「悪徒」と描かれていること─に十分に対抗できず、保守的な貧困議論と同様に貧困当事者の「無力化(disempowering)」をもたらしている(Dean 1992: 79, 81)。第2 に、貧困当事者が貧困をどのように理解しているかが明らかにされていない(Dean 1992: 81)、第3 に、貧困研究者は自身が反対すること(貧困当事者の排除や他者化)を逆に自身でも遂行してしまうこととなっている(Dean 1992: 87、括弧筆者)。これらの問題に対して、Dean はこれからの反貧困運動は「貧困」と「貧困者」の脱構築からはじめなければならないと主張している(Dean 1992: 79)。
そして、Peter Beresford ら(1995, 1999)は上記のDean(1992)の論点を深め、また次のような指摘をしている。それは、これまでの貧困研究の主体であるはずの貧困当事者がそこでの議論や調査から排除され他者化されていることである(Beresford & Suzy Croft 1995; Beresford & David Green & Ruth Lister & Kirsty Woodard 1999; Beresford 2013)。
Beresford らの指摘によれば、これまでの貧困議論は主に研究者、政治家、
メディア、貧困ロビーなどによって主導されてきた。そこで、貧困当事者は不在であり排除されている(Beresford & Croft 1995: 76)。そして、この排除は主に3 つの形式で表れている。第1 に、貧困当事者が、公衆の貧困認識に影響を与えているポリティカルプロセスとメディアストラクチャーにおいて周辺化されている。第2 に、貧困当事者は貧困議論や反貧困運動に関心がある学術的研究機構、シンクタンク、キャンペーンやプレッシャーグループでの発言や参加がほとんどない。よって、第3 に、貧困当事者は貧困の議論にほとんど参加できず、貧困の分析と概念の形成から周辺化・排除されているとされる(Beresford & Croft 1995: 76)。確かに、これまでにさまざまな貧困当事者に対する質的調査研究があるが、そのほとんどは貧困でない研究者らが、貧困当事者の発言を選択・処理・解釈するものであり、直接の貧困経験がある当事者から発せられた貧困解釈ではない(Beresford & Croft 1995: 78; Beresford & Green &Lister et al. 1999: 4–21)。
続いて、Beresford はこのような「排除」はまた、貧困当事者に「他者化」
の影響をもたらしていると述べている(Beresford 2013: 140)。ここでの「他者
化」は、Lister(2004=2011: 147–149)によれば、それは「貧困者」がさまざまな面でさまざまな表象や言説を通じて社会の他の成員と違った仕方で扱われるプロセスであると理解できる。当時、そして今現在でも貧困議論で頻繁に用いられた「アンダークラス」と「社会的排除」という2 つの言説は「他者化」の実際を表す端的な例である。
「アンダークラス」論は1980 年代から90 年代にアメリカ、そしてイギリス
で盛んになって広がってきたものである。最も影響力があるのはCharles
Murray(1984, 1990)の主張である。Murray は「アンダークラスは貧困の程度ではなく、貧困の一つのタイプ」であり、「彼ら(=貧困当事者)の行為によって定義されている」と論じている(Murray 1990: 1)。これに対して、「アンダークラスは周縁的な人々を定義するのではなく、これによって定義された人々を象徴的に周縁化してしまう」(Dean & Peter Taylor-Goodby 1992: 44)、または「アンダークラス」は文化や行動的なものと関係があると認めながら、その原因は構造的である(William Julius Wilson 1987=1999)という批判もあるが、いずれも対抗的なものとなっていない。Lister(2010: 157)によれば、この「アンダークラス」の使用は、貧困問題の再定義のプロセスを示している。つまり、リソース不足の問題から人の行為の問題へ転換し、あるグループによる定義を他人に課していくことである。これによって、貧困の代わりに貧困当事者が「問題」として構築されており、1990 年代以後の厳格な福祉改革が引き起こされていた。
「社会的排除」は、もともとフランスにおいて貧困当事者を含む社会保険制
度からこぼれ落ちて周辺化された人々を表すために使われた(Hilary Silver 1994: 532)。1980 年代からEU 委員会において使用され、1990 年代にヨーロッパで普及してきた。「社会的排除」は、当時のイギリスのニューレイバー政府においては「アンダークラス」に対抗しうる社会政策概念として使われており、ニューレイバー政府は貧困の社会的・関係的な側面に関心を払い、社会的公正や機会均等などを重視する一連の「社会的包摂」政策をとった。ただ、Jock Young(2007=2008)によれば、このような福祉対策は厳しい福祉政策と異なるもののように見えるが、実質的に「他者をわれわれのような素質や美徳が不足しているとみなすことである…物質的ないし文化的な環境や資本の剝奪によって生じる不利な立場とみなされる。もしこれらの環境が改善されれば、かれらはわれわれのようになるのに」(Young=2008: 19)という貧困当事者の差異を強調している。これはまた、「アンダークラス」論と同じように貧困当事者への「同情すべき可哀そうな弱者」というステレオタイプを促す。

1.2  参加型貧困調査の「補完的な価値」
上記に対して、貧困をよりよく理解するために、Beresford & Croft(1995: 89–
93)、Beresford & Green & Lister et al.(1999: 33–41)、Lister(2011: 15)、Lister&
Beresford(2019: 284–285)はこれからの貧困研究を行う際に、もっと包摂的な実証方法が求められていると論じている。その際に、貧困経験者の視点を取り入れること、そして、それを参加型の手法を通じて行うことが必要であると提起し、イギリスでは率先的に参加型アプローチを用いて貧困調査が行われてきた。
本研究では、このようなBeresford やLister らの提起を重視して行われる調査
を「貧困当事者を包摂する参加型貧困調査(すなわち、参加型貧困調査)」とする。
こうした参加型貧困調査について、Fran Bennett & Moraene Roberts(2004)は
直接的な貧困経験を持つ人々が、調査過程において、もっと発言権を持つように、もっとコントロールできるようにすることが特徴であり(Bennett & Roberts 2004: 5, 50)、決して「研究者の“客観的な”知識に貧困者の“主観的な”感覚を付け加えるだけということではなく、また決まった論点に貧困者の声を多様に引用して付加することでもない」(Bennett & Roberts 2004: 9)と述べている。
そのため、Bennett & Roberts(2004: 9–10)は参加型貧困調査が「研究を改善する(Improving Research)」という点において、従来の貧困研究にとって以下のような「補完的な価値(Add Value)」があると評価している。
・貧困当事者を包摂する参加型貧困調査は、効果的に研究課題を洗練し論点
や話題を提起することができる。そして、貧困当事者は貧困に対する専門
的な知識を持っているため、彼らが提供した貧困見解は研究の有効性を高
めると同時に貧困知識を豊富にすることができる。
・これらの見解や知識を他の貧困研究から得られた証拠と一緒に使用すると、より完全で繊細な貧困分析を行うことができる。その分析の多くは「状
況」が何であるかだけでなく、なぜ、どうやってそのような「状況」に
なったのかについての全体像を示すこともできる。
・参加型の手法によって、「貧困」の諸側面を浮かび上がることができる。
さらに、その貧困の諸側面がどのように相互に関連していること、そして、
力関係によって資源へのアクセスがどのように構造化されているのかを強
調することができる。
・これらの調査結果が政策と関連する場合に、それはまた人々の現実の貧困
状況に適するような政策の策定や改革につながっていく。そこでの参加者
の「参加」の程度が高くなるほど、調査から得られた結果や提案が「自分
のもの」だと参加者に感じられて利用されていく(Bennett & Roberts 2004:
9–10 をもとに筆者要約)。
以上、本研究における目的の設定の背景を説明した。それは以下のようにま
とめられる。主に貧困理解において、Dean(1992)、Beresford ら(1995, 1999)が指摘したようなこれまでの貧困研究がうまく対応できていない点に対して、Beresford、Lister、Bennett らはこれからの貧困研究は貧困当事者の視点を取り入れることが必要であること、そして実証レベルでは参加型貧困調査が貧困当事者の視点から貧困を理解するという課題に対応するには有効であり、「研究を改善する」「補完的な価値」を持つことを主張した。本節では貧困研究が最も蓄積されているイギリスを中心にまとめたが、日本でも同様な課題がある。次節では日本の貧困研究の現状を踏まえて、本研究の分析の視点を述べていきたい。

2 分析の視点

2000 年代後半から経済格差の拡大や貧困の深刻化に対する関心が高まり、
特に2008 年の世界金融危機をきっかけに日本では貧困研究が再び活発になっ
ている。岩田(2008)は学術雑誌『貧困研究』の創刊号で発表した文章「貧困研究に今何が求められているか」にて、日本の貧困研究について、前述のDean(1992)、Beresford(1995, 1999)等と同様な指摘をしている。岩田(2008:23)は、研究者が行ったインタビューにおいて、さまざまな当事者の「言葉」が含まれても、それが彼らの意見や反応それ自体ではない、あくまでインタビューを介したものでしかないと述べている。岩田(2008:23)は、貧困当事者たちは「人生のなかで、意見を求められたり、あるいはすすんで意見を言ったり、また何かの意思決定に参加する、というような経験をもたない」を述べて、今後の貧困研究において、「貧困のただ中にある人々が自らの言葉で貧困を語りだす」ことが重要であり期待されていると論じている。しかしながら、岩田(2008)の指摘から十数年以上経った現在でも、日本の貧困研究はまだ当時指摘された課題を乗り越えたとは言い難い。
確かに、近年の財政緊縮と福祉国家縮小の渦中にある人々の生活実態をより
よく理解するために、貧困状態に暮らす人々を含むさまざまな周辺化されたグループの「生きた経験(lived experience)」を表しようとする研究が増えている(Ian McIntosh & Sharon Wright 2018)。日本でも、貧困当事者自身の生活意識を重視するような研究には、小西(2003)、谷口(2011)などがある。そして、2010年にTess Ridge(2002=2010)の研究が日本に紹介されて、その示唆を受けながら貧困当事者を中心に据えて彼らの貧困経験を理解しようとする研究には林(2016)、大澤(2023)があげられる。これらの研究は、貧困当事者の意識や経験に重きを置くという点では非常に価値があるが、そうした貧困実態を語る人々が(調査される客体ではなく)調査研究の主体となり、自分たちの関心を調査アジェンダに組み込んで自らの貧困分析を行っていくという点では十分とは言えない。
具体的には、これらの貧困研究は、特に子どもという社会的区分に焦点を当
て、基本的には「貧困の世代的再生産」の議論の延長であり、大人や家族または施設の対として脱家族の論点から子どもを主体として把握するという構えで行われたと考えられる。これは、そもそも、貧困当事者が自分たちに関する貧困の議論や調査研究に参加し、従来の研究者、政治家、メディア、貧困ロビーなどと並び、貧困を構築するもう一つの主体とするような本研究の研究意識とは異なっている。
また、これらの研究ではインタビュー調査を通じて、また時間をかけた観察
や参与観察が行われる場合も含めて、確かにさまざまな貧困当事者の言葉が示されているが、多くの場合は研究者らの論点や分析に当てられて、貧困当事者の貧困分析それ自体とは言えない。なぜなら、どれほど丁寧なインタビュー調査であっても、それは調査者(多くの場合は研究者)があらかじめ用意しておいた調査項目に沿って、貧困当事者に質問し、回答を求める形で行うものであり、貧困当事者にとっては外部から持ち込まれるものだからである。そこで聞かれた質問の構成や調査者との対話、そしてそこから生まれた調査結果、つまりその調査過程7 や結果のアウトプット8 には、懸念が残る。これに対して、参加型貧困調査では、「参加者が自らの関心を調査に組み込めて調査の全過程をコントロールできる」(陳2021a)点が最も重視されている。
本調査研究では、参加者の調査への「参加」を保障し、特に以下のような対応を取ることでそうした懸念の回避に努めた。詳細は本書の第2 章で紹介するが、以下ではポイントのみ述べておきたい。
1  属性が同一の参加者をグループに組み、グループディスカッションの形式で調査を進めた。それにより、一般的なインタビュー調査のような、調査
実施者と調査参加者との1 対1 の形で、調査参加者が調査・質問され回答
を求められるような緊張感を緩和し、調査実施者の先入観や研究意思が調
査参加者の発言に影響することを回避し、参加者同士間で互いに勉強し啓
発されるといったようなインタラクティブな議論も促進した。
2 グループごとに3 回の集まりで調査を行った。集まりごとに時間の間隔をあけることで、議論した内容を集まりの後でも継続的に考える機会が生じ
る。それにより、前回の集まりでうまく言えなかったことや新たに気づい
たことがあれば、次回の集まりの時に付け加えることなどで、議論自体を
毎回深めることができる。
3 本調査では、貧困当事者が、従来のように貧困のストーリーや経験を提供するような調査される存在ではなく、彼らが直接に「貧困」について自分
なりの貧困分析を行う。これはこれまでの貧困研究との大きな違いである。
以上のように、これまでの日本の貧困の実証研究において貧困当事者を貧困
に関する議論や調査研究の主体と見なして「参加」の意識をもとに行われた調査研究がいまだ少ない状況に対して、本研究は参加型貧困調査を実施する。それによって、貧困当事者の貧困に関する議論や調査への「参加」を担保し、前節で述べた参加型貧困調査の「補完的な価値」を活かしながら、貧困当事者が自分の「声」で描き出す貧困の現実を探求していきたい。

3  本書の構成

ここまでは、本研究の目的と分析の視点を説明した。それに沿って、本書は
主に以下の構成で展開していく。
第1 章は、本研究の先行研究、すなわち、貧困当事者が貧困とはなにかを自
分自身で探求するのに有効とみられている参加型貧困調査を紹介する。イギリスにおける代表的な調査研究を分析し、方法論の視点から参加型貧困調査の実施にあたって「参加者の募集」「調査の進行」「結果のアウトプット」の各段階での課題を明らかにする。先行研究の検討を通じて、貧困研究にとっての参加型調査の有用性を改めて確認する。
第2 章は、本研究の研究方法の紹介であり、主に本研究で実施した参加型貧
困調査の詳細を説明する。本調査の概要を紹介したうえで、前章で分析した参加型貧困調査実施上の各段階での課題に対して、本研究での参加型貧困調査を進めていくなかで実際に生じた課題とそれをクリアするために行った対応、特に調査の全過程において参加者たちの調査への「参加」を保障するためにどのような調査の手続きを取ったのかを解説・検討する。
第3 章、第4 章、第5 章は、本研究の調査結果を説明する。第3 章は、貧困
当事者が見た「貧困」を説明する。本章は、主にこれまでの貧困議論でよく登場した貧困の言葉・言説である「貧困」「アンダークラス」「社会的排除」に対する、参加者たちの持つイメージや理解を議論し、参加者たち自身が考えた貧困の意味、そして誰が貧困者である・でない・なにで区別するかについて話し合った内容のまとめである。これにより、貧困当事者が考えた貧困の意味や基準を理解していきたい。
第4 章は、貧困当事者が経験した「貧困」を説明する。本章では、主に前章
で説明した参加者たちが考えた貧困の意味をよく理解するために、参加者たちによる自分たちの具体的な「心配・困りごと」についての議論、そして、参加者たちがこれらの貧困問題に対応するのに発揮したエイジェンシーを取り上げる。さらに、貧困当事者が貧困に直面するなかで行った苦闘(ときには望ましくない行為もある)や脱貧困に向けて行った戦略などを検討し、貧困当事者がエイジェンシーを発揮する際に直面した貧困の構造上の制約を考察する。その考察を通じて、貧困の意味だけではなく、貧困当事者に対する理解も深めていきたい。
第5 章は、貧困当事者が振り返る調査参加を説明する。本章では、今回の調
査参加が貧困当事者にとって何を意味するか、またこのような貧困の議論や調査に対して、参加者からどのようなフィードバックがもたらされたのかを主に確認する。ここでは、貧困当事者の調査への「参加」を調査に対する振り返りまでを含めて担保し、貧困当事者の視点から本調査の妥当性を検証し、今後の調査実施に向けてその改善点を洗い出す。この第5 章の内容は、第3 章と第4章の内容と並び、本研究で設定した「貧困当事者の主体側から貧困を理解する」という研究目的に対して、実際に参加型貧困調査を通じて理解し得た「貧困」を示すだけではなく、貧困当事者は貧困を議論し分析できることと、そこから新たな知識を生み出せることの実証的なエビデンスの提供に寄与する。
終章では、本研究で理解し得た「貧困」をまとめる。先行研究と照らし合わ
せながら本研究においての貧困当事者が語った「貧困」、特に貧困理解にとって重要ないくつかの貧困の主題を述べる。そのうえで、本調査の実施を通して新たに学んだことを紹介し、今後の課題を提起する。
以上では、本研究の目的である「貧困当事者の主体側から貧困を理解するこ
と」を達成するために、どのような調査の手続きを通してどういった貧困理解を得たのか、このように理解し得た貧困に対して参加者たちはどのように考えて評価したのかを中心に述べる。ただ、実際に調査を実施したところ、貧困と貧困当事者をよりよく理解できただけではなく、「参加」が果たす役割が顕著であり、貧困を理解し研究していくなかで「参加」が重要であることもまた深く感じられた。そのため、本論では真正面から論じられなかった「参加」について、改めて補論を設けて検討していきたい。補論では、従来の貧困議論を概観したうえで本調査の実施によって促進された貧困当事者による貧困議論の意義を示す。そして、貧困議論を発展させていくには「参加」という新たな貧困の政治の検討がとりわけ重要であることを提起しておきたい。

*「序章」ここまで

■ 当事者が語ったこと

*本書に収録されている参加型貧困調査に参加した当事者の語りを、一部抜粋しご紹介します。

私にとって貧困の意味は、明日のご飯を悩むという意味です。私昔はおばあちゃんと一緒に暮らしていた時は、生活保護費が入った日だけ特別なご飯、その後は、もうまたウインナー生活とか、詰め放題ウインナーに行ってとか。そういう明日どうしようっていうのが、貧困なのかなと思います。多分お金があれば、そこまで悩まなくても、うまくいけますね。
(日本人社会人女性)

本書第3章 「貧困の意味」についての議論から

貧困の意味とは、生きるうえで選択ができないことだと思います。何でそ
う思うのかは、スーパーで買い物するじゃないですか。カレー作ろうと
思って、せっかくだから、給料もらったばっかりだし、牛肉買おうかなと
思ったときに、まあ、でも、これから1ヶ月やりくりするなら、安い方が
いいかと思って、鶏肉を買いました。ちょっとしたこの贅沢ができない、
ちょっと美味しいものとかの選択ができないというのが、貧困だと思いま
す。
(日本人社会人男性)

本書第3章 「貧困の意味」についての議論から

小学校の頃はハンドボールとか、行きたかったけど行けなくて、中学の塾に行きたかったけど行けなくて、高校も塾に行きたかったし、あと部活もしたかったけど、バイトは高校1 年の頃からぎっしり詰まっていたので、部活できなくて、あと高校3 年生のときに、なんかうちは家が貧乏っていうよりも、その進学費用に関して援助してくれないから、進学に関しては自分でお金を用意するっていう条件だった家族だから、自分で何とかしようと思ったけど、金銭的に(大学に)行けない可能性が高くて、がっちりで公務員試験の勉強に切り替えたんで、夏の終わりぐらいに、奨学金を受かったよっていう連絡があって、これなら大学なんとかいけるかなって思って、勉強をしました。あと大学になってからはサークルとかもやりたかったけど、やっぱりバイトがやばいので、できない。あとは、院の進学もめちゃくちゃ迷っています。「○○」学部だから、「○○」大学院行きたいなっていうのはあるけど、やっぱ授業料が高くて、院に行ったら「○○」万円年間請求されるので、なんか忙しいらしくて、バイトがあんまりできないっていう話を聞いてて、これ絶対に行けないって思ってるんで、最近は割と就職を考えています。
(日本人学生男性)

本書第3章 「貧困の意味」についての議論から

私は両親と2 人の子どもを養わなければならない、とても重いプレッシャーを感じています。家族を養うのはなぜそんなに難しいの、本当に難しい。なので、私が思った貧困は「難しすぎる」という意味です。
(外国人労働者女性)

本書第3章 「貧困の意味」についての議論から

私は中学校卒業して高校受かったけど、親がお金出してくれない、まあ、出すお金がなくて、結局卒業してすぐ働きに出て、16、17 歳ぐらいで働きはじめた。今現在貧困かと言われたらちょっとそれは、でも、それもダブルワークをしたりとか、傍から見たら「頑張ってる」「貧困でお金がないから」とか、「一緒に遊びに行けない」とかと言われて、そういう人の言葉が差別じゃないですか、これも貧困と感じます。
(日本人社会人女性)

本書第3章 「貧困の意味」についての議論から

私は「貧困の意味」は何であるかというと、それは社会の上層の人々があなた(労働者)を抑圧、排除することと思う。貧しい人々の立ち直ることが彼らに許されていない、わざと一部の貧困者を残して置いている。みんな金持ちになったら、誰がお金持ちの人たちに仕えるの、誰がお金持ちの人たちに労働してあげるの?
(外国人労働者男性)

本書第3章 「貧困の意味」についての議論から

言い方が悪いけど、私たちが今やっている仕事、犬でもよく訓練したらできる。「○○」や「○○」などの少しスキルが必要となるような仕事、見たこともない。
(外国人労働者男性)

本書第3章 「貧困の意味」についての議論から

うちは、団地という狭い地域のなかで育ったんで、うちの地域のいじめの仕方は、幼稚園に通っているか、保育園に通っているかで決まる。ちょっと意地悪したら「あの子は保育園だからね」みたいな、逆に「その子は幼稚園に通っているから、頭がいいな」って、ちゃんと教育されているっていう分類で分かれていたので。あと、お金がなくて、習い事に通わせることができないのも貧困なのかなと思う、うち小学校のとき、そんななかったよね、習い事。それこそ、1 軒家に住んでいる人がいて、お嬢様グループと呼んでいるけど、お嬢様グループはそのピアノとかを習ったりして。
(日本人社会人女性)

本書第3章 「貧困の意味」についての議論から

生活費の組み立てとかは、月にいくらバイトをして、いくらお金がかかるか、そこからいくらまで減らせるかを計算して、きちんとその食費いくらまでとかを決めて、なんとかしてます。余った食費は好きなように使ってもいいよっていうふうにしてます。いろいろ、その計算だけで、すごい疲れます。
(日本人学生男性)

本書第4章 「心配・困りごと」についての議論から

僕は奨学金を借りて、働いてるけど、返済が結構きつくて、「月一万ぐらいだったら大丈夫だろう」と高校とかで思ってたけど、「そんなことないぞ」と今思っていて、だから、そもそも、小中と同じように高校、専門学校、大学も無償化しちゃえばいいじゃんっていうのはずっと思っていて。それこそ、勉強はしたいけど大学に入って、その後にめちゃいい給料をもらえるところに入れるかと言われたら、そうでもないし、日本絶対給料悪いし、そういうなかで借金返すかって考えたら大学行かないで働こうとかにして、学びたいけど諦めるみたいな人達も出てくると思う。奨学金ってなくなって、国が全部無償で受けるようにすればいいのに。
(日本人社会人男性)

本書第4章 「心配・困りごと」についての議論から

結局熱出ても2、3 日で治る時とかは全然あるんで、その2、3 日で治る熱のために3千円払うかを思うね。あとなんか「○○(病気)」とかあって、本当は月一回通わなきゃいけないですけど、3 千円かける12 で、3 万6 千かって思うと、耐えるしかないな。とりあえず、4 年になったときに、就活しながらどれだけバイトができるのかっていうのが怖いんで、とにかくお金を貯めといて、我慢して貯金してます。
(日本人学生男性)

本書第4章 「心配・困りごと」についての議論から

日本で働いたこの数年間、(自分の職業キャリアにとって)何の役にも立たない、単に自分の「青春」を「ご飯を食べるお金」と交換するだけです。でも、これは運命だとも思う、受け止めるしかない。
(外国人労働者女性)

本書第4章 「心配・困りごと」についての議論から

すごい厳しい社会だと感じますよね。私のケースワーカーさんは「子どもとの時間を大事にした方がいいから、急いで働かなくてもいいよ、焦らなくていいよ」って言ってくれる人ではあるんですけど。でも、やっぱり周りに、そういう制度を受けていないで日々生活してるお母さんたちもいっぱいいるわけじゃないですか。そういう人と比べちゃうって、他の人はできているのに私はまだできてないなと悩んだり、この制度から抜けるためにはどうしたらいいんだろうなとかを考える。
(日本人社会人女性)

本書第4章 「心配・困りごと」についての議論から

私は本当にもっと若いときにいろいろ取材や調査されたので、家まで行って、自分が質問されて答えるみたいな形式で、本当に一対一で、まずはどこで生まれたのとか、そういう生い立ちで、なんで離婚したのとか、そういうことを喋って、だから、その聞かれたことに答えるみたいな感じ、とりあえず全部話してみたいな、今回のような自分でこう考えて、思ってることを話すっていう感じではなかった。今回のことは、なんだろう、自分に関わることというか、貧困と子どもたちのことって、割と喋りやすい。
(日本人社会人女性)

本書第5章 調査参加への感想・評価についての議論から

知識を得ることができました。例えば、貧困という言葉について、今まで貧困が一体どういうことなのかをこんなに具体的に考えることがなかったけれど、今は、貧困は確かに問題だと思っています。というのは、以前、私は貧しいから、それはただの「貧しい」であり、どうしようもないと考えていて。でも、議論を通して、なんで私は貧困でなければならないのか、私は貧困になるべきではないと今思っている。私は今、本当にこれから何をするかを考えなきゃと思って、変化すべきです。貧困であるのは私の個人的な問題ではなく、社会のルールや規則が私をここに閉じ込めたのだと、今はこう考えています。私が日本に来て仕事するのは、確かに自分が来たいから来たのですが、その前提として、既に私たちが来るように、政策自体が設計されていたのです。ただ、あなた(外国人労働者)はただの労働力として来てほしいだけで、あなたが来なければ「○○(Y 国)」人がいるし、「○○(Y 国)」人が来なければ「○○(Z 国)」人もいるから。だから、あなたは重要じゃない、来なくてもいい。だからこそ、その政策があなたに発言権を与えるような設計をしていないのも事実です。
(外国人労働者男性)

本書第5章 調査参加への感想・評価についての議論から

やっぱり経験してたりしないと分からないと思うし、まあ、でも全部経験することできないから。やっぱり、声を聴かないといけないけど。なかなか、こういう声って、私たちも届けようとする努力もしてこなかったし、うん、政治家の人も本当に聞きたいと思ってるのかな、ちょっと疑問。
(日本人学生女性)

本書第5章 調査参加への感想・評価についての議論から

あなた(調査実施者)が帰って、この調査を公表して、そうすると社会が少し変わるかもしれない。私たちは専門家のプロの分析は要らない、これまでの数日間にここで議論した真実の内容をそのまま公開するだけでいいです。政府の専門家はただ貧困を想像し、何か政策を考えなければならないとしているに過ぎない。彼らがお金持ちの人々と貧しい人たちの収入を計算式に入れて、ある数値を出して「ほら、これが貧困ラインです」として、社会の中で何人が貧困である、何人が貧困でないと主張するように言っています。でも、なぜ、実際に貧困についてどのように考えているのかを私たちに聞いてみないの?
(外国人労働者男性)

本書第5章 調査参加への感想・評価についての議論から

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