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1954.9.26 岩内大火

岩内大火復興70周年記念式典の開催

昭和29年の未曾有の災禍に見舞われた「岩内大火」から70年の節目を迎えます。

70年の時を経て、岩内大火があった事実を知らない人が多くなり、一方で、大火の実体験者も少なくなる中、町と消防署では、次のとおり記念式典を開催します。

過去から学び被災経験を教訓とすることで、未来に向けた災害に強いまちづくりを考え、町民全体の防災意識の向上を図る機会にしたいと思っております。

記念式典詳細

9月26日は、昭和29年、35名の犠牲者と市街地の約8割を焼失し、1万7千人余りが罹災した「岩内大火」の日にあたります。
 ここに改めまして 犠牲者の皆様に謹んで哀悼の意を表します。

 「再起不能」とまで言われたこの町は、多くのご支援と涙ぐましい先人のご努力により、こうして復興を遂げましたが、これからも未曾有の被害をもたらした「岩内大火」の経験や教訓を風化させることなく後世に継承し、災害に強いまちづくりを築いていくことが私たちの責務であります。

 節目の日にあたり、今を生きる私たちが手を携えて、これからも前を向いて歩んでまいりましょう。

 なお、犠牲者の皆様に謹んで哀悼の意を表すため、役場庁舎前に半旗を掲揚いたします。

             令和5年9月26日  岩内町長 木 村 清 彦

岩内町役場HP

岩内郷土館資料

大火直後の岩内町

岩内大火は町の約7割を焼き尽くし、多くの被害者、罹災者が出ました。
 写真は港付近の状況。燃え尽きた船の残骸、火の勢いがいかに大きかったかを如実に物語っています。

岩内郷土館HP

大火から二年後の岩内町

 昭和31年の岩内。火事をのがれた手前の建造物と、白木の新しい建物の違いが見られる写真です。

岩内郷土館HP

 昭和32年の岩内全景。このようなカットの写真が何種類も保存されています。新しい建物が次々と増えています。短期間、驚異的な早さで復興する町並みを、この高台から撮影した方は、どんな心境だったのでしょうか?おそらくは感慨無量だったのではないでしょうか。

岩内町郷土館HP

木田金次郎と岩内大火

画家「木田金次郎」岩内町出身で生涯岩内町の自然を描き続けました。小説家、有島武郎「生まれいづる悩み」のモデル。岩内大火により描き留めていた1000点を超す作品はすべて焼失してしまいました。


1954年 大火直後の岩内港/木田金次郎 作
木田金次郎を見舞う中居定雄 1954(昭和29)年9月
岩内大火直後、自宅が全焼し、作品も失った木田を見舞うために、札幌から駆け付けた中居定雄。 中居も岩内出身の画家で、 当時札幌を拠点に活動していた。中居は木田の自宅の設計図を描き、
建築資材を調達するなど、木田の再起のために奔走。 同年12月には自宅が完成した。
破船/中居定雄 作
1960年 夏の岩内港
岩内大火から6年。賑やかで明るい岩内港が表現されています。

岩内町郷土館「岩内大火資料」


岩内大火を風化させないために私たちができることは、二度と同じようなことが起きないように過去の記憶や教訓を伝え続けるが大事だと思います。岩内町郷土館には岩内大火の資料などが常時展示されていますので是非ご覧ください。


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