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小学生のときに戦争がはじまったあっちゃんのはなし。

あの戦争が始まった寒い朝、家族でラジオを聞いたあと、6年生のあっちゃんはトイレの窓から外を見て思いました。

「アメリカみたいな大きな国と戦争して勝つわけないじゃん。。」

でも、おとなを見ていたら、ぜったいに言っちゃいけないってわかって、誰にも言わないことにしました。

あっちゃんの住む町はそこそこに大きくて、百貨店がありました。

1年生になったとき、そこでかわいい洋服を買ってもらえたのです。
わくわくして、うれしくて、もう、世界中が味方になったようにご機嫌でした。

でも、戦争になったら、百貨店は閉まってしまいました。
かわいい洋服はもうどこにもありません。なんだか変な服ばっかり。

あっちゃんは中学生になりました。
そのころは女学校っていいました。
戦争に勝っている、と先生は言います。
でも。
おじさんが戦死して、おばあちゃんがずっと仏壇の前で泣いています。
おじさんは犬をかわいがる優しい人だったのに。
おばあちゃんは仏壇の前でだけ泣いています。
こどもが死んじゃったのに、人前では泣きません。
いつしか授業はなくなって、工場に働きに行くのが学校生活です。60キロもある荷物は中学生が繕った軍服です。それを体の小さい中学生が運ぶのです。

ある日、お弁当箱を武器にするから回収すると言われました。「弁当箱で勝つわけないじゃん」やっぱり口にしないでいました。

おかあさんは、庭にトマトを植えました。
夏は毎日トマト。井戸の水で冷やします。
あっちゃんはいつしかトマトがきらいになりました。

おかあさんは、山羊を飼い始めました。
きょうだいは4人。牛乳の代わりの山羊のミルクが欲しかったのです。
でも山羊のミルクは多くはありません。
おかあさんはある時、ホワイトソースを作りました。お隣さんに少しずつもらった小麦粉をためて。じゃがいもにかけたら、なんということでしょう。じゃがいもがお米くらいの嬉しいおいしさになりました。
きょうだいみんなが、おばあさんおじいさんになっても話題にする絶品でした。

あっちゃんがいつも話すのは、
トイレの窓から見た冬の空の青さと勝つわけないと確信していたこと。
帰ってこなかったおじさんと仏壇の前で泣いていたおばあちゃんのこと。
じわじわと生活が変わっていったこと。
郊外の農家に食べ物を分けてもらいに行ったこと。
学校の授業がなくなって、工場に手伝いに行って重い荷物を持たされたこと。

仲の良かった友達のおじさんがガダルカナルで餓死したこと。
ごはんが食べられなくておなかがすいてすいてすいてすいて・・・。


戦争が終わって、アメリカ兵が町にやってきました。
あの百貨店の1階は進駐軍の食堂になりました。あっちゃんと友達がお腹がすいてたまらないのを普通のこととして我慢して電車を待っているとき、すぐ横の窓ガラス越しの食堂では、たくさんの料理が湯気をあげていて、アメリカ兵は当たり前に食べていたのです。



味方だった世界に捨てられるのが戦争。
当たり前の幸福がなくなることが戦争。
戦争はぜったいにいけないと、
あっちゃんは、ずっとずーっと、戦争の話をこどもや孫にしています。

終戦記念日なんて、きれいごとを言うな。敗戦だ。
そういって毎年、あっちゃんはテレビに怒るのです。


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松田真枝
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