科学は道理で知性で理解するもの、信じるものではない。
はじめに
科学は「道理」そのものですから、信じるものではなく理解するものです。 ですから、文学・経済・法学なども人文科学や社会科学と言われています。 道理を理解するには知性が必要です。
信じるのは宗教
信じるのは宗教です。 信じるには、「信心」が必要です。 しかし、特に、自然科学の中でも物理などは、どちらかと言うと「疑うこと」を信条としています。
科学に絶対は無用
科学が宗教と違うのは、少しでも疑問に思った場合は科学的なエビデンスを求めると言う姿勢です。 いつでもおかしいと思ったら論理的に疑うのが科学の姿勢です。 それに対して宗教は議論があっても批判は許されません。 ですから絶対という言葉は科学に似つかわしくなく、宗教には不可欠なのです。
信じてしまうと新しい知識が生まれない
たとえば、自然科学の1つである。数学の1+1=2 は、信じるのではなく理解するものです。 これが2進数なら1+1=10 と解釈することもできます。 まだ知らない新しい道理があるかもしれないということを忘れてはなりません。 ですから、理解力は別の言い方をすると知性になります。
高校の理系の数学以上を履修された方なら理解できると思いますが、数は有理数だけと信じておれば、無理数、さらに虚数や複素数、四元数(しげんすう)なども思いつかないし、古典物理学を絶対的に正しいと信じておれば、量子力学や相対性理論は思いつきません。
科学における新理論
新理論が認められる要件
新理論は旧理論を覆すものではなく、それを包含してより多くを説明できるものでなければなりません。
私は仕事の関係上、科学に関する相談を受けます。 時には市井の自称科学者から新理論なる仮説について評価を依頼されることもあります。 その中には、良く「これまでの科学がひっくり返る理論」だとか、表現されることがありますが、新しい科学はひっくり返すものではなく、それまでの理屈も根本的に全てまとめて面倒みるようなものでないとダメなのです。
量子力学や相対性理論は、高度先進技術の範囲でなければ、日常範囲の古典物理の結果をよく説明できます。
まあ、純粋科学に関する相談は少なく、ほとんどはモノ作りや工学に関する相談ですけどね。
科学は近似ではない
また、一部に、科学は近似に過ぎないと言う偏狭な意見もありますが、そこまで安っぽいものではありません。 以下、自然科学と言われる理学、工学、それとモノ作りにについて、その目的の違いについて、説明をしましょう。
テクノロジー(工学)の目的と混同しないこと
モノづくりや技術に応用するときは、その目的に合わせて経済的に実現可能な精度を満たすことを要求されますが、それが科学の本質ではありません。 それは可制御・可観測と言った科学の一部である工学・技術系の目的であって、これまた科学の一部である真理の探究と言う理学の目的ではないからです。
サイエンス、テクノロジー、メーカーの目的の違い
科学技術とその応用については、サイエンス・テクノロジー・メーカーと分けて考えます。
物理・数学など理学とも言われる科学(サイエンス)の目的は、真理の探究。
技術・工学など(テクノロジー)の目的は、可制御・可観測。
モノ作りやサービス(メーカー)の目的は、役立つこと。
ですから、大学の理学部や工学部は、真理の探究や可制御・可観測(なんとでも制御でき、観測できること)が目的で、役に立つか立たないかは関係ないのです。
モノ作りには要求定義が必須
一方、モノ作りやサービスは、役に立たないと意味がないです。 役にたつ/立たないと言うのは、利用目的と言う非常に主観的な要求定義に沿うためのものです。 しかし、この考えは、上記の 1, 2 理学や工学の研究目的に役に立つがどうかでも判断されるので、話が混乱し易くなります。
産学共同でありがちな混乱
さらに、最近では産学共同などで、大学発ベンチャーで流行りで、目的が混乱しがちです。 現実に使える研究予算も関係してくることから、最終的な本来の目的を見失いがちです。
研究内容がどのフェーズにあるのか、しっかりと見極めることが重要です。
現代科学の複雑性
現実問題として、今日の科学技術は複雑多岐にわたり、たとえ優秀な科学者であろうとも全てを理解する事は不可能なため、科学的に出された結果だと信用するしかありません。 このことを担保するために、自説を展開する論文には、少なからず参考文献が引用されます。
忘れても一度は理解しよう
もちろん、専門の研究室に入るまで、入ってからの実験などを含めた前提知識の学習や基礎技術の習得が必須です。 このプロセスがなく、理解できていないものを科学的な結果だと言われて信じているうちは宗教に近いものになってしまうので注意が必要です。
しかし、凡人は学んだことをすべて覚えているのは不可能でしょう。 それでも、少なくとも基本的なことは理解して覚えている必要があり、それ以外は、忘れても一度は理解しておかねばなりません。
信じるのではなく根拠に基づいて信頼する
もちろん、これらの文献は、査読などを通じて、その道の専門家がその信頼性を客観的に担保するのです。 ここで言う信頼性は、信じるのではなく最初から疑ってかかるので、査読は結構、辛辣なものになります。 それでも、!?のような論文は出ますが、発表された後も周知され、第三者も検証するので、スタッフ細胞や、ポンズの常温核融合(※)など物議を醸し出したもの取り下げられるものもあります。
※ポンズの常温核融合の論文は欠点が多かったので、一部で実験など見直され検討されていますが、現在、ネイチャーやサイエンス等の一流の査読紙では、常温核融合関連は受け付けておらず、残した闇は大きいようです。 それほど、科学は疑ってかかるのです。
この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?